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ジェリーフィッシュ実験記  作者: 八雲雷造
第1章 誰が為にキマイラは生まれる
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9.オレンジ色の部屋の夢



 広い部屋にいる。学校の教室2つ分くらいの広さだろう。壁と天井はオレンジ色に塗られている。オレンジのような鮮やかなオレンジ色だ。


 天井には丸い電球が等間隔に並んでいる。壁にはドアが一つと窓が一つ。窓にはオレンジ色のカーテンがかかっている。窓から入るそよ風でカーテンがかすかに揺れているが、外の様子は見えない。


 部屋の真ん中にはプールがある。小さなホテルにあるような小さなプールだ。プールの近くには、テーブルが一つあって、そこにはテレビが置いてある。


 わたしはテレビをつけた。


 『トムとジェリー』がやっていた。トムが庭で寝転んで美味しそうにサンドイッチを食べている。


 わたしはしばらくテレビを見ていたが、やがてどこからかアナウンスが流れた。どうやら天井についているスピーカーから音が出ているようだ。無機質な女の人の声がこう言っている。


「それでは、始めます。準備はいいですか? あなたはこれからこのプールで20分間泳ぎ続けなければなりません。そしてその間、足を底につけてはいけません」


 映画館の上映ブザーのような音が鳴った。わたしは服を脱いで泳ぎ始めた。泳ぎ始めると音楽が鳴った。聞き覚えのある曲だ。


 あ、これはThe xxのVCRだ。わたしはそう思った。やっぱりいい曲だ。そんなことを考えながら泳いでいると、いつの間にか20分が経っていた。


 わたしはプールから上がった。テレビが消えている。わたしはテレビの前に立って真っ暗な画面を眺めた。自分の姿がおぼろげに反射している。と、突然、テレビがついた。


 緑色のTシャツを着た白髪の欧米人がニコニコと笑ってこっちを見ている。


「私はワトソン。ブルーノ・J・ワトソン、よろしくよろしく」


  *


 リンダは目を覚ました。

 奇妙な夢だ。そう思った。そして珍しく細部まで鮮明に記憶がある。オレンジ色の部屋、プールで泳いでいる感覚、VCRという曲、ワトソンと名乗る男。

 それにしても、夢の中の自分はまるで別人のようだった。別の誰かになったような気分だった。


 リンダはYoutubeでVCRという曲を調べてみた。白黒の映像とともに流れた音色は、夢で聞いたものと同じだった。一度も聴いたことがない曲なのに、なぜあのような、聴き覚えのある感じがしたのだろう?


 リンダはふと思い立って、Twitterで「VCR」と調べてみた。すると、朝の5時半であるにも関わらず、数十人の人が夢で「VCR」を聴いたという趣旨のツイートをしていた。

 さらに驚いたことに、彼らがTwitterで描写する夢の情景や展開は、リンダの見たものと細かく一致していた。


 リンダは洗面所で髪染め液を髪に塗りながらあれこれと考えた。


 これも例の閃光のせいだな。あの場にいた誰かの夢が多くの人々に共有されたんだろう。そういう力を誰かが手に入れたんだ。

 だとしたら、あの夢に何か意味はあるのだろうか? 特に最後に出てきたあの人物、ワトソンという男。彼は一体何者なんだ。

 もしかしたらこの一件の主謀者かもしれない。そんな気がする。いや、そうに違いない。昨日の説明会にいたデイヴィスという男もおそらく彼の仲間だろう。やはり不自然だと思ったんだ。でも彼らは一体何者なんだ。本当にエイリアンなのか?


 だとすると彼らの目的は何なんだ?


