8・告白
魔王を倒して一カ月、アスマは未だこの世界に残っていた。
あの後、泣き疲れたエアリはもはやうわごとのように、彼らの親しさを呪詛のようにアスマに呟いた。
魔女と魔王がともにいるところなど見たこともないアスマには信じられないが、魔女の口からも出たように、魔王は魔女にとって師であり、親であったのだろう。
魔女様は魔王様を師匠と呼び、慕っていました。魔王様は何でもできる方で、魔女様はいつもそれを頼りにされていました。二百年来の運命共同体だと言っていました。魔女様は魔王様の前では子どものような顔をなさるのです。
他にもたくさんのことを言われたが、砂丘の魔女に恋するアスマにとっては拷問のような時間だったといえよう。魔王のやさしさなども話していたが、耳に残るのはいかに魔女が魔王を慕っていたかというようなことばかりだ。
勇者であるアスマの見た魔王は世界を混沌に陥れようと目論む悪い魔物で、死を覚悟するような戦いをした相手だった。エアリの言葉だけならば、ストックホルム症候群ではないか、囚われているときの待遇が想定よりも良かったから、そう思いこんでいるだけではないかと思えるのだが、思い出すのは魔女の目だ。
あの夜自分に向けられていた魔女の目が、アスマは忘れられなかった。
思う存分(それでもまだ足らないようだったが)呪いの言葉を吐いたのちエアリはこのことを誰にも言わない約束を強制的にアスマにとりつけ、部屋から出た。以降、エアリからアスマへの接触はない。
元より召喚勇者は魔王を封印したら、魔女を頼り自分の世界に帰ることとなっていた。しかし、アスマは未だ帰れないでいる。さっさと帰れと魔女に言われたので、彼女に帰りたいと言えばすぐにでも帰してもらえるだろう。ただ、それがどうしてもできなかった。
もはや恨まれてさえいる状況で、愛の告白などできようもないし好かれることもないだろうが、せめて彼女の笑顔を見るまでは帰れないとアスマは思っていた。
ただ、ずっと客として一国に留まっているので城はでなければと思っていたのだが、先立つものもないだろうにということと、戦争の噂を立てている他国への抑止力となるだろうため、城に留まることを許されていた。
よく見る異世界に行くストーリーのような、身分のない者が生計を簡単に立てられるシステムが、この世界にはないらしい。よってアスマはいくつかの仕事を城でこなしつつ好意に甘えている状態だ。
元の世界に帰らずに、しかし魔女への何のモーションも起こせずに、のらくらとこの世界で年を重ねていくわけにはいかない。
そう思い動き出したのが、この一か月の節目だった。
まず、魔女に会う。それをしなければ何も始まらないし、何も終わらない。
ただ、会って何を話すか。アスマはそれを考えていた。
魔王を倒したことを謝る? けれどアスマはあの時それが間違いなくハッピーエンドに繋がると思っていた。何も知らずに倒してしまってすみません、というのは違う気がする。それで謝ったところで、彼女にとっては「そうですね」でしかない。
何も言わなかった理由を問う? 聞いたところで、魔女がアスマをただの「勇者役」としてしか見ていなかったことがわかるだけだ。だから、彼女はアスマに遠回しに封印しろとしか言わなかったのだから。
何も知らなかったんだから仕方ないと言い訳する? そんなもの、最悪だ。
双方自分の正しいと思ったことをしているだけな以上、解決策はなく、とにかく八方ふさがり。アスマは頭を抱えた。
そもそも、自分が魔女を気にしているのはなぜだ? アスマは考える。元より彼女に恋情を抱いていたのは間違いなく、それが理由のひとつであることは間違いない。
けれど、ずっと引っかかっていることがある。それは多分、あの夜アスマの口を付いて出た言葉。
「悪くない……」
アスマは言った。あなたは悪くないと。
あれは彼女の顔を見てつい口から出てきた言葉だった。魔女が、罪悪感で死にそうな顔をしていたから。まるでアスマを憎みながら、悪いのは自分だと言っているような顔だったから。
魔女が何故そんな顔をしていたのか、アスマは知らない。だから――それが気になって。
実際動こうと思ったところで、思考は毎日同じところで繰り返し。どこからも情報を得られない以上前に進むこともできない。
誰にも話せない以上、情報を新しく得るすべはない。だから思考が進まないのは当たり前だった。
ならば、情報を得るしかあるまい。その相手に選択しなどなく、アスマは意を決して、エアリへの面会を取り次いでもらった。
勇者と言えど、王女の部屋をアポもなしに尋ねるわけにはいかないのが難点だった。
そうして手順に沿ってエアリへの面会を取り次いでもらった。正確には、もらおうとした。のだが、エアリから了承の返事は来ず、忙しいのでまたの機会にと遠回しな拒否を食らった。
ならばどうすればと考えるアスマだったが、その夜次の手が必要なくなる。
「仮にも男女で、王女と一対一で公式に対話などできるわけがないでしょう」
結局何もできないまま節目の一か月を越そうというところで、魔力の動く気配が部屋の中で起こり、アスマは聞こえてきた声に体を飛び上がらせた。
「砂丘の魔女……」
「まっすぐに私のところへ来なかったのは、罪悪感からですか? そんなもの、あなたが感じる必要はありません」
いつものように敬語の魔女は、闇からするりと現れてアスマと対峙する。まるでアスマが魔女に用事があると知っているかのような口ぶりだが、アスマの方はまだ、彼女とどう会話していいかわからないため、戸惑う。
だって、どう言ったって俺の好感度は最悪なわけで。
反応を示さないアスマに首を傾げる魔女に、内心泣きそうになりながら呟く。もちろんそんな声は彼女に届くはずもなく、何を勘違いしたか、困ったように眉を下げた。
