42/エピローグ
「うわあ」
花の森の最深部。主木の中でも最も樹齢の長い木のあるその場所に来て、俺は思わず声を上げてしまった。
わざわざ歩いてここまで来たからか、ここのところ忙しくて心ここにあらずだったのか、毎日来てるのになんだか久々な気がするなあとか感傷に浸っていた先ほどまでの感情は、それを見た瞬間吹き飛んだ。いや、ここに来るまでの様子で察しは付いていたけれど。
咲き誇る桜色は花びらを風で舞わせている。頭上は一面きれいなピンクに染まっていて、時々隙間から見える空色がまたその幻想的な空間を演出していた。
「花の森の主木が咲いているぞ」
とカロンから聞いたのが今朝。起きて早々なんつー不機嫌な顔を晒すのかと寝ぼけた頭で思ったのが第一の感想なのが腹立たしいところだった。なんでカロンが不機嫌だったのかと言えば、花が咲いた理由が俺のせいだからだ。
先日の一件で、めいっぱいまで魔力をこの深淵の峡谷を中心とした森全体にばらまいたせいで、花が一気に満開になったらしい。相変わらず心の狭いことだが、文句は言ってこなかったので黙ってここまで出てきた次第である。
昨日もここに来たけれど、つぼみもなかったのに今日一気に咲いたのは木の特性だろうか。この魔力をエサとする植物の生態は未だ謎だ。
美しさに惑わされそうになりながらも、木の根元まで近づく。花びらが地面にも絨毯のように敷き詰められている。一歩踏むのにさえ罪悪感を覚えそうで、少しだけ浮いて進んだ。
「……はは。積もってるし」
そして木の根に寄りかかって眠る、きれいな黒髪に桜色を散らしたアンネの隣に、腰を下ろす。
目を閉じた顔は眠っているかのようだ。白い肌に黒い髪。桜色がその髪に覆いかぶさって、まるでベールのようだと思う。払ってあげたいけれど、あまりにも可愛くて手が勝手に躊躇う。
少しだけ払ってやって、アンネに肩を寄せて空を見上げる。はらはらと桜色を落とす満開の主花は、まるで何かを祝っているかのようだ。いや、そんな趣深いこと考えるキャラでもないんだけどさ、俺は。現にアンネの髪を梳いた時に舞う花びらを見て思ったのは、ひたすらにアンネはきれいだなあ、だった。花より彼女。仕方ない。
「アンネ、聞いてくれよ。昨日、私告白されたんだぜ。男に」
どこを見てもピンクだなあと思いながら、隣で眠るアンネに声を掛ける。もう、日課みたいなものだ。
この二百年、一日も欠かすことなく――それこそ死にかけたカロンを封印したあの日さえ欠かさず、俺はここに来ている。
ここのところは忙しくて長々報告はできなかったので、今日は今回の一連の報告をすべてする。カロンが倒されるまではアストへの愚痴を長々聞かせたり、カロンを封印した日からは支離滅裂にどうしようとばかり言ってたし、そろそろまともな話をしないと呆れられてしまいそうだ。
こうしてアンネに話をして、ようやく全部終わったんだなと実感する。今までしてきた俺の長い長い八つ当たりは終わり。
「呆れてる? 勝手に八つ当たりしといて、勝手にやめて。カロンは、アンネは私に失望なんてしないって言ってたけど……失望してない?」
全部知った俺のこと嫌いになったりしないかな。
弱音を吐いたって、アンネが答えてくれることはない。俺に失望さえできないで、アンネは眠り続けているのだから。動かないアンネはよくできた人形のようで、実際人形みたいなものだ。俺のわがままで作られた、人形。
閉じた目が開くことはもうなくって、失望されるなら、嫌われるならこの女々しい行為にこそだ。男のくせに、二百年も。
「……ずっと縛り続けて、ごめんな」
夢だった一緒に花を見ることはできないけれど。
もう、アンネを開放するときだ。
俺は一生……いつ終わるかわからないこの先一生アンネ以外に恋することはない。たとえアンネがここから、俺から解放されたって、その気持ちは絶対変わらない。……いや、御託はいいか。
「別に気持ちが変わる可能性があって、アンネをそばに置いてたわけじゃないしな」
感傷に浸ってると、気が変わってしまいそうだ。できるときにやっとかないと。
封印魔法を解かないと。
目を閉じ、アンネの正面に回って額を合わせる。必要ない儀式は、俺の心を落ち着けるための儀式だ。
封印を解いて、アンネをここに埋葬して……そういえば、前の世界で桜の下には死体が埋まっていて、だから桜はきれいに咲くとかって聞いたことがあるな。アンネが埋まってたら、これ以上きれいになるのか? 正気で居られなくなるんじゃないか。世界とか滅ぼしちゃったりして。ていうか、ここに埋めたら今と何も変わらないんじゃ……ああでも、アンネを育てた教会はもうないしな。ここまで引き延ばして来た自分の罪が胸に刺さる。痛い。ごめんアンネ。でもやっぱりきれいな場所に埋めてあげたいもんな。ここしかないよな。
……全然落ち着けねえ!
