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ジェリーフィッシュ実験記  作者: 八雲雷造
第1章 誰が為にキマイラは生まれる
15/18

12.もはや人間ではないのかもしれない

前回までのあらすじ:

渋谷駅のホームで発生した謎の閃光。これを浴びた人々は、翌日、異常な力を手に入れたことに気づく。彼らは白川教授の提案により、自分たちの身に起きた出来事と今後とるべき行動ついて情報共有の会を開くことにする。



 白川教授の開いた集まりには、80人を超えるモルモットたちが出席したのだが、この集まりが実験に及ぼした影響は計り知れない。影響力の強いモルモットたちが一堂に会し、その後の彼らの行動を方向付けるきっかけとなったのだ。そして、この場で各人が定めた行動の方向性は、彼らの今後の運命を大きく左右することとなった。


 この実験記における歴史的な局面であったのである。


 白川教授はこの一週間、文字通り寝ずに研究を続けた。そしてこの日の朝にようやく納得のいく仮説を組み立てることができた。細かいところを見れば、解明できていない要素は数多くあったが、40人に及ぶモルモットたちの身体検査を通して、自分たちの体に「いま起きていること」をなんとなく把握することはできた。

 それは生物学的な常識から言えばありえないことであったが、彼はもう、常識外れな物事に驚かなくなっていた。40人のモルモットたちが見せた超常現象や、異常な特性の数々が彼をそうさせたのだ。


 白川は調べた内容を簡潔にパワーポイントにまとめ、Facebookのイベントページをチェックした。そして時間まで少し仮眠をとることにした。


 眠りはすぐに訪れた。温かい泥のような眠りの中で、白川は夢を見た。


  *


 夢には、赤ちゃんが出てきた。


 彼の生徒である大倉と吉田華の間に生まれた赤ちゃんである。白川は赤ちゃんを抱っこしてよしよしと言いながらゆっくりと揺らした。


 白川が2人に尋ねた。この子の名前は決めた?


 すると、赤ちゃんが低い男性の声でしゃべり始めた。


「我輩はエイリアンである。名前はまだない。ところで先生、僕はこの先どうすればいんだろう。こんな風にして生まれてきてしまったんだ。この先が心配だよ。助けてくれるかい?」


 戸惑った白川は大倉と華の方を見た。2人はニコニコしながら赤ちゃんを眺めている。赤ちゃんが続けた。


「あんたのやろうとしていることはとても立派だと思うよ。科学の進歩に大きく貢献するし、多くの人々を救うかもしれない。でもね、人はそんなに強くないんだ。あんたの主張には誰も耳を貸さないよ。怒る人も出てくるだろう。そして怒った人たちはあんたのことを殺すんだ。グサグサと刺してね」


 赤ちゃんは高笑いを始め、驚いた白川は赤ちゃんを落としてしまった。

 華は「きゃー!」っと悲鳴を上げ、大倉が鬼の形相で白川に迫った。


「僕たちの子供に何をするんだこの野郎!」


  *


 目を覚ました時、白川は大量の冷や汗をかいていた。嫌な夢だった。やはり体を酷使し続けて、気づかないうちにストレスをためていたのかもしれない。そう考えた。夢のことが気になったので、大倉に電話をしてみた。


「あ、先生。今向かっているところです。教室はH401ですよね?」

「ああ。大丈夫。少し狭いが80人ならなんとか入るだろう」

「そうですね」

「ところで、子どもは元気かい?」

「はい、夜泣きが激しいですが健康です」


 説明が抜けていたようだ。

 