「先日は、感情的になってしまってすみませんでした。言葉を撤回するつもりはありませんが、世界を救った勇者に対して失礼でした。誰にも本当のことを話さないでいただいて、ありがとうございます」
「……俺には、本心を見せてくれないんだな」
もう、と言いかけて、初めから彼女はアスマに対して本心など見せていなかったことを思いだす。落ち込みたいけれど、彼女が目の前に居る以上今はできない。
魔女はアスマの好意など知らずに首を傾げるばかりだ。しかしそれもすぐにどうでもよくなったように、彼女はどこかから大きな木枠を取り出した。
「何……?」
それは姿見のようだったが、月明かりの入る部屋の中で光に反射することもなく、またその奥を見通させることなく、枠の中に黒をはめ込んでいた。
人の通り抜けられそうなサイズの木枠には何かの文字が刻み込まれており、アスマは途端嫌な予感に駆られた。
「では、行きましょうか」
「い、行くって、どこに?」
「? ああ。これが転移の魔術具です。ちゃんとあなたの世界の元の時間に近い位置につなげてありますので、ご安心ください。……といっても、私のあなたへの態度のせいで信用ならなくても仕方ありませんから、一度向こうまで付いて行きます」
「……帰り道?」
魔女は元の世界への帰り道を持っている。
それはアスマもわかっていたことで、すぐに、彼女がアスマを元の世界へ追い出すためにここに来たのだと察した。
「俺は……まだ帰らない」
「は?」
まだ帰る気なんてない。帰るわけにはいかないアスマは首を横に振り呟く。二人しかいない深夜の部屋だ、聞き逃すはずもなくアスマの言葉を聞き取った魔女は、心底理解できないように声をあげる。それは、先ほどまでの丁寧な様子と一変した、彼女の素の声だった。
「エアリから、貴方が帰る気だと聞いて来たのですが」
「俺は、彼女にあんたのことを聞こうと思って」
「彼女から私に関して話すことなど、もうありませんよ」
はねつけるように食い気味に言う魔女の声は冷たい。眉を寄せ彼女が木枠に魔力を流すと、暗かった木枠の中にこことは明らかに違う世界がテレビ画面にでも映るかのように現れた。
まるで写真の中のような光景に、アスマは見覚えがある。どんな景色よりもよく見ている、そこはアスマの元の世界の自室。
「俺の部屋……」
「この先が、あなたの世界です。魔王を倒した今、この世界にあなたの達成すべき使命はありません」
「でも」
「でもって、なんだよ」
アスマの反論など聞く気もないようで、魔女は言葉を遮って、半ば感情的になりそうになるのを抑えながらアスマへ詰めよる。
「テレビがあって、エアコンがあって、漫画があって、制服なんかかけて、どう見てもお前みたいな普通の男子高校生の居るべき部屋だろうが。何が問題なんだよ。なんで帰ってくれないんだ。あそこが、お前の居るべき場所じゃないか」
早口でまくしたてる、好きな相手。
きっと自分が目の届かない場所へ行くことが今の彼女にとって一番の願いなのだろうとは思う。ただ、それでも目の前で感情的になっている魔女からどうしても離れることができなくて、アスマは首を横に振った。
「まだ……まだ帰らない。俺は、あんたがちゃんと笑えるようになるまでは帰れない」
「はあ?」
そうして漏れ出た本音に、魔女は理解できないというように声を漏らす。とても、人形のように洗練された美しさを持つ彼女のする表情とは思えなくて、場違いにも「その顔は初めて見た」などと思ってしまう。
どうしても今帰るわけにはいかない。
「あんたが好きだから、あんたの笑顔を見るまで帰れない」
だからアスマは告白した。
ずっと魔女に会って何を話せばいいか考えていた。その思考の中に、告白するという選択肢は、実は一切なかった。なにせ嫌われているとわかっているのだ。その上で玉砕したいような性癖は持ち合わせていないし、彼女にとってそれが迷惑になるとわかっていたから。
けれど、つい、言ってしまった。
零れてしまった告白に「しまった」と思うのは言った後で、けれどなぜか後悔できないで居るアスマを、魔女は感情の抜け落ちた顔で呆然と見ていた。
ここで、そんなの迷惑だと罵られるか拒否されるかされれば、きっと彼女が居なくなったあとで一人大反省会が行われることになるのだろうが、残念なことに、アスマはそれもさせてもらえそうになかった。
「そんな、そんなの。困る」
彼女は困惑した顔で呟く。ただ、それはアスマに一ミリでも脈があるという風ではなく、本気で困っているような様子。
「それじゃあ、力ずくで追い返せないじゃないか……」
彼女の中で何が変わったのだろうか。
先ほどまでアスマを理解できない仇敵のような目で見ていたというのに、その目に乗せられる感情は一変していた。だからといって好意的なわけでもなく、その感情が何なのかアスマには読み取れないのだが。
魔女はしばらく嫌そうな顔をすると頭を掻き、踵を返す。
「ああ、くそ! ちくしょう! 勝手にしろ!!」
そしてそのまま、闇に溶けてしまった。きっと、あの砂丘の家に帰ってしまったのだろう。
取り残されたアスマは状況が理解できず、けれど告白を拒絶されなかったことを思い、地面にへたり込む。
状況は変わったのに、その場所からアスマは一歩も動けていない気分だ。けれど、なぜか魔女はアスマを追い返せないと言っていた。
アスマの恋心が彼女にあるなら、彼女はアスマに手出しができないのだ。ならば、何かを変えるチャンスがああるかもしれない。
「……諦めないぞ、俺は」
先ほど勢いのままにしてしまった宣言。砂丘の魔女を笑顔にさせるまでは、帰れない。勇者の達成すべき使命はもはやないけれど、男の子の意地がここにはあった。




