表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジェリーフィッシュ実験記  作者: 八雲雷造
第1章 誰が為にキマイラは生まれる
16/18

13.もうひとりアンサラー

前回までのあらすじ:

総勢80人のモルモットたちが、白川教授の元に集まった。

自らの身に起きた変化について知り、自分たちはもはや人間ではないと感じた彼らに、

一人のアンサラーがさらに冷たい現実をつきつける。



 ドアが開くと、部屋にいるモルモットたちはいっせいにふり返った。入ってきたのは一人の女性だった。濃いグリーンのドレスに身を包み、グレーのカーディガンを羽織っている。結婚式に出席していたのだろう、手には引き出物の入った大きな紙袋を持っていた。

 女性は美しかった。特に、エキゾチックな太い眉と陶器の美術品ようにきれいな形の唇が、見るものに強い印象を与えた。彼女こそがもうひとりの「アンサラー」、天野雪である。


 天野雪が部屋に入ると、すかさず入り口近くの若い男が席を譲ろうとしたのだが、彼女はそれを断り、軽く会釈をした。


 白川は名前を確認した。「お名前は?」


「天野です」

「ああ、天野さんですね。恐縮ですが、話を続けさせていただきます。我々が人間の形をした別の生命体になってしまったというのがこれまでの話でした。ここからは、我々がどう行動をするべきかという話になります」


 天野雪は「わかりました」という風にうなずいた。白川は続けた。


「私たちがこのような身体になってしまったことは、いずれ社会に知られるでしょう。これは時間の問題です。その時、モルモットのように扱われるか、人間として扱われるかは、私たちの行動にかかっている。

 私たちが危険で恐ろしい怪物だと思われれば、我々の人権は認められないでしょうが、我々が社会にとって有益な力を持った存在だと認められれば、そうはならないでしょう。

 私は後者の道を歩みたい。そのために最善の策を尽くしたいと思っています」


 何人かの者がうんうんとうなずいた。


「皆さんにはそのために力を貸していただきたい。皆さんと協力して、“人間”として、社会の中で生きていきたいのです」


 白川はペットボトルの水を飲んでから続けた。


「まずやらなければならないのは、我々の身に起きたことを正確に世間に伝えることです。私はここ一週間でまとめた調査の結果をレポートにまとめ、公表しようと考えています。

 そして次に、我々の身に備わった変化が、社会に役立つことを示すこと。たとえば、私は外傷が瞬時に回復する身体となりました。この細胞を活かせば、様々な不幸を無くせるはずです。それに科学や医療の発展に大きく寄与できる」


 より多くの者がうんうんとうなずいた。先ほどまで部屋に充満していた暗い空気が、白川の発言と窓から差し込む西日によって徐々に明るいものとなっていった。


 しかし、懐疑的な者も多かった。気弱そうな男が手を挙げ、こう言った。


「臨時危機管理委員会の説明会では、周りにこのことを漏らしてはいけないと言われていますよね。私たちが独断で行動を起こすのはどうかと思いますが。国に任せればいいのでは?」


 年端のいった女性が同意した。


「そうですよ。彼らは私たちの安全と健康を第一に考えていると言っていたし」


 白川は答えた。


「彼らをあてにしてはいけません。もう一週間も経っているのになんの音沙汰もないのですよ。こんな状況だというのに何もしていない。どこかおかしいんです。だから我々自身の力で行動を起こさなくてはいけないと思うのです」


 気弱そうな男が反論した。


「しかし、国の命令に逆らってそんなことをしたら、それこそ反社会的だと言われざるをえない。私はおとなしくしているべきだと思います」


 何人かのものがそうだそうだと首を縦に降っている。

 その時である。天野雪が立ち上がり、話し始めた。


「遅れてきたところすみませんが、少しいいですか? しゃべって」


 白川はどうぞと言った。


「私には色々な答えを導き出せる力が備わっています。頭のなかにGoogleが入っているみたいに、知りたいことがすぐにわかるんです」


 天野雪は教室の前へと歩き出した。ハイヒールの音がコツコツと部屋の中に響いた。


「そんな私がこの一週間で得た知る限りの情報をお伝えしますね。無駄な議論をなくすために。

 まず、先週の土曜日に説明会を開いた臨時危機管理委員会という組織は存在しません。あれはデイヴィスという人物を装ったエイリアンが開いた会です。

 皆さんはあの日の昼頃、デイヴィスの訪問を受けたはずです。気づいた方も多くいらっしゃると思いますが、彼は昼頃の約2時間の間にあの説明会に来たすべての人物の元を訪れています。おかしいでしょう? そんなことは不可能なはずですよね。