  *


 「アンサラー」にとっては、このような推定はごく自然で簡単なものであろう。彼の考えは概ね正しい。


 あの夢は、9月24日早朝4:54から5:22までのあいだに睡眠中だったほとんどの日本国民が見た。これはセルA-042「ドリーマー(夢放映)」を培養されたモルモット、陽二郎という男によって引き起こされた現象である。


 「ドリーマー」は自身の見る夢を、同じ時間に寝ている主体の意識へ投影することができる培養体である。ドリーマーから近ければ近いほど、その夢は鮮明に届く。東京からであれば、広島や仙台あたりまでだろう。A-042はこのように、広範囲かつ同時多発的な意識連携ができる非常に希少なセルなのである。


 「ドリーマー」となった陽二郎は28歳。友人と2人で立ち上げた音楽レーベルの広報担当として活動している。

 豊かなアフロヘアーと大きな瞳が個性的な魅力を放つ美男子だが、そのアフロヘアーはよく見ると、ところどころ白くなってしまっている。


 自分の夢が日本にいるほとんどの人々に共有されてしまったことを、陽二郎は起床直後に知った。しかし、彼はなぜそれが自分の夢だとわかったのだろうか? その理由は簡単である。


 ドリーマーには「ただわかる」のだ、それが自分の夢だということを。夢を見ている時も少し違和感はあった。あのオレンジ色の部屋には自分1人しかいなかったのに、まるで大勢の人物がその部屋にいるかのような気がしたのである。


 陽二郎は何が起きたかを「わかった」途端、吐き気を催した。事の大きさを胃が感じとったのである。


  *


 言うまでもないことだが、「オレンジ色の部屋の夢」は世界中で大きな話題となり、日本社会には混乱が生じた。日本に住むほとんどの人が、同じ日に同じ夢を見たのである。混乱に陥らないわけがない。

 夢を見ていない日本国外の人々は、この一連の騒動を、日本人が国をあげて行ったジョークだと捉え、またそのように報道した。彼らは概ねこのような反応を示した。


●日本人のユーモアのセンスはよくわからん。

●これだけの人々が同じ証言をするなんて、やはり日本人の規律はさすがだ。

●でもなぜ、オレンジ色の部屋なのだろう? 金閣寺じゃだめなのだろうか?

 

 しかし、たまたま日本を観光していた外国人らが「彼らの言っていることは本当だ。私も見た」と強烈なアピールをしたため、世論は混乱した。そして、その二日後には、アメリカで心理学者や社会学者、精神科医、脳神経外科医などが、テレビで見解を披露する特番が組まれた。


 日本での混乱は凄まじかった。それからの約3日間に起こった全ての出来事を描ききることはできないが、主だったものは以下に羅列していこう。


 まず、The xx 『VCR』のオフィシャルビデオがYoutube上で3億7千万再生を突破した。そしてThe xxのアルバムが飛ぶように売れた。

 この結果を見て、夢はThe xxがPRを目的として行った催眠によるものなのではないかと主張する者が現れた。裁判沙汰にまでなりかけたが、結局のところ訴訟は成立しなかった。それも当然だろう、一体どのようにして催眠をかければよいというのだ? 誰も答えを持っていなかった。


 自殺者が40名ほど主に若い男女の間に出た。この夢が直接的にその要因となったかは不明である。


 「Orange Room」というカルト教団が生まれた。彼らは、この世界はブルーノ・J・ワトソンという高次の存在がコントロールしているというシミュレーション理論を提唱した。

 「Orange Room」はコミュニティサイトを立ち上げ、会員数は3日目には200万人を突破し、クラウドファンディングで集めた活動資金が2億円を突破したことで一躍有名になった。

 サイト上では昼夜、形而上学的な議論がなされた。彼らの主張する夢の解釈は非常に面白い。

 それは、「オレンジ色の部屋の認識、トムとジェリーの視聴、アナウンスによる命令、音楽を聴きながらの水泳、テレビ画面に映る自己との対面、ワトソンの登場という一連のプロセスは、人間の精神が誕生してから解脱に至るまでの過程を暗示している」というものである。