 24日の夜、大倉と吉田華の間に子どもが生まれた。驚いてしまってもおかしくはない。


 モルモットたちは皆、生殖能力が爆発的に向上している。例えば、男性の生殖細胞は受精能力が極めて高いし、女性の子宮では受精後の胎児の成長が著しく早い。

 したがって、モルモット同士が避妊を行わずに生殖行為を行うと、ほぼ100%の確率で妊娠し、そこから約15時間後には出産を迎えることとなる。


 大倉たちの子の他にも、実はすでに4人のモルモット2世が誕生、もしくは胎内に存在しているのだが、この話はまた後ほどさせていただこう。


 吉田華は、子どもがこのような形で生まれてしまったことに対してとてつもなくうろたえ、また自己嫌悪に陥ったが、しだいに子どもを大切に愛でるようになった。

 華の両親は父の仕事の都合でアメリカに住んでいるため、このことは知らなかった。彼女は一人暮らしなので、子どもが生まれてからは白川の家に居候をしていた。そこではすべての事情を知る白川の妻が面倒を見た。

 大倉は毎日そこに足を運んだ。


「吉田さんも大丈夫そう?」

「はい、落ち着きました」

「そうか。よかった。一度研究室に寄ってくれないか? 手伝ってほしんだ。生物の社会人講座ということになっているからね。念のため資料を印刷しないといけない」

「わかりました」


  *


 リンダとイヌイはこの日、朝からスロットでお金を稼いでいた。この日は2人合わせて14万円の収入を得た。着実にお金が貯まっていた。


 2人は駅のコインロッカーに着替えや旅の道具が入った荷物を預け、何が起きても大丈夫なよう備えていた。今回の集まりで、自分たちにとって不利な展開にならないとは限らない。


 駅から教室までは思っていたよりも遠く、2人は早歩きで向かった。

 大学構内に入ると、長い髪のすらりとした女の子が同じ方向に向かって歩いているのが見えた。レザージャケットのポケットに両手を入れ、ヘッドホンで音楽を聴きながらゆっくりと歩いている。かなり短いショートパンツを履いていて、後ろ姿が非常にセクシーだった。

 2人はその少女を追い抜かし、ちらと顔を見た。若者の考えることは同じなのである。


 うわ、可愛いな。脚すごいきれい。

 いくつだろう。めっちゃセクシー。


 2人はそんな風なことを考えた。

 すると髪の長い少女はチッと舌打ちをして2人を睨んだ。その瞬間に、リンダは思った。やばい、考えてることバレてる。


 リンダはそそくさと、歩みを速めて少女から離れていった。

 イヌイは、「もう一度見たいが、振り返るのは不自然だな、やめよう」などと考えながらリンダの後をついていった。


「早いよ、もう大丈夫だろ。間に合うよ!」


 リンダは振り返り、小さな声で言った。


「違うよ、あの娘わかるんだよ。おれらの考えていることが」

「え?」

「イヌイ、なんか変なこと考えてないよな?」

「いや、セクシーだなと思っただけだよ」

「ならいいけど。おれは脚がきれいだとか思ってしまった」


 イヌイは笑った。

「まあ、普通だろ、それくらい」


 そんな会話をしているうちに、2人は教室に到着した。すでにたくさんの人が集まっていた。


  *


 予定通り午後の2時に、社会人講座「日常生活に活かす生物学」を装ったモルモット会合が始まった。


 私、ワトソンは、その様子をワクワクとした気持ちで眺めた。

 たくさんの可愛いモルモットたちが集い、今後の実験の方向性が決まるような大切な意見交換がなされるのである。ワクワクしないわけがなかろう。


 フラミンゴのようにつんとすましたモルモットもいれば、虎のように威圧的なモルモットもいる。子犬のように周りに愛嬌を振りまく友好的なモルモットもいれば、年老いた猫のように周りにはまるで無関心なモルモットもいる。モルモットのようにちょこまかと動き回るモルモットもいれば、人間のようにああだこうだと主張をするモルモットもいる。


