13・逆転の一手、狼狽
砲弾でも魔術での攻撃でもない、当然火の矢でもない、魔女のぶつかったそれは美しく織られた黒だった。それが服であると気付き、その直後に人であると気付く。
そしてもう一度見て気付けば人ではなかった。それには、脚の膝から下がなかったから。
「え……」
漏れたのは誰の声だったろう。
「私の眠っている間に、どういうことだこれは」
通る声は、ここに居るほとんどの人間に聞き覚えのないような落ち着いた声だった。声を聞いたことがある者でも演技がかった哄笑くらいしか知らないので、それが彼のものだとは、誰もすぐにわからなかった。
「魔王」
アスマは小さく呟いた。黒の礼服に似た格好をした、人型でありながら人とは違う容姿。圧倒的な魔力はあたりに居る者を震え上がらせる。絵に描いたような紳士でありながら凄惨。
人類の敵が、そこに居た。
即座に全員に緊張が走り、敵味方問わず魔王の攻撃に身構えた。アスマもその一人だった。しかし警戒する人間になど興味がないと言うような呆れ顔の魔王は悠然と周囲を見渡し、最後に自身の背中に居る魔女を見下ろし――
「――ししょう」
「うわあ!? なんて顔しとんだきみは!?」
縋るような、安心したような、抜け落ちたような、泣きそうな、壊れそうな弟子の様子に、悲鳴をあげた。
魔王が、悲鳴をあげた。
そのことでアスマに意識が戻る。思い出す。魔王は魔女の師匠で、魔女の親といっても過言でない相手であったことを。そして魔女の表情を見て理解する。それが真実であり、今まで誰一人頼ろうとしなかった魔女の唯一頼れる相手なのだと。
「本ッ当に、きみは、いつまでそうある気なのだ、バカ弟子!」
勇者と相対したときとも、姫を攫うときとも、人々に恐怖を与えるときとも違う保護者の顔をした魔王は怒鳴りつけながら魔女に頭突きをする。ごつんと鈍い音が響いたかと思うと魔王はそのまま魔女の額に自分の額を当てた。
数秒目を閉じ、離れた直後に更に鈍いでこぴんの音が響く。
頭蓋に響く音に、場違いにもアスマは「アレは痛い」とはじかれていない自分の額を押さえた。
「まったく……めちゃくちゃだな、きみは。泣くなら泣きなさい。怖かったなら目を逸らせ。きみのはちみつのような目がいつ溶け出るか、いつまで気を揉めばいいのだ私は」
「……うるせー」
呆れたように言いたいことを言いきった魔王は、ふんと鼻で息を吐いて、仕切りなおすように周りを見る。敵は、未だ姿を現してはいない。魔王が現れたことで戦況は一気に変わった。様子を窺っているのだろう。
「さて。きみがそんな顔をし続けるのならば、私は人類を滅ぼすぞ」
「……嫌だよ。わかってんだろ」
「私の居ないところで勝手に魔力を振りまいていたようだしな?」
「そこかよ! 心が狭い!」
先ほどまでの魔女の姿もそこにはなく、彼女は魔王を向いて怒鳴り声を上げている。アスマの聞いたことのない声。作られた嫌そうな表情には親しさが籠っていて、アスマの胸の奥が再びちりっと痛んだ。相手は保護者。親だ。嫉妬する必要などどこにもないのに。
「ひ、姫様!?」
目を逸らしたくとも、魔女の素の表情が目から離れないでいれば、隣から慌てたような声がひとつ上がった。それは驚きで視線を集め、その声へ向けられた視線は呼称のせいで姫であるエアリに向かう。
「魔王様……」
視線を集めたエアリは、ほろほろと大粒の涙をこぼしていた。
「「うわー!?」」
魔王と魔女の声が重なる。慌てた声はまさしく、知り合いの女の子が泣いているのを不意に見てしまって驚いている声だった。
「エアリ!? どうした!?」
「ま、まおうさまが、生きてて、まじょ、さまも、いつも通りになって、私、ごめんなさい」
「エ、エアリ姫、取り敢えず泣き止みなさい、女の子がそんな、おいそれと泣き顔を晒すものじゃない」
わたわたと慌てる二人に、しゃくりあげるエアリ。とても、戦場のど真ん中、戦闘の真っ最中にするようなことではない。
エアリの方を向いて泣き止ませようと声を掛ける二人は人類など足元にも及ばない恐ろしい化け物には見えず、隙だらけ。当然、そんなものを見逃す敵兵ではない。
