最終話・失恋
事は想定以上につつがなく済んだ。
オースグラットを介して発信した真実はほとんどの国に受け入れられた。たった二百年間の出来事で、魔王の出現のタイミングの記録もある。どの国も、魔王制度の目的に薄々感づいていたというのもあるのだろう。
オースグラットの安全も、表面上は滞りなく確証された。魔王と魔女の肩入れする国など腫物ではあるが、逆にこの国が魔王と魔女を抑えていてくれる間は、下手なことは起こらない。元より友好国の多い国だ。敵対しない範囲で有効活用を目論む程度のことはあれど、今すぐ関係を変えるような国はない。
バスアトからは、自分たちの活動に水を差されないのならば敵わない魔王や魔女に手出ししないという書状が国宛に届いた。目障りな相手でも、藪の中に居るのにわざわざ突いて蛇を出すようなバカはやらない。目の届かないところに居てくれる間は、進んで敵に回したい相手でもないのだ。
書状が届く経緯として、裏で魔王が暗躍した件については、蛇足であろう。
一通りの問題が片付いて、家に戻ったリリアは椅子に腰かける。深淵の峡谷にある実家ではなく、砂丘の魔女の家だ。
素性が知れた以上ここで暮らすことこそないが、オースグラットの領内にある家なので窓口としては使う気でいる。もっと王都に近い方が便利は良いが、あまり国と密にやりとりをしていない方が今はいいだろう。
「この小屋に入るのは何度目かな」
「小屋って言うな。わりと気に入ってんだぞ」
「建てたのは私だがな」
立ったまま首を傾げるカロンに、リリアが面倒くさそうな顔を見せる。なんというか、口調も相まって素でカロンに接しているときのリリアは反抗期の子どものように見える。
それさえも、面白くはないのだが。アスマは遠い目で自分の感情に失笑した。
「もう、いいから先帰ってろよ」
「はいはい」
そのうちにリリアがカロンを追い出す。玄関からではなく、先の見えない暗闇空間に。当然彼らのよく使う移動魔法だ。
カロンが居なくなれば、部屋は静かになる。二人が揃っている間は軽口の応酬が止まらないのでそこそこ騒がしいのだが、カロンの居ないときのリリアの口数はあまり多くない。
「さて、最後までうるさくて悪かったな」
最後だと口にして、リリアが謝る。この場が彼女と話せる最後だと、アスマは改めて突き付けられた。
アスマが再び砂丘の魔女の家にやってきたのは、元の世界に帰るためだった。元々すべてが終わればアスマは帰ることになっていた。
最初は魔王を倒したら。次は砂丘の魔女が終わったら。ついには全部のことが片付いてリリアが落ち着いたらと帰還を延期しまくって、今ここに来た。
部屋には以前リリアが城のアスマの部屋に持ってきた鏡のような魔術具がある。リリアはそれに、さっさと魔力を込めるとアスマの世界へとつなげた。鏡の先はアスマの部屋だ。見慣れたというには離れ過ぎていたので、懐かしい気がする。
「いろいろと悪かったな。事情も知らない中、八つ当たりしたり、敵視してさ」
苦笑で送り出そうとするリリアは、アスマが居なくなることに何の未練もないのだろう。恋心は既に伝えているけれど、それはひたすらに一方通行で、脈など微塵もない。それはわかっているのだから。
「アスマが居なきゃ、この先もずっと魔女をしてた。もうここに、私の目的はないのに」
「……リリア」
「全部やめさせてくれて、本当にありがとう」
柔らかな笑顔はアスマの求めてやまないものだった。そこにアスマの求める感情はひとつとしてなくとも、それだけで嬉しくなるけれど、ただ、笑顔ひとつで聞き分けるほどアスマは大人ではなかった。
「もう一度、言ってもいいか?」
アスマはリリアの手を掴む。指先を手首に添えて、とくとくと動く彼女の脈を確認しながら。
「俺は、あんたが好きだ」
これで少しでも脈拍が上がれば。少しでも可能性があるならば、それを捨てないと決意して。元の世界を捨ててでも彼女と居たいと願って。今はまだ脈無しかもしれないけれど、どんな魔女にも未来はわからない。これからともにいれば、可能性がゼロでないならば。
顔を真っ赤にして自分を見つめて来る少年に、魔女リリアレインは目を瞬いて、それから少し言い淀んで、彼の目を見返した。
「私、実は最初からお前のこと嫌いだったんだよね」
「……え」
嫌悪を孕んでいるようには見えないはちみつ色の目はまっすぐにアスマの目を見ている。
「だって、お前私のトラウマをがんがん掘り起こしてくんだもん。大した力もないのに大きな目標掲げて、誰も求めてないのに中途半端にそれを実現して。まるで過去の失敗した自分を見せられてるようで、何の試練かと思ったぜ。しかも、その過程で自分の魔力全部使うし、カロン倒すし」
リリアの過去など知らないアスマだが、それを聞くことが彼にはできなかった。自分を否定する言葉が怒涛のように通り過ぎて行って、内容はいまいち頭に入ってこない。刃のような単語だけを耳が拾って、心を突き刺した。何の拷問だ、これは。
意気消沈。言葉の暴力により満身創痍に陥った勇者を見て、魔女はにやりと笑う。これで少しは仕返しできただろうとでもいうように。
「でも、最終的に私をこうして笑わせてくれた。好きなコのために頑張って、目標を達成した。私はそんなお前に救われたよ」
そうして彼女は微笑みながら、アスマの手を掴み返した。アスマは目を見開く。自分の鼓動がうるさくて、リリアの脈など確認している余裕はない。でも。けれど。
「ただ、それはそれとして」
え、と声を上げる間もなくその手が引かれ、鏡の奥に引きずり込まれる。一瞬だけ目を閉じれば、次には自分の懐かしい部屋の中に居た。引きずり込まれた以上、リリアの姿も一緒に。
その美しくも人間らしくない姿が自分の部屋にあるのに動揺するのもつかの間、リリアの手はアスマから離される。
「俺、彼女居るんだよね」
「へ?」
「んで、一生彼女以外に恋することはないから俺のことは諦めて。異世界から、お前の幸福を祈ってるよ」
ばいばい、と部屋の中心に尻もちをついて呆然としているうちに、リリアは再び姿見を通って帰って行った。あちらの世界に。
少しの間消えることのなかった魔術具に、アスマが手を伸ばすことはなかった。
窓の外から子どもの声が聞こえる。空調を入れていたのか、静かに機械の動く音がする。何も変わらない元の世界の自分の部屋。
その場所で、九里明日真はこの上ない失恋をした。
ただ、悪くない失恋だった。




