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第3章 Lady Jane-1 初めての女の子

 夏、おそらく7月に生まれたその子猫は、住宅街の裏道をうろついていた。


 ここの夏は、一年中で最も美しく、そして過ごしやすい。

夏は子猫にも優しかった。

晴れた日が続き、照りつけるお日様は熱くても、

湿度は低く、さわやかな風が吹いてくる。

木の葉の緑は力強く艶やかで、子猫を隠してくれる木陰は涼しくて心地よい。

ゆらゆらと、ゆれる木の葉の間から漏れてくる光は、

まるで子守唄のように、昼寝をする子猫を柔らかく包んでくれたはずだ。


 ところが、夏の優しさはそう長くは続かない。

秋になり、雨の降りやすい季節が戻ってくると、

飼い主のいない子猫にとって、寒さに凍える日々となる。

食べ物も少なくなってきた。


 冬になり、霜も降り始めた十二月に、その子猫は保護され、動物保護センターに連れて来られた。

この子猫には、親も兄弟姉妹もいなかったと言う。

もし保護されていなければ、この小さな命は、この冬で終わっていたことだろう。

とは言っても、生き続けるための戦いは、まだ終わった訳ではない。


 アメリカ合衆国では、動物保護センターの事を The Humane Society と言う。

十二月のある週末、私と夫ティムは、二匹目の猫を飼いたいという友人のために、ここへ猫を捜しに来た。

そう、私たちの猫ではない。

しかもティムにとって、彼女は特に親しい友人と言う訳ではなく、

わざわざ貴重な週末を使って、彼女の猫を捜しに来る程の関係でもない。

それなのに、ティムがここに来たかったのは、

四匹目の猫を飼いたいと思っているからで、理由は何でもよかったのだ。


 センターの建物は改装中で、猫たちは、隅の小さな部屋に積まれたケージの中に入っていた。

この日はたくさんの親子連れが来ていて、にぎやかだった。

そんな中で、白に黒の模様で、短毛の小さな猫が私たちの目に留まった。

私たちが声を掛けると、その子猫は顔を上げる。

その時、ティムは、この子猫に恋してしまった。


 その子猫は、そのままケージの角にじーっと座っていてあまり動かなかった。

ノミがいっぱい付いていて、顔も体もまるでノミの運動場だ。

センターは改装中で、動物たちを洗うことが出来なかったから仕方がない。

私は、その子猫の顔が、目の釣り上がった宇宙人のように思えた。

でも、なんだか可愛い。

ティムは、パンプキンヘッドと呼ぶ。

そう思って見ると、そういう風でもある。

とは言うものの、私は四匹目の猫を飼う気にはなれない。

私たちは、そのまま何も言わずにそこを離れた。


 二日後、私は友人を連れて再びセンターへやって来ると、

パンプキンヘッドはまだそこにいた。

私は、友人にその子猫を選んで欲しかった。

ところが選ばれたのは、同じ年頃の別の子猫だった。

それは悪くはない。

選ばれた灰色の長毛の子猫、サッシーは、友人に似合っている猫だと思った。


 それなのに、その時、なぜか、私は泣きそうなくらいにがっかりした。

もしかしたら、この子猫を思うティムの気持ちが、私の心を揺すぶっていたのかもしれない。

それを感じた友人は、私たちがこの子猫を引き取るべきだと言う。

そして私は、するすると、彼女の言葉に流されるように、子猫を引き取ってしまった。

それはティムへのプレゼントになる。


 私と猫が家へ着くと、間もなくティムも戻って来た。

そしてティムは、ペット用の箱がドアの所に置いてあるのを見つけ、

「もしかして?」と期待する。

箱を開けると、その子猫はティムを見上げ、小さく鳴いた。

ティムの顔にも、笑みが浮かんだ。

それからすぐに、私たちは子猫を洗ってやる。

その小さな体には、なんと、二百匹以上のノミが付いていた。

洗って、乾いたタオルで拭いてやり、ドライヤーで乾かし、暖かくして抱いてやると、

子猫は安心して眠りはじめた。

レディジェーンと名前を付けることにする。


 ところが、翌日、動物保護センターから、

「この子猫はエイズにかかっている恐れがあるので、再検査するように」と連絡があった。

私たちはショックを受けた。

「ここまで、生き残るために、がんばってきたのに!」

と、小さいレディジェーンが可愛そうに思えてならない。


 私たちは、すぐにセンターに戻って再検査してもらう。

嬉しいことに、猫エイズにはかかっていなかった。