既に鈍りまくりの決心が落ち着くのを待ってたら、もう二百年くらい経ってしまう。意を決して目を開き――黒と視線が重なった。
「……へ?」
「ふふ。百面相」
きれいな弧を描く口。白い肌には花と似た朱が差している。
「何、私の意志も聞かずに封印を解こうとしてるの。冗談じゃないわ。私は、まだあなたをここに縛り続けるわよ」
強気な眉。挑戦的な黒い目は射抜くようにこちらの目を見つめている。
「じゃないとあなた、死んでしまいそうだもの。心変わりする心配は全くないけれど……困るくらいないけれど、私はそれが心配。だからこの先もずっと、あなたの終わらない一生が続く限り、私に愛を吐き続けて。リリア」
透き通った声は都合のいい幻聴だろうか。きれいなアンネの顔を見返したいのに、視界が曇って見えない。なんだこの膜。アンネの、顔が見たい。
はたはたと目から零れるのが涙だと気付いて、必死で拭う。全然止まらない。どうしよう、アンネを呼びたいのに喉が詰まって声さえ出ない。アンネ。アンネ。
「あ、うう、あんねえええ」
「なんて声出すのよ」
ようやく名前を呼べたのに、出たのはひどく情けない声だった。アンネも呆れて笑ってしまうくらいに。かっこわるいにも程がある。かっこがつかなくても、せめて美少女なのだから美しく泣きたかった。
でも、意志に反して涙はぼろぼろ零れるし、声を出そうとするとしゃくりあげてしまうし、全然きれいじゃない泣き方で、俺はひたすら泣き続けた。
アンネはずっと、そばにいてくれた。
どれほど経っただろうか、ふと目を開くと俺の視界は桜色に染まっていた。
肩に寄りかかる重みに視線をずらせば、俺に寄りかかっているアンネ。その目は閉じている。
自分の瞼が腫れぼったいのを感じる。この疲労感は泣き疲れだろうか。隣で変わらず眠るアンネに、脱力する。
なんと都合のいい夢か。そしてなんと情けないことか。もはや俺にアンネを開放する決意はなくなっていた。だって。だってアンネはこれからもこのままでって言ってたし。……だっさいなあ俺。
寄りかかるアンネをそっと木の幹へ戻す。ごめんアンネ。カッコ悪い俺でごめんな。
本当にどのくらい眠っていたのか、アンネの頭には再び花びらが積もっている。多分、俺の頭にも。空を見るにまだそんなに時間は経ってないと思うのに。この速度なら、また払っておかないと、明日来た時に顔にまでかかっていそうだ。
顔にかかる髪から花びらを取ろうとして、ふと、アンネの口が弧を描いている気がした。眉を下げて、呆れたみたいに笑っているように見えた。
さっきの夢が、夢ではなかったかのような光景は、また涙腺を緩める。泣きたいなら泣け? 誰が泣くか、泣くもんか。
思考を払うためにアンネを見る。いや、きれいだなあ。どう見ても天使よりきれいだ。
頭からかぶった花びらのベールはアンネの黒髪に合っているし、桜色の微笑む唇は全てを許してくれそうで。
このままでも、もう百年くらいは許してくれるかな。
「…………ところで、これは全然、まったく、やましい気持ちがあるわけではないんだけどさ」
寧ろ昔から一回だけ試しとこうみたいな思いはあったんだけどさ。なんていうかさ、二百年前のあの頃からあんま自分らしさとか、前の世界の、はじめからあってないような記憶とかが霞が掛かったようにぼんやりしてたからさ。してなかっただけなんだけどさ。
眠る彼女を起こす方法っていうのが、俺の世界にあってさ。
アンネは彼女だし、相思相愛だし、花は咲いてるし、桜色はベールみたいだし、敷き詰められた花はドレスのようだし。
――運命もお役所仕事な神様の助けも俺は信じないから、これは因果応報だ。
俺の起こしたすべてはきっと、俺のせいだ。
これは俺の失敗した話。
だから。俺は終わらない一生を、ひたすら背負って生きていく。
「おかえり。どうした、情けない面して」
「うるせーただいま。どうせ私は王子様じゃないですよ。奇跡も起こせなきゃ運命も見えねぇ、ついでに決意もふにゃふにゃな、なっさけねえ面した美少女ですよ!」
「どうした、面倒くさいこと言って」
扉を強めに締めると、カロンはまるで口うるさい親のように小言を言う。魔法で帰って来ればよかったと後悔したってもう遅くて、拗ねたふりしてベッドに戻る。朝イチ森に行っていたのだが、自分の時間ではなくカロンに起こされたのでまだ眠い。いやなんか、さっきまで寝てた気がするけど、情けない面の過程で疲れたからな。
「おい。どうだったんだね、きみの魔力を存分に吸った主花は」
「めちゃくちゃきれいでしたけど!」
俺の情けない面の理由を知ってか知らずか、心の狭さ世界一の魔女は下から声を掛けて来る。ここまで上がってこないのは、気を遣ってか俺の反撃を恐れてなのか。下から聞こえてくる声は、存外不機嫌そうではない。
「ならば花見に行くぞ。咲いているのだから、見なければ勿体ない。せっかくだから、エアリ姫も誘うといい。ついでにどこにいるか知らんが、役立たず共も連れて来たまえ」
「友だちを役立たずって言うなよ……」
ごちゃごちゃうるさいので、二度寝は諦めて起き上がる。ベッドから下りればカロンはちょいと手招きした。
「リリアレイン」
そして無視したら名前を呼ばれた。面倒くさいのはどっちだ、ジジイ。近付いて行けばカロンは手をこちらに伸ばす。目元に冷たい指先が添えられる。
そこからはちみつが零れる心配を、まさか本気でしていたのだろうか。それとも赤くなっている目元でも気になったのだろうか。
どちらにせよ、ともかく満足そうな笑みが気に入らなくて、俺はカロンのない足のあたりを目いっぱい蹴飛ばした。
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