9・開戦
「……また来たのですか」
扉を開け、魔女は美しい顔を嫌そうに、そして呆れたように歪める。見るたびに胸の締め付けられる思いはするが、感情を露わにした彼女は存外嫌ではなくて、アスマは今日も、魔女の家を訪れていた。
あれ以来、アスマはほとんど毎日砂丘の魔女の家を訪れている。魔女の家は王都から離れたところにあるので、王宮は出て近くの村に宿を取り、今は村人の生活を手伝いながら生活している。
嫌な顔はするが、魔女はアスマを門前払いすることはない。アスマがその場に居る限り魔女も家にいるし、話しかければ言葉を返してくれる。
もちろん、本来の少々荒い口調ではなく敬語で話すし、他人行儀は相変わらずだし、アスマの気持ちを受け取ってもくれないが、それでも話しているうちに何かつかめないかとアスマはひたすらに魔女の元へ通っていた。
「お茶でいいですか?」
招かれざる客でももてなす魔女は、毎回そう聞く。これを飲んだら帰れという意思表示のような気がしないでもないが、アスマは毎度首を縦に振っていた。
魔女の出すお茶は、城で出されていたものとは違う味がする。修行中はこれとは違うものが出されていたが、魔女のカップから香って来る茶葉の香りはいつもこれだった。
「この茶葉って、あんたが作ったりしてるのか?」
味の違いに敏感な方ではないが、会話を作るために問う。魔女は、アスマからそんな質問が飛んでくるとは思わなかったのだろう、ぱちりと瞬いた。丸い月のような目がきれいだと、アスマは思わず見とれた。
「あの森に自生している内包魔力の高い葉を使っているのです。魔力耐性の低い者には毒になりますが、あなたなら大丈夫でしょうからね」
「……まさか、毒のつもりで飲ませてないよな」
「まさか」
にこりともせずに言うので、本気か冗談かわからない。どちらにせよ、魔女がアスマを殺すつもりはないのだが気分の問題だ。
魔王城のある森に生えていると魔女は言った。前は魔王と共に同じものを飲んでいたのだろうか。気になったが、一度踏みとどまる。そこは聞いてもいいのだろうか。そして、答えによっては心の準備が必要になる。
「魔王も……同じものを?」
一呼吸おいて問うと、聞かれるとは思っていなかったようで魔女の視線がアスマに向く。これまで、目を合わせないように避けられていたので、不思議な気分だった。彼女の目は見慣れているが、それが自分に向くことにアスマは違和感を覚えていた。
「まあ、そりゃ。あいつはいつも、きみは茶を淹れるのが壊滅的に下手だとかなんとか文句を言ってた……のですけれど」
「……そう」
「さすがに慣れたので壊滅的というほどではないはずなので、安心していいですよ」
「そりゃあ、飲めてるんだからそうだろ。独特な味だけど、おいしいと思うし」
「そうなんですか」
自分も飲んでいるのに、まるで他人事のように言いながら魔女は自分のカップを見る。伏せられた目に金のまつ毛がかかる。
ふと浮かんだ言葉をアスマは飲み込んだ。くさいセリフが口を付いて出そうになるほどの美しさに苦い顔になるけれど、意識されていない好きな相手だ。そのくらいのセリフは吐いた方がいいのかもしれない。思い直して心を決めれば自動的にせき込んだ。気障なセリフへの前準備が必要すぎる。
「髪も目も、きれいな金だよな」
「は?」
予定よりもだいぶ率直かつ下手な褒め言葉になってしまった。ただ悔いるよりも先に魔女から向けられた「何を言ってるんだ」と言わんばかりの聞き返しに、心が折れそうになった。
せりふとしては、わかりやすい部類の口説き文句だと思うのだが。ただアスマの感情をよそに魔女は自分の長い髪を持ち上げた。
「金……いつも、はちみつのような色だって言われてたけど、そうも見えるのか」
はちみつの色。言われてもればそうだとアスマは魔女の髪を見る。そう言われれば光に当たると金にしては濃く深い色のような気がしてくる。
それは魔王に言われていたのか。だとすれば、その関係はアスマの思っているよりも親しく、師弟というよりも恋人のような関係だったのではないか。無意識に自分にダメージを与える発想をしてしまったアスマだが、それを聞こうと口を開くよりも先。
とんとん、と扉から聞こえた音で、意識を逸らした。
「どうぞ」