一斉に放たれた砲弾と火の矢は牽制ではない。隙のできた相手を倒すための一斉射撃。放たれたそれらは、先ほどまでは持久戦を目論んでいたのだろうと推測を立てるのに申し分ないほどの火力だった。
一瞬で消えたけれど。
「美少女が泣いているのに攻撃とは、随分と良識に欠けた輩だな」
「魔物が良識語ってんじゃねぇよ」
「喧しい。きみも泣いたらどうだ美少女」
茶々を入れる魔女に一言返すと、魔王はない足を動かして進む。上半身だけ見ればまるで本当に歩いているかのようだ。
その間も放ち続けられる攻撃だが、魔王には届かない。
「そこの勇者の小僧には遅れを取ったが、人間風情が“魔女”たる私を倒せると思ったか? 元より戦闘は苦手だと言っているが……殲滅や根絶やしまで苦手だと言った覚えはないぞ?」
魔王然とした余裕を持った、見下したような言葉。背筋を震え上がらせるような声色。それが意識して出されていたものだとは先ほどの様子からわかるが、それでも、味方でも構えてしまいそうになる。
敵からすれば、一層だった。今度は何の策もない、一斉攻撃が魔王に向かう。誰も彼も魔王の放つプレッシャーに耐えきれず、引き金を引いてしまったのだ。効かないと察しながら。
飛び出してきた矢や弾は魔王にたどり着くより先に地に落ちる。同時にどさどさと人の倒れるような音が木々の奥から一斉に聞こえた。狙いやすい位置に立っている魔王に、追撃は飛んでこない。
見えていない敵が倒れたのはわかるが、状況は誰一人把握できていなかった。
相手が居なくなったところで、魔王はない踵を返して戻ってくる。今度は歩くようではなく、すいと浮いてくるように。
「いいかね。他所に心配事があるなら、目の前の敵を一瞬で叩き潰せ。後手を取るな。きみは索敵に苦手意識があるようだが、下手なのは使い方だ。この攻撃も、敵を狙うのではなく、守りたいものを避ければいいだろう」
「……はい」
苦い顔で弟子のように師の教えに頷く魔女は、魔王のしたことがワンテンポだけ遅れてわかっていた。わからないのは周りで、アスマは魔女のそばで問う。
「今、何を……」
「うん? ああ、魔力がなさすぎて相手の位置を把握するのが手間だったので、周りの木々と草花の魔力を感知して、それを避けて加圧の魔法を放ったのだ。死なない程度なので、安心しなさい」
「そんなことを、一瞬で」
周りの聞きたいことを代表して聞いたアスマに、オースグラット兵がざわつく。
「ここから遠い城の索敵をしながら攻撃をはじき持久戦をするよりも、幾分も簡単だと思うがな」
ため息さえ吐きそうな魔王の言葉の意味は、周りにはわからなかった。まさか、ここに居る魔女討伐隊と別動隊が居て、オースグラットの城に攻め込み、魔女への人質として国をとる動きがないかと懸念して数百キロ離れた城の索敵をしつつ敵の攻撃を受け続けていたような想像力たくましい魔女が居るなどとは誰も思わないから、当然だ。
「それよりも放っておけばすぐに回復するから、早急に捕らえて縄を掛けたまえ。一国の姫が居るというのに宣告もせず無作為に攻撃してくる相手だ。きっとどこかの賊だろう」
言われてはたと兵たちはそれぞれ顔を見合わせ、そしてすぐに意図を理解して倒れているであろう賊の元へ駆けて行った。バスアト兵だとばかり思っていたが、姿を現さず姫に攻撃が当たるのも承知で火の矢を放ってきたのだ。そんなものが国軍のはずがない。たとえバスアトの兵士の恰好をしていようとも、見た目でバスアト兵を騙ろうとした輩の可能性が大きい。
たとえ事実がどうであれ、それならば姫の護衛も兼ねた国の兵士たちは彼らを捕らえても問題ない。同じ理由を使って兵士たちはバスアトから切り捨てられるかもしれないが、その時はその時。オースグラット国内で処理できれば得られる情報も多いはずだ。
「さて、あとは彼らに任せて私とこれは一度帰るが……ついて来るかね?」
兵士が動いたのを見て、魔王は魔女の意思確認はせず、アスマとエアリに聞いた。
エアリは即答で首肯する。アスマは一瞬ためらったけれど「はい」と返した。




