ナナの子犬たち-3 ナナと子犬たちの時
ティムは、長女にフェンウィックという名前をつけた。
フェンウィックは、ピーター・セラーズの映画に出てくる世界一小さな国、
「グランド・フェンウィック公国」からきている。
いつもながら、ティムの命名のコダワリに、私はどう反応してよいのか分からない。
とにかく女の子の名前ではないので、短くして、可愛く、フェニーと呼ぶことにした。
ティムは、お気に入りのフェニーを、いつも自分の胸の上に乗せる。
次女の名前は、ティーだ。
胸の所に、ポッと、白い毛がある。
ティムは、その白い毛が、
「朝の紅茶に入れる、スプーン一杯のジュガーのようだ」と言う。(自分の紅茶には、お砂糖を入れないのだけれど)
三女には名前が無かった。
名前をつけても、新しいご主人様は、違う名前にしてしまう。
三女は、私のお気に入りで、ナナに一番良く似ていた。
さて、子犬たちは、初め、母犬に排泄の処理をしてもらう。
そして、歩き始めると、あちこちに、落し物を残すようになる。
床の上には、黒いミミズのようなウンチや、表面張力で丸くなったおしっこがあった。
そしてナナは、我が子たちの産物を見つけると、きれいに掃除してくれる。
(子犬たちは、自分たちのベッドではしないので、分かってはいるらしい)
ナナは、床の丸い液体を、ちゃっちゃっちゃっと、嘗める。
すると、その「丸」は、だんだん小さくなる。
私は、「面白い」と思いながら見つめる。
逆に、日本から休暇で来ていた親友は、
「ナナからは、絶対、嘗められたくない!」と言った。
ナナにとって、それは、子犬たちのお尻を舐めるか、床を舐めるかの違いでしかない。
と、私は思うのだけれど、まあ、無理も無い。
糞といえば、私は、子供のころ、動物園で働きたい、と思っていたのを思い出す。
そして、ある動物園の飼育担当者が、
「素手で、自分の動物の糞を触って体調を知る」
と聞いて、びっくりしてしまった。(今は、それ用の手袋があるから素手で触る必要はない)
動物園では、野生動物の保存と繁殖という、とても大変な仕事をしている。
そう言えば、映画ジェラシックパーク(Ⅰ)でも、糞のシーンがあった。
その時私は、「そう反応するだろうな~」と思いながら見ていた。
とにかく、糞は、持ち主を知る、言葉のようなものだ。
(多くの人は、糞を食べ物のかす、と思っているけれど、かすは五パーセントしかないらしい)
人間の赤ちゃんの便も、親がいつもチェックして、健康を気遣ってくれる。
ところで私の日本の友人は、根気強く不妊治療を受けた後、
念願の赤ちゃんが生まれ、大切に、母乳だけで育てていた。
母乳だけだと、ウンチの匂いは、さほど臭くは無いそうだ。
母親は、おしめのウンチを嗅いで、
「いい匂いだ」
と感激していた。
犬も、同じように思うのかどうかは知らないけれど、
ナナは、かいがいしく、子犬たちの下の世話をする。
神様は、良くしてくださったものだ。
母親にとって、我が子の下の世話は、さほど負担にはならない。
ところが、離乳が始まると、そうは行かなくなった。
明らかに臭いのだ。
そして、離乳食の威力はすごい。
子犬たちはどんどん大きくなり、ウンチも大きくなっていく。
もう、こうなると、ナナは見向きもしなくなった。
さらに、ナナは、お乳を欲しがる子犬たちからも逃げ出す。
子犬の歯や爪は、鋭い。
子犬たちは、お乳をもっと出してもらおうと、おっぱいを噛む。
ナナのおっぱいは、赤い「ジョーズ」の様な小さな歯型や爪跡が、
痛々しく付いていた。
お乳を狙う、子ギャングどもから逃れているうちに、
ナナのおっぱいは、急速にしぼんでいった。
まだ、若いのに、(人間の二十歳ぐらい)
まるで、おばあちゃんの、おっぱいの様だった。
ところで、私は、子犬たちが我が家を離れるまで、
少しでも、トイレの躾けをしておきたいと思っていた。
毎朝、子犬たちを起こすと、トイレパッドの上に乗せ、排便排尿をさせる。
それから、お乳タイムだ。
元気に動き回るころまでには、それが習慣になっていた。
朝はそれで良いのだけれど、日中の用足しの訓練は簡単にはいかない。
次の飼い主に任せることにした。
子犬たちのご主人様は、もう決まっていて、
時々、面会しながら、子犬たちを引き取る日を待っていた。
六週目ぐらいは、子犬が最も可愛くなる時期かもしれない。
多くの人は、小さくて、可愛い子犬を自分のものにしたくなる。
それでも、自分の子犬を思うブリーダーは、六週目で引き渡したりしない。
子犬は、この時期に、犬の一生の中で、とても大切なことを、
母親からや兄弟同士で学べるからだ。
ましてや、ペットショップで売るようなことはしない。
ペットショップで売られている子犬の中には、四週目で母犬から離されたりする。
早すぎるワクチンの摂取もよくないし、他の子犬との接触も安全とは言えない。
