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第4章 Misty & Tiny-1 ニューイングランドの姉妹たち

 "Tim! Where are you? Our mother died."

「ティム! どこにいるの? お母さんが死んだのよ。」


 その留守番電話のメッセージは、夫ティムの妹からだった。

その時、私たちは、日本から帰ってきたばかりで、荷物さえ解いていない。

そして、その突然の知らせに、ティムは、凍り付いてしまった。


 とにかく、急いで出かける準備をしなければならない。

ティムは仕事を休む手配をし、私は荷物を詰め直した。

そして翌日の朝、再び、私たちは空港へと向かった。


 今度は日本とは反対方向の、東海岸にあるコネチカット州へ行こうとしている。

「まるで、デジャブだね」

とティムは言った。

少ししか経っていないのに、日本へ行くような、浮き浮きした気分とはなんて程遠いのだろう。


 東海岸と西海岸には、三時間の差がある。

途中で飛行機を乗り換え、私たちが、コネチカット州の州都ハートフォードの空港に着いた時は、

もう夜の九時を過ぎていた。

同じ国とはいえアメリカ合衆国は広い。

まるで外国へ行くようなものだ。

そしてさらに私たちは、空港から一時間ほど車で走らなければならない。


 ティムの母親の住まいは、ニューヨークへも車で二時間ほどで行ける、

林や小川に囲まれた、ゴルフ場付きの退職者用ビレッジの中にある。

やっと私たちが、その家に着いたのは、かなり夜も更けてからだった。


 長い一日が終わり、次の日の朝は、

私たちの、暗い気分を打ち消そうとするかのように、気持ちよく晴れていた。

ティムと私は、外の空気を吸おうと家を出てみた。


 そこは若い人の住んでいない住宅地なので、とても静かだ。

空は青く透き通っていて、4月下旬だというのに、

木々の若葉は、まだ膨らみ始めたばかりだった。


 音と言うものを無くしてしまったかのような閑静な佇まいと、

木々の枝の間から見える青い空は、

私の脳裏に深く刻み込んでしまったらしい。

今でもふとその情景を、まるで絵画を見るように思い出す。

ニューイングランドの遅い春の冷たい空気が、

余計に、その美しさを際立たせていたのかもしれない。


 さて、ティムの母親は、二匹の白い完全家猫を飼っていた。

名前は、ミスティーとタイニー。

この春、十一歳になったばかりの姉妹たちだ。

ミスティーは長毛猫だ。 

そして、タイニーは短毛で、とても美しい青い目をしている。

そう言えば、タイニーの目は、あの空の色だった。


 もう若くはないこの二匹の猫は、それまで静かに暮らしていたのに、

突然、ご主人様を失ってしまった。

代わりに、知らない人間たちが、どやどやとやって来て騒いでいる。


 タイニーは、怖がって隠れてしまい、たまにしか姿を見せない。

気の強いミスティーは、隠れはしないものの、その背中の毛はずっと立ったままだ。

普段は、タイニーと仲がよくないミスティーだけれど、何かの時はタイニーをかばっていたと言う。

ところが、今はそれどころではないらしい。


 二匹のご主人様は、最後の夜、具合が良くなかった。

電話を掛けてきた娘に、

「風邪を引いたようなので早く休む」と短く告げたそうだ。

次の朝、だれも電話に出ないので、心配した娘は、

近くに住む、従妹のジィニーに、様子を見てもらうよう頼んだ。


 ジィニーはすぐに家に行き、呼び鈴を鳴らす、が、答えはない。

玄関の戸には、鍵が掛かっていた。

裏へ回ると、ベランダの引き戸の鍵は掛かっていないらしく、戸が開く。

テレビは付いたままだ。

そしてジィニーは、椅子にゆったりと座ったまま眠ったように死んでいる叔母を見つけた。

心臓障害だった。

こうして、二匹のご主人様は逝ってしまった。

その夜、唯一そばにいたのは、この猫たちだけだった。


 ミスティーは、ご主人様が椅子に座ると、決まってその膝に座る。

そして、背中をなでてもらう。

ご主人様の息が止まったその瞬間も、

ミスティーはきっとご主人様の膝の上に座っていたはずだ。

タイニーも、隣のソファーに座っていたに違いない。

そして、二匹の猫たちは、朝に人間たちがやって来るまで、

夜通しテレビが付いていたリビングルームで、

静かに、ご主人様と最後の時を過ごしたのだ。


 さて、この残された猫たちは、これからどうなってしまうのだろう。

もう、世話をする人はいなくなってしまった。

ティムの弟妹は、東海岸だけれど別の州に住んでいる。

しかも、それぞれの事情があり、猫を連れて行けないと言う。

私たちはと言えば、数千キロも離れた西海岸に住んでいて、しかも四匹もの猫たちを飼っている。


 ティムは、猫たちが気になるものの、母親を突然に失ったショックと後始末で、考える余裕がない。

それでも、私には、この猫たちを動物保護センターへ連れて行くなんて考えられなかった。


 時間はない。

とにかく私は、ティムに、猫たちを一緒に連れて帰ることを提案した。

そうしなければ、ティムは後できっと後悔する。

後のことは、後で考えれば良い。