 それぞれの行為の意味することが何なのかについて、「Orange Room」の人々は深く悩み、活発な議論が交わされた。


 また、共通夢は福島の原発事故による放射能の影響だと主張する人々が、国会の前で政府に対する抗議デモを行い、警備隊との衝突が発生した。けが人が出た。


 二日目になり、九州や北海道では夢を見た人がいないという事実が話題になってからは、移住しようとする人々が多数現れた。


 夢を再現したアニメーション動画を、東京芸術大学の学生がYoutube上で公開し、非常にリアルだと大きな話題を呼んだ。


 テレビ上での高名な認知心理学者の発言が、多くの人々に支持された。

 彼はこう言った。

「これは非常に大規模な集団錯覚現象です。

 何らかの理由により一部の人々が共通の、または近しい夢を見たのでしょう。ただし、全員が見たわけではないのです。

 夢で流れていたといわれる曲や、夢を再現した映像コンテンツなどがインターネット上で大量に露出したことで、それを見ていない人までが、その曲を聴いた、その映像を見たなどという錯覚に陥ってしまったのです。

 これはインターネットが急速に発展し、人々が同じコンテンツを視聴するようになったことによる現代特有の記憶障害のようなものでしょう。

 人の記憶というのはこれほどまでに、曖昧で不安定なものなのです。

 あなたは本当にその夢を見ましたか? 見たと思い込んでいるだけではないですか?」

 鮮明に「オレンジ色の部屋の夢」を見てしまったこの気弱な学者は、彼の直面したこのありえない現象から自身の築き上げてきたアカデミックな世界観を守るため、どちらかといえば自分自身に向けてこの発言をした。

 だが結果的に、それは非現実的な物事を信じたくない人々にとっての心の拠り所となった。


 一方で、夢を見たという事実に目を背けたくない者たちの多くは、この現象を渋谷駅で起こった閃光事件と結びつけた。

 彼らの主張は、概ねこのようなものである。


1.渋谷駅での閃光事件の真因がまだ明らかになっていない。照明設備の不良だけでは説明がつかない。つまり、常軌を逸した非科学的な出来事であった。

2.その後も、東京では様々な怪奇事件が多数発生している。

3.同時期に発生した「オレンジ色の部屋の夢」もそのうちの一つである。

4.これら一連の怪奇事件は渋谷駅の閃光が発端だったと捉えるべきである。


 この言論が説得力のあるものとして世間に広まっていくにつれ、渋谷駅閃光事件に深い関心を持つ人々がどんどんと増えていった。そして、共通夢が発生した2日後の9月26日には、彼らは閃光事件に遭遇した人々を探すようになったのである。


 私の可愛いモルモットたちの多くは、身の危険を感じ、自分があの場にいたという事実を隠し、また、白くなった髪を一生懸命黒くした。そして説明会で言われた通り、異常な現象を起こして周りに怪しまれないように細心の注意を払った。


 陽二郎は白いまだら模様のアフロを真っ黒に染め直し、二度と夢を放映しないよう用心した。

「ドリーマー」は明晰夢を見ることができ、明晰夢を見ている間は、夢の放映についてもコントロールすることができる。

 陽二郎は、夢の中で小さな箱に入ったスイッチを持っていて、それをONにすると夢が放映されることになっているのだ。これは彼が夢の放映を制御しやすいように作り出したイメージである。

「日本中に自分の夢が見られるのは御免だね」そういって陽二郎は、スイッチの入った箱をぐるぐるとガムテープで巻き、机の引き出しにしまった。そして明晰夢の中で、自由に遊んだ。放映されてはまずいようなこともたくさんした。


 オースティン中田というモルモットも同じく、大人しく振る舞った。

 閃光のあった翌日、彼は、Youtubeチャンネルを通して、自分の光る姿をインターネット上で公開してしまったのだが、彼は即座にその動画を消し、そしてそれからは一切、自身の光った姿を晒したりするようなことをしなかった。彼もやはり、身の危険を感じていたのであろう。



 人間の目は鋭い。社会の基盤を覆すような異分子は、徹底的にあぶり出そうとする。モルモットたちは、台所に潜むゴキブリさながらに、彼らの目から隠れようと努めた。

 しかし、「異分子」であることに喜びを見いだす者や、自らの得た新しい力を見境なく振りかざす者もいた。そして、人間たちは彼らを見逃さなかった。


 このジェリーフィッシュ実験は、彼らの存在によって急速に展開していくこととなる。私の想定以上に。



毎週火曜日 朝7時に更新予定です。

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