魔女は、扉の外に来訪者がいることに気付いていたのか、アスマの滞在など気にせずただ来た人を招き入れているのか、平然とその音に応えた。
当然来訪者はすぐに扉を開いて中に入ってきたが、彼女はアスマを見ると、途端顔色を曇らせる。
「なぜ、あなたがここに?」
不快そうに顔を歪める様は、とても一国のお姫様とは思えなかった。
藍色の短い髪を揺らし中に入ってくるのは、エアリだ。護衛だろう城の者も数名後ろからついて来る。外に意識を向ければ他にも人の気配がしたので、中の護衛よりも外の護衛の方が多いのだろう。一国の姫が遠出するには妥当な人数だ。
「どうぞ、エアリアクス姫」
明らかな敵意を持って向けられている視線から逃れるために、あたりを観察していると魔女がお茶を持ってくる。椅子を勧める様子は、アスマにするのと変わらない。
「ありがとうございます、魔女様」
しばしアスマを睨んでいたエアリだったが、魔女に勧められたことで椅子に座った。同時に、従者を全員家の外に出るように指示する。元よりそのつもりだったようで、護衛も含め全員が家から出て行った。室内には、魔女とアスマとエアリの三人になる。
「人払いするような話をしに来たのか」
それを眺めていた魔女は、小さく呟いた。アスマは魔女の魔力が部屋を覆ったのに気付いた。何のためか理解できないできょろきょろと首を動かしていれば「防音の魔術ですよ」と答えられる。
「魔女様、なぜ勇者がここに?」
「来たいから来ているんだと」
詳しいことは話さず、魔女は適当に流して自分のカップに口を付ける。エアリのカップからは、魔女とアスマのものとは違う香りがしている。
「そんなことよりも、何か用があって来たんだろ?」
自分の話を「そんなこと」と言われ、エアリには砕けた口調で話しているのを見ると、アスマの胸はまた締めつけられる。ただエアリの用件はアスマにとっても気になることだった。護衛と一緒に自分を追いださなかったからには、アスマにも関係のあることだろう。
嫌な予感だ。そしてそれは、当たることになる。
「……バスアトが開戦宣言をしました」
エアリは言い辛そうに、しかしまっすぐに魔女を見て言う。
「魔王様復活前と同様、隣国のドリアントへ」
視線がアスマを一瞥して、すぐに戻る。これは、アスマの行動の結果だとでも言うかのように。
魔女が戦争をさせないように魔王を復活させていたのは聞いた。魔王の出現と魔物の凶暴化により、人間の兵力をそぐのが狙いだと言っていた。
バスアトは大国だ。魔王が現れたところで本来揺らぐような国ではない。ただ、それでも不確定要素のある状況で下手な手を打つことができなかった。しかし魔王は倒された。封印ではなく、討伐。次に現れることがないのならば、急いて事を進めても問題ないと判断されたのかもしれない。
この場に居るのがオースグラットという中立国の第四王女と、事情通とはいえどの国にも属さない魔女と、ただの異世界からやってきた勇者だけなので、国の内情は空想でしか話せないけれど。
「魔王は、まだ、出せない」
様々な推測を立てた後で、振り絞るような声で、魔女は報告に答えを返した。そして頭を抱え、一度大きく深呼吸すると再度エアリに向き直る。その月の目が一瞬だけアスマを見た。
「封印魔法で状態を保ちつつ魔力で回復させてはいるが、今復活させたところで怪しいだけだろう。いっそ人類を壊滅状態にまでするならばともかく、中途半端なことをすると魔王の存在に人為や意図があることが知られる」
淡々と借りてきたような冷静さで話す魔女。その話で、アスマは魔王のその後を聞いてはいなかったことを思いだす。アスマは倒したつもりでいたのだが、魔女によると魔王は現在封印されているらしい。
「魔王様の容態は、酷いのですか?」
問おうにもアスマの立場では問うことができずにいると、エアリから話が出る。彼女からすれば、アスマへの嫌がらせ半分なのかもしれないが、アスマ自身気になっていたので黙って魔女へ注目する。金のまつ毛と同じ目が微かに揺れている。
「魔物の体は、人間とは違い魔力で修復できる。攻撃を受けた直後に回復の魔法と封印の魔法をかけ、私の魔力を与え続けているから、直に回復はするはずだ」
具体的にいつとはわからないけれどと付け加えられる。つまりは、今回魔王の力は当てにできないと言いたいのだ。