 そしてお察しの通り、彼が我々をこんな風な体にした張本人なのです。

 『オレンジ色の部屋の夢』でワトソンと名乗った人物は、デイヴィスと同一もしくは仲間のような存在だと考えられます」


 不思議なことに皆、彼女の発言に異議を唱える者はいなかった。皆、何となく考えていたことだったのだ。それに、天野の口調には、異論を差し込むような隙はまるでなかった。歴史の教科書を淡々と音読しているかのような感じなのである。


「ですので、委員会の行動を待っていても何も起きません。彼らこそが我々の細胞を弄りまわした挙句、人間とエイリアンのハイブリットに改造して野放しにしたのですから」


「となると、そのワトソンやデイヴィスと名乗るエイリアンたちは何が目的なのでしょうか」


 白川が尋ねた。


「わかりません。あまり私たちの行動に介入してこないことを考えると、観察が主な目的なのかもしれません。ちょうど白川さんがネズミを使って実験をされている時のように」


 リンダは、彼女が自分と同じような考えを持っていることに気づき、何となく嬉しい気持ちになった。しかし、彼女のその行動には少し違和感を持った。このタイミングであの能力をさらけ出してしまうことに、彼女にとってどのようなメリットがあるのだろう。

 この場のリーダーにでもなりたいのだろうか。

 いやちがう。


 天野雪は続けた。


「白川さんのおっしゃったことはよくわかります。現時点で国が全く関与していない以上、何らかの形で私たち自身がアクションを起こすべきです、我々が今後も正当な権利を持ち続けるためには」


 白川はうなずいた。


「でも、結論から述べさせていただきますと、私は白川さんの提案に賛同はいたしません。白川さんの考えていらっしゃるよりも状況が深刻だからです」


 部屋はしーんと静まり返った。


「これは地球外生命体が人類に干渉をした初めての事例です。国際社会が黙っていない。我々の力が社会に及ぼす影響を知れば、アメリカや中国、ロシアなどの大国は人類の安全という大義の元に、我々の身柄を何としてでも得ようとするでしょう。日本はそれに逆らうことができるでしょうか?

 私たちの身に起きた出来事は人類存続に関わる大事件であって、したがって私たちはモルモットのように扱われるべく宿命づけられているのです」


白川はひどくうろたえた様子でこう尋ねた。


「ではもうなす術はないと?」


「例えば、我々がこの力を使って人類を支配するとか、そういうことをすれば大丈夫かもしれませんね」

「ご冗談を」

「いいえ、これは冗談ではありませんよ」


 部屋にいるたいていの怯えたモルモットたちとは違って、天野雪はひどく落ち着いており、皆は彼女のその異常な冷静さに恐怖すら感じていた。天野は感情の欠いた声でこう続けた。


「でも私にはそんなもの興味ありません。血の滲むような働きをしなければなりませんからね」


「どうしろと?」


「私は白川さんの行動に賛同はしませんが、否定もまたしません。みなさん自由に行動されればいいと思いますよ。ただ、これは忠告ですが、人々が我々の存在を受け入れることはかなり難しいと思います。私たちの“仲間”はすでに何人も人を殺していますし、爆弾遊びをしている人もいるわけですから。

 ネット上にはすでに悪魔のレッテルが大量に準備されています。正体が知られた時、そのレッテルは私たちの背中に見境なく貼られることになるでしょうね」


「そうとは限らない。方法はあるはずだ」


 白川は強めの語気でこう言った。


「もちろん、わかりません。単なる想定ですから。人類を救う天使のような存在だと思ってもらえるかもしれませんね。でも私は苦しい思いをしたくないんです」


「ではどうするのです?」


「私は日本を離れます。その時が来るまで自由気ままに人生を楽しみます。みなさんもよく自分の人生について考えたほうがいいですよ。いつまでまともな生活を送れるのかわからないわけですから、有意義な時間を過ごさないと」


 そう言うと、彼女は席に戻り、荷物をまとめて部屋を出た。あっという間の出来事だった。遠ざかるハイヒールの音が部屋の中にわずかに響いている。


 リンダはすぐに彼女の後を追った。


「あの!天野さん!」


 リンダは後ろから声をかけた。彼女は階段を降りているところだった。

 天野雪は驚いて振り返った。


「天野さん、なぜあんなことを言ったのです?」

「なぜって、あなたは?」

「あんなことを言っていながら一番リスクを冒しているのは天野さん自身ですよ。その力が知られてしまえばあなたは誰かに狙われるかもしれない。顔もわれてしまった。何も言わずにひっそりと日本を去ればよかったのに」