ある、チャンピョン血筋のヨークシャーテリアを持っていたブリーダーは、
子犬が十二週過ぎないと、手放さないと言っていた。
(売れ残った子犬を、割安で購入した人がいたけれど、二十五万円もした)
それでも、なぜ、子犬を早く手放す飼い主がいるのか、
分かるような気もする。
六週目ぐらいから、子犬たちは活発になるのだ。
寝ていなければ、走り回っている。
そして、ちょっと油断すると、すぐ何か悪さをしでかす。
しかも、糞尿はあたりかまわずで、食事の仕方は、お世辞にも行儀が良いとは言えない。
掃除をするのをうっかり忘れていると、転げまわる子犬たちは汚れてしまう。
騒ぎまくる子犬たちを、「もーっ!」と言いながら、洗う羽目になる。
もし、犬の知識がなければ、母犬から離すべきでなかった子犬を、
問題、と言うおまけ付きで、高いお金を出して購入することになるかもしれない。
しかも、一匹だけだと、手間が掛かっても、こんなもんだと思って世話をする。(カワイイし)
問題に気付かされるのは、後になってからだ。
そして、犬を、十年以上世話する覚悟のなかった飼い主は、
問題を犬のせいにして、悲しいことに、見放し、処分する。
もちろん、努力し、改善して、最後まで看取る飼い主も多い。
さて、我が家の三匹娘たちは、八週目に入った。
性格も、はっきりしてきた。
長女は、活発で、脱走常習犯、三女と良くもみ合っている。
三女は、体が小さいので、長女に負けないよう元気に応戦する。
次女は、取っ組み合いに関心はない。
「私は関係したくありません」
と言わんばかりに、二匹から離れたところに座って、遠巻きに見ている。
それでも、姉妹たち二匹が転がっている内に巻き込まれてしまう。
次女は、自分の置かれた環境にうんざりしていた。
私たちは、そんな次女が可愛そうになり、手放すことにした。
ジョイが、次女のご主人様になる。
ジョイは、病気のご主人を介護している自然食派で、健康への関心が高い。
そして、ティムと同じように、椅子の張替えの仕事をしていて、手芸も得意だ。
子犬は、「ジャスミン」と呼ばれることになった。
ジャスミンは、時々、会いに来てくれるジョイが好きだった。
その日、ジョイは、お手製のピンクの子犬用バッグを持ってやって来た。
ジャスミンは、
「ああ、これでやっと、うるさい姉妹たちから解放される。
そして、大好きなご主人様と一緒にいられるんだわ。」
とでも言うかのように、ピンクのバッグから顔を出し、嬉しそうだった。
ジャスミンが、我が家を去るその後姿には、未練など全く感じられなかった。
こうして、ジャスミンの新しい生活が始まった。
ジャスミンは、準備された寝床でおとなしく寝るし、用足しもトイレパッドの上でする。
そそうなんて、下品なことはしない。
まるで、新しいご主人様に気に入られたいかのように、良い子に徹している。
数日後、ジョイは夫の診察のため、四十分ほどドライブして、
シアトルの病院まで行った。
もちろんジャスミンも一緒で、検査の間、おとなしく車の中で待つ。
そして、検査も終わり、用たしのためにリードを付けられ、
お手本ワンコのように歩き回る。
それを見た人が、ジャスミンが八週目の子犬だと知ると、びっくりして、
「ありえない!」
と言ったそうだ。
残りの二匹は、十二週目までは、ここに置きたかった。
ところが、子犬たちは、パパのタフィーにちょっかいを出し始めたのだ。
それまで、タフィーはあまり子犬たちには関心を示さなかった。
父犬は、子育てにはかかわらない。
子育ては、母犬の領域で、タフィーは単なる他者でしかない。
それに、タフィーは頭が良い。
余計なことをして、母犬を刺激したくは無い。
特にナナは、自分の子犬を保護する気質が強い。
ところが、子犬たちの方が、タフィーに関心がある。
「もし、タフィーが怒れば、攻撃するかもしれない」
とナナは警戒する。
私たちはできるだけ、タフィーが巻き込まれないように気を付けていた。
それでも、子犬たちは、ますます調子に乗る。
そして、ナナは、
「この子たちに、かかわらないで!」
と、タフィーを攻撃する。
ついに、ナナがタフィーの口の中を切って、血がたらーっと流れた。
ここまで来ると、もう子犬たちを手放すしかない。
こうして、二匹のご主人様たちは呼ばれた。
三女は、新しいご主人様に、ブラック・オリーブという名前を付けられた。
(黒豆のように可愛かったけれど、黒豆ちゃんとは呼べない)
それから二日して、長女フェニーもいなくなった。
これでやっと、我が家に静けさが戻ってきた。
私とタフィーは、共に、その静けさにほっとする。
こうして、ナナと子犬たちの時は終わった。
時々ナナは、二階に駆け上がる。
フェニーが二階にいるのかもしれない、と思ったのだろうか。
こうして、ナナは、しばらくの間、いなくなった子犬たちを捜していた。