もし、うちの四匹の猫たちとうまくいかなければ、新しい飼い主を探せば良いだけだ。


 それで従妹のレイニーにお願いして、二匹を動物病院へ連れて行き、

狂犬病の注射を打ち、その証明書を作ってもらった。

猫の航空券の購入に、その証明書が必要なのだ。


 レイニーは、ティムの一番のお気に入りの従妹で、喜んで助けてくれた。

長男と長女同士で、気が合うらしい。

それに、この二匹が子猫の時に、ここへ連れて来たのもレイニーだった。

他の二人の従妹たちも、猫たちの行方を心配していた。

なぜなら、この猫たちは、元々、数年前に亡くなった、お祖母様の猫だったからだ。


 レイニー自身、トムとジェリーと言う二匹の猫を飼っている。

池や小高い丘のある公園の隣にある、三階建てのゴージャスなタウンハウスに住んでいて、

ペットは、一匹だけ飼うことが許されていた。

だから、初めは猫が一匹だけだった。


 ところが、近所の人が引越しで残していった猫の世話をしていたら、そのままいつかれてしまった。

苦情が出ない限り、飼うつもりだと言っている。

だから、さらに二匹の猫を引き取ることは出来ない。

とは言うものの、その翌年、なんと一匹の犬が、

ひょんなことから、レイニーの元へやって来ることになる。

そしてこの犬が、なぜか、その後私たちが飼うことになる犬に、ちょっと絡んでくるのだ。


 レイニーの妹のジョ−ンは、二百年以上建っている、古い大きな家に、

夫と、ティーンエイジャーの子供たちと共に住んでいる。

その昔、この家の地下室で、逃げた奴隷たちを匿っていたそうだ。

暗くてその当時の歴史を思わせる。

地下室を見せてもらった時、遠い国のお話のような、アメリカ合衆国の歴史上の奴隷問題が、

突然に、現実として迫ってくるような気がした。


 さらにその家の二階に上がると、改装された一階とは違い、部屋数も多く、まるで迷路のようだ。

ティーンエイジャーの息子が、数本のエレキギターなど、物をごちゃごちゃと置いている。

それでも、昔の人々の息づかいを感じる。

仕事をしているジョーンは忙しく、犬もいるので、二匹の猫たちの世話は出来ない。


 末っ子のジィニーは、湖の端にある小さな島に住んでいた。

今は埋め立てられて道が出来たので、陸続きになっている。

そこは別荘などの数件の家々が建っていて、散歩をするのにちょうど良い、こじんまりとした島だ。

ジィニーと夫は、犬のゴールデンレトリバーと、猫のメインクーンを飼っている。

アウトドア派で、私たちは、彼女たちのカヤックで湖や川を巡らせてもらったりした。

動物好きなところも私たちと気が合い、ティムは、彼女を妹みたいに思っている。


 さて、もし私たちが、この二匹の猫を連れて行かなければ、

ジィニーは引き取ることも考えていたそうだ。

とは言っても、二匹のおば様猫たちの方が、この、まだ子供っぽさの抜けない、

活発なゴールデンレトリバーのチェスターと、共に住むのを、好まないかもしれない。

何しろチェスターは、すでに、より社交性のあるレイニーの猫たちを怒らせてしまっている。

チェスターは、ただ猫たちと遊びたいだけなのだけれど、猫たちの方はいい迷惑だと思っている。

とにかくジィニーは、私たちが二匹の猫たちを引き取ったのを、とても感謝していた。


 さて、葬式も終わり、猫たちがご主人様を失って一週間が過ぎ、ここを去る朝になった。

ところがタイニーが見つからない。

家の中の、どこかに隠れているに違いない。 

うっかりしていた。

タイニーは、ずっと隠れていた。

前の晩から、ケージに入れておいた方が良かったのでは、と後悔する。

出発する時間は迫っているのに、私たちはただ焦るばかりだ。

私は、もしやと思い、奥のバスルームのリネンクローゼットをもう一度開けた。

そして、下の段のさらに奥を覗いた。

タオルの後ろに、おびえた目をした猫がいる。

"I found Tiny!"(タイニ−を見つけた!)

と私は叫んだ。


 こうして二匹の猫たちは、それぞれケージに入れられ、飛行機に乗せられ、

もう、二度と戻ることのないコネチカット州を後にした。


 大陸を横断したミスティーとタイニーには、以前の生活の記憶はない。

もっとも、ご主人様の持ち物が置いてあった、あの場所へ戻ることが出来れば、思い出せるだろう。

ところが、そこは、もうなくなってしまった。

ご主人様が住んでいたそのビレッジは、ゴルフをしなくても、

毎月、四百ドル(約四万円弱)ものゴルフ場の維持費を払うと言うのに、入居希望者は多いそうだ。

順番待ちだったから、すぐに売れてしまい、今は別の人が住んでいる。

だから、もう誰も、あの場所へは戻れない。


 以前の住まいのにおいは、我が家に送られてきた家具や、

ご主人様の赤いタータン・プレードのひざ掛けなどに、いくらか残っているだけだ。

そのにおいも、いずれは消えてしまうだろう。


 それに、新しい生活が、この二匹の猫たちを待っている。

どうか、ミスティーとタイニーが、ここで、私たちの元で、

穏やかに暮らせますように。


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