 このように、とにかく見ていて飽きないのである。


 狭い教室は80人が入るといっぱいになった。半分ほどの人は席に座ることができず、壁や窓際に立って話を聞くことになった。


 リンダとイヌイは前の方の窓際に立っていた。近くの席にはハゼイと佐々木が座っていて、白川が来るまでの間、かんたんに話をした。


「よお、久しぶり。この前の戦いごっこは楽しかったね。またやろう」

「いやですよ。あのルールだとイヌイさんには勝てっこありませんから」

「ところで、リンダさん、イヌイさん、例の委員会から身体検査の連絡は来ましたか?」


 佐々木が尋ねた。


「いや、来ないね」

「そうですか。やっぱおかしいよ。こんな状況なのに一週間も何も動きがないなんて。おかしくないですか?」

「そうだね」

「リンダさん、いつ連絡くるとかわかりません?」

「うーん、わからないなあ」


 話を聞いていたひとりの子男が会話に加わった。


「やはり、これはエイリアンの仕業なんでしょうかね」


 子男の名前は温田(ぬくた)という。機関車トーマスのようなくりくりとした優しい顔をしていて、子豚のようにむくむくと太っている。


「おお、これは、温田さん」とハゼイ。

「こちら、リンダさんとイヌイさんです」

「どうもどうも。温田と申します」

「温田さんは温度を下げられるんですよ」と佐々木が言った。


「そうですか」

「はい、そうなんです。名前は温かい田んぼと書くのですが、私に備わったのは冷やす力でした。これはエイリアン流のユーモアでしょうかね」


 そう言って温田はふほほほほと笑った。リンダとイヌイも愛想笑いを浮かべた。温田はセルC-018「クーラー(冷却)」を培養されている。


「物とか空間を冷やすことができるのですね?」

「そうなんです。暑がりなもので私にはもってこいの力です。現に今も私の周りはクーラーをガンガンきかせたようによく冷えています」


 白川が教室に入ってきた。それと同じタイミングで先ほど前を歩いていた髪の長い少女も入ってきた。彼女は、そのまま入り口付近に立ち場所を見つけた。リンダが彼女の事を眺めていると、目があった。


 リンダはそのまま、「君は人の考えが読めるんだね」と頭に思い浮かべた。


 すると、リンダの頭で「うん。なぜわかるの?」という声が聞こえた。

 リンダは「なんとなく。さっきはごめんよ、嫌な気持ちにさせて」と答えた。

 返事は返ってこなかった。


 彼女は、ユウという名前の17歳の少女である。彼女にはセルA-017「コミュニケーター(思考通信)」が培養されている。


 白川は、パソコンをプロジェクターに接続し終えると、話し始めた。


「今日はみなさん、ご足労いただきありがとうございます。今、大倉というものが携帯の画面を確認して回っています。Facebookページか、私とのメールのやり取りを彼に見せてください」


 大倉によるチェックが終わると、白川は本題に入った。


「この一週間、私は約40名の方に協力いただき、我々の体に何が起こっているのかを調べてきました。今日はその内容を報告させていただきたいと思います。そしてこの先どうすればいいのか、ご相談させていただきたい。

 

 はじめに申し上げますが、我々は病気ではありません。状況はもっと深刻なのです。あるいは、考え方によっては、我々の体に起きた変化は歓迎すべきものなのかもしれません。というのも、生存を目的とした生物という観点からみれば、我々にもたらされた変化は非常に有益なものであるからです。

 私の把握している限り、我々にはこのような変化がもたらされています」


 白川はプロジェクターで投影されたパワーポイントのスライドにレーザーポインターを当てた。そこにはこのように書いてあった。


①基本的な身体能力・認識能力の向上

②代謝機能の向上

③免疫機能の向上

④生殖機能の向上

⑤光合成的はたらき

⑥特殊能力?


「みなさん、感じていらっしゃる方も多いと思いますが、我々の身体機能はあらゆる側面で通常よりも高まっています。検査にお越しいただいた皆さんには、垂直跳びや握力、視力検査などの簡単なテストをさせていただきましたが、みなさん非常に優秀な成績でした。個人差はありますが、それぞれスポーツ選手に引けを取らないレベルのものでした。また、ウィルスや細菌への耐性も上がっている」


そう言って、白川は③を指した。


「さらに驚くべきは、生殖能力もありえないほどに高まっているということです。現に、私は2人、妊娠をした方を知っていますが、彼女たちは受精から1日足らずで出産をしています」