魔王のことを知っているエアリは肩を落として「そうですか」と相槌を打つ。人質としてとらえた姫にこれほどの信頼を得ている魔王。魔女の師匠。アスマだけがその性質を知らない。
ゆえに、魔王にできることならば自分にも何かできることがあるのではないかと考える。魔王と勇者は対のようなものだ。真逆にして唯一。
「じゃあ、俺がバスアトに説得に行けばいいんじゃないか?」
立場としては「世界を救った勇者」。国の内情を知ることができなくとも、せっかく救った世界で自分の居る間に人間同士が戦争するなんて気分が悪いと止めに入ることくらいはできるのではないか。
提案するアスマに、二組の目が向けられる。一組はすぐに逸らされたが。
「無駄ですわ。あなたは救国の勇者とはいえ、結局は異世界の者。口を出す権利はありません。同じ世界に住むわが国でさえ、そうなのですから」
「じゃあ、魔女に行けって言うのか?」
努めて冷静な声色で否定したエアリに、アスマはつい喧嘩腰で返してしまった。
けれど、ここにわざわざ報告に来たということはそういうことだろう。自分たちにも他の誰にも止められないから、何にも属さない魔女を頼ってやってきたということではないのか。彼女が戦争を嫌っていることを知っているから。
みなまでは言わないが、アスマの思惑が伝わったのか、純粋に心外だったからか、エアリは声に怒りをにじませた。
「逆ですわ」
そんなはずがないでしょうと。エアリの立場で魔女を表舞台に立たせる気になどなりようがないだろうと。
「魔女様、もう一つご報告があります。きっとそのうちにお耳に入るでしょうから、先に止めます。関わらないでくださいませ」
「……いい報告ではないみたいだな」
「バスアトに併合した、かつての非国民の集落の者たちが徴兵されるそうです」
震えないように自分の手を手で握りしめ、エアリは魔女に報告する。
「は……」
非国民。魔女がかつて救いたいと願った者たち。元はどの国に属すことも許されておらず、居ないものとされていた者たちと、アスマは覚えている。魔女から聞いたことだ。
魔女は無意識だろう立ち上がった。同時にエアリの手が魔女の服を掴む。そうしなければ行ってしまうとはじめからわかっていたのだろう。
「関わらないでほしいから、お話に来たのです」
服を掴む手は震えていて、まっすぐに魔女を見上げるエアリの強さと弱さが見える。これを伝えるためにエアリは国の端にある魔女の家までわざわざ来たのだ。王女がお供を連れているとはいえ一人でこの対面を果たすのには、様々な手回しが必要だったのに。
「俺も、行かない方がいいと思う。あんたが行っても、俺と同じことなんじゃないか? 国に属してないんだろ。だったら関係ないって跳ねのけられる可能性の方が高いだろ」
エアリのように腕は伸ばせないが、アスマも反対を示した。そうしなければ魔女は一人勝手に、無闇に突っ込んで行ってしまいそうで。けれど、彼女は思ったよりも冷静だった。自分を掴むエアリの手に手を重ね「ごめん」と一言謝ると椅子に座りなおす。
「気が急いたけど、何も馬鹿正直に非国民を戦争に関わらせるなと言うつもりはないよ。国の決定関わろうとすれば、勇者の言う通りになるのもわかってる。でも、私の立場なら魔王は倒されていないと忠告することができる。世間的には討伐したといっても、ちゃんと負ける前に蘇るって宣言したろ。その話は、国のトップには伝わってるはずだ。実際魔王は死んでないし、魔王城はいまだ前人未到だ」
「でも……」
「私は指南役で魔女役だ。魔王はまだ生きてるのに戦争なんてしてる場合かって言いに行ったって、おかしくない。そこからどうするかは、相手の判断によるけれど……突っぱねられたら、ちゃんと戻ってくるよ。すぐにそれ以上突っ込むつもりはない」
掴むエアリの手と違い、魔女の手は震えていない。作戦も、聞く限りでは無理のないもののように思えた。
二百年も魔王の脅威のことだけを考えて生きていたと思われている魔女が、魔王の生存を知っていて忠告に行かない方が、むしろ不自然なのかもしれない。
「それに今行かないと……この二百年に意味がなくなる」
自分の中で浮かんだ見解との合致。そしてあの夜、月明かりの中で見た弱く荒れた魔女の姿がここにはなくて、アスマは、説得されてしまった。