ノミがたくさん付いていたため、貧血を起こしていたので、

係り員が、検査結果の数値を見間違えたのが原因だろう、と言われた。

とにかく私たちは、安堵する。


 さて、ロマノフとハプスブルグは新入りのレディジェーンを、

「こいつは誰だ」と威嚇する。

当時、二匹のオス猫たちは一歳四ヶ月、レディジェーンは五ヶ月の子猫だ。

一歳年下の小さなレディジェーンは、自分の立場をわきまえているようで、それを受け止めじーっとする。

ところが、レディジェーンは我が家に来てすぐに風邪を引いてしまった。

センターで、すでに風邪のウィルスに侵されていたらしい。


 保護センターにはたくさんの動物がいて、中には病気になってしまったのもいる。

たとえ、センターへ連れて来られた時は問題なかったとしても、

病気に罹ったと診断されると、他に移さないよう、すぐに殺処分される。

このセンターは、殺処分ゼロを目指してがんばっているけれど、それにはかなりの費用がかかる。

それに比べ、無責任な飼い主たちは多すぎる。

日本でも、一日、千匹ものペットを処分するそうだ。


 「たかが風邪を引いたぐらいで」とも思うけれど、

確かに風邪が広がってしまっては困る。

だから、もしレディジェーンを引き取るのを少しでも遅れていたら、殺処分されていたかもしれない。

早々にペギーの所へ連れて行き、注射を打ってもらい、飲み薬を与えて快方を待つ事にした。


 私の腕には、レディジェーンが注射された時にできた、爪の深い傷跡があった。

ペギーから、

「注射液に、食欲を増す効果のあるものも加えたので、

注射の時に刺すような痛みがあるから、レディジェーンをしっかり押さえるように」

と言われていたのに、押さえきれなかった。

その傷は、彼女を引き取った勲章かなと思っていたけれど、

数年後、いつの間にか消えて無くなっていた。

 

 風邪のため、レディジェーンは鼻が詰まってしまったらしく、

「ぱぁーっぱぁーっ」と、苦しそうに口を開けて息をする。

その頃、私はスキーで膝を痛めてしまい、あまり動けなかったので、

レディジェーンを私の胸に乗せて横になり、数日間暖めた。

レディジェーンはまだ小さくて軽かったので、ずーっと乗せていても苦にはならない。

猫の風邪は、人間には移らないそうだ。

そうして少しずつではあるけれど、レディジェーンは元気になっていった。


 その間、威嚇していたはずのハプスブルグは、まるで、お兄ちゃんが妹を心配するかのように、

何度も何度も、病気のレディジェーンの様子を見に来ていた。

それで、かえって、自分も風邪を移され寝込んでしまった。

と言うことは、レスリング好きのロマノフの遊び相手がいなくなってしまったことになる。


 仕方がないのでロマノフは(というより遊び相手の代わりがいたので喜んで)

回復したレディジェーンと遊ぶ。

ここで、怖がりだけれど、いつも他人任せのロマノフの性格が、またもや役に立つことになる。

昨日の敵も今日の友、と言うわけだ。


 その後、今度はロマノフが風邪を引いてしまい、

元気になったハプスブルグが、レディジェーンと遊ぶ。

もちろん、免疫力の強いフリスキーは、何の問題もない。


 転入猫の騒動も、ちょっとの間だけで、すべて丸く収まってしまった。

ただ私の方は、かわるがわる風邪を引いた三匹に、

一ヶ月もの間、八時間おきに薬をやり続けなければならないという苦労があった。


 とにかく、レディジェーンはロマノフの格好の遊び相手となった。

小柄で、身のしなやかなレディジェーンは、

ドタバタするロマノフを上手に交わす。

大きくなりすぎたロマノフを、もてあましていたハプスブルグは、

これでやっと一息付いた。

そして負担が減ったので、迷惑がらずに、再びロマノフと仲良く遊べるようになった。


 小さくて短毛の妹、レディジェーンは、

毛がふかふかのお兄ちゃんたちに寄り添い、なめてもらい、暖かくしてもらって一緒に寝る。

三匹はとても仲が良い。

こうして我が家は、新しい猫を増やしたので、

一石二鳥はもとより三倍もの幸せを得た。

思ってもみなかった嬉しい展開だ。


 毛深い(と言うか、毛がふかふかの)男どもの中に咲いた、

一輪の花のような可愛い女の子、小さなレディジェーンは、

お兄ちゃんたちに可愛がられ、まるでシンデレラ姫のように幸せになった。

めでたし、めでたし。


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