 部屋の中がどよめいた。


「そして、その子どもたちにも、我々と同じような身体特性が引き継がれています」


「うそだろ」


 と誰かがつぶやいた。


「そうなんです。我々はもう人間ではないのかもしれないのです。エイリアンかもしれない」


 白川はこれを冗談のつもりで言ったのだが、誰も笑うものはいなかった。


「この変化は突然変異という言葉で表現するにはあまりにも激しすぎます。

 おまけに、我々は光を肌から取り込むことで、体内の水や窒素、二酸化炭素などを元にタンパク質やグルコース、ビタミンなど、我々の体に必要な養分を生産することまでできてしまう。もちろん、酸素も簡単に生成できてしまう。私は試しに水の中で呼吸を止めてみましたが、光さえ当たっていれば呼吸をする必要がなかった」


 リンダの隣の若い男が息を止めた。他にも何人かの者が息を止めた。

 白川は続けた。


「ここまでが、私たち全員に訪れた変化です。先ほど申し上げた通り、これは病気なんかではない。我々の体は何か別の生物になってしまった。もちろん、原因はわかりません。しかし、細胞を分析をしてみて、いくつかのことに気がつきました」


 白川はスライドを送った。


「まず、私たちの細胞はまるでそれ自体が一つの生物であるかのように自律して生存することができるのです。そしてマウスへ移植するとマウスの細胞に浸透し、我々と似たような特徴を帯びるようになる。そしてDNAにはより複雑な螺旋構造が形成される。

 おそらく、これと同じようなことが我々の身にも起こっています。こういうSFのようなことが私たちの身に起きているのです」


 ここで質問が出た。質問をしたのは茶色いスーツに身を包んだ初老の男である。


「ということは、私たちは複数の遺伝情報を持つキマイラとなったということですか?」

「そう考えていただいて差し支えありません」

「なんてことだ」


 白川は続けた。


「そして、我々の細胞には人それぞれ違った遺伝情報が組み込まれている。それに応じて細胞の組成も少しずつ異なっているのです。皆さんの持つ異常な力はその遺伝情報に応じて決まっています」


 部屋の中はかなり重苦しい空気になっていた。

 

「もはや自分は人間ではないのかもしれない」


 この一週間、多くのモルモットはそのような重苦しい問いに苛まれてきた。この問いに対して得られた答えは「キマイラ」問いう耳慣れない不気味な響きの言葉であった。

 「キマイラ」という言葉の響きは、まるで真っ黒に巣くった虫歯菌のように、部屋の隅々にまで暗い影を落とした。


 白川は神妙な面持ちで伝えた。


「その異常な力には、実に多様なバリエーションがありました。便利なものから危険なものまで。中には、日常生活を送ることが困難になるようなものまでありました。実際に、人里離れた森の中での生活を余儀なくされている方もいます。その方は周りに迷惑をかけないよう、自分の意思で生活を捨てたのです」


 リンダは白川の目の動きを見逃さなかった。彼の目は、最前列に座る百瀬の姿を捉えたのである。百瀬はひどくやつれているように見えた。

 ふと、リンダは思った。森での生活を余儀なくされているというのは百瀬さんの近しい人なのではないだろうかと。

 頭の中に「Yes」という答えが浮かび上がる。それは百瀬のフィアンセであった。


 百瀬のフィアンセには、セルA-059「デススター(活力吸収)」が培養されている。「デススター」は、生命体の生命エネルギーを吸収し、自らに還元することができる。周りの人々は徐々に生きる気力を失い、代謝は衰え、細胞は弱る。植物や動物も同じである。それと引き換えに、彼女は並外れた生命力を得るのだ。彼女についての物語は、また別途、述べさせてほしい。

 こんなことを言うと人間たちの反感を買うかもしれないが、とても悲しく美しい一幕が生まれたのである。そしてその一幕は、この実験を大きく揺り動かすきっかけとなった。


  *


 白川はこの後、この場にいる者たちに一つの提案をした。それは白川の考えた、「キマイラ」たちの生き残る道であった。しかし、それに対して別の提案をする女が現れた。


 もうひとりの「アンサラー」、天野雪である。



次回の更新は12月17日(火)です。


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