 天野雪はリンダの質問には答えずにこう言った。


「あなた、私と同じなのね」


 リンダは黙ってうなずいた。天野雪はそれを聞くと笑った。


「そうねえ、最後の善行って感じ。可哀想な皆さんにできるだけ情報を差し上げたかった。それだけ」


 リンダは何かを言おうとしたが、言葉は出てこなかった。リンダはただ黙って天野のことを見つめていた。


 すると、天野雪はリンダの方へ近づいて手を握った。


「あなたも私と一緒に来る?」

「え?」

「私と一緒に世界を回らない? 私たちなら楽しい時間を過ごせると思う」


 その提案は予想外のものだった。予想外で、とても魅力的だった。天野雪は顔を上げ、リンダのことを見つめた。

 美しい女性にこうされて心の揺さぶられない男がいるであろうか。


 リンダはなんとか平静を保ちながら天野雪の目を覗き込んだ。そして、その奥にある感情を読み取ろうと努めた。


 意外なことに、その黒い瞳の奥に見えたのは、ひとりの寂しい女の姿だった。先ほどまで見せていた冷徹な強さは、そこには微塵も感じられない。


 リンダの心は震えた。

 何もかもを捨て、目の前に開かれたロマンスの扉に飛び込みたい。目の前の美しい女性とともに自分たちだけの世界を築き上げるのだ。この国を捨て、友を捨て、恋人や家族、親しい人々を捨てて。


 しかし、何かがそれをとどめた。


 リンダが何も答えずに固まっていると、天野雪が言った。


「冗談よ」


 天野雪は悲しそうな笑顔を見せ、手を離した。


「あなたはここに留まってやるべきことをやりなさい。とてもきついと思うけど。それを望んでいるんでしょう」


 リンダは不器用に笑った。


「最初、天野さんの話している姿を見たとき、僕はあまりに無機質な印象を受けたんです。それで、この力を持つ人は皆、人間らしさを失っていくのかと思ってしまった」


 天野雪は首を傾けた。


「でも今こう話してみると、とても人間らしかった」


 天野雪は微笑んだ。

「この力を持ったからと言って人間味を失うわけじゃないと思う。人間味を失うときがあるとすれば、それは自分が無くしたいと思った時よ」

「なるほど」

「だから、あなたもアンサラーであることを怖がらないで。グレートブレインはあらゆる存在の味方だから」

「アンサラー、グレートブレイン?」


 天野雪はリンダの目を見てうなずき、手を離した。するとリンダは言った。


「天野さん、最後に何かアドバイスをいただけますか? 先輩として」

「先輩?」

「はい。アンサラーの先輩として」


 天野雪はふっと笑った。

「先輩じゃないわ。でも、一つだけ。タダキョウを捕まえにいくつもりなんでしょう? それなら山村くんを連れて行ったほうがいい」

「誰です? 山村って」

「アシッドボーイの山村くん」

「・・・探してみます」


 天野雪は励ますような優しい微笑みを浮かべた。


「じゃあ、もう行かなきゃ」

「また会いましょう」

「生きていたらね」

「生きていますよ。お互いより良い世界で生きていますよ」

「楽しみにしてる」

「良いご旅行を!」


 天野雪は手を振り、歩き出した。ハイヒールが小気味よく階段を鳴らしていった。


  *


 さて、天野雪が部屋を出てから、白川をはじめとするモルモットたちはしばらくの間、何も口にすることができなかった。状況に絶望したのである。


 しかし、百瀬の提案が、この沈黙を破った。


 百瀬は持ち前の合理的判断力とカリスマ性を発揮し、彼の提案はすぐにモルモットたちの結束を生み出して、そしてその日のうちに協力して一つの行動を起こすに至った。


 実に見事な人物である。モルモットたちが初めて組織的な行動をとったこの歴史的瞬間を、私は深い感動を持って観察した。その行動の名を彼らは「ゲシュタポ計画」と呼んだ。


「なるほど、まるで秘密警察だ。ゲシュタポですね」


 一人の老紳士の放ったこの発言によって、そう名付けられたのである。



毎週火曜日に投稿予定です。


ブックマーク、評価、感想よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