7・砂丘の魔女と魔王
驚きでエアリがテーブルの上で後ずさりをし、脚を踏み外すと同時にそれは室内に入ってきた。
テーブルから転がり落ちそうになるのを支えたのは黒い腕。見上げれば視界に入った人間とは少し違う造りの顔にエアリは反射的に「ありがとうございます」と礼を述べた。
驚いて乗っていたテーブルから落ちそうになったところを魔王に救われた王女は、そのまま床に下される。魔王はテーブルを手で引いて元の位置に戻しながら、深くため息を吐いた。
「王女ともあろうものが、テーブルに乗るものではない」
「……それについては返す言葉もございません」
「反省しているなら構わないが…………ところで、見たのかね」
まるで呆れているといわんばかりの注意をしたのちに、魔王は苦い顔でエアリに問うた。
エアリは一瞬、知ってしまったからには生かしておけないなどと言われるのではと疑念を浮かべたが、すぐにその思考に否を返した。この魔王が、そして彼女がそのようなことをするとは考えにくかった。ここに閉じ込めておけば誰に言う心配もないのだし。
そして、何よりも知りたい欲に駆られた。イエスと答えれば、知らない何かを知れる気がして。
「はい」
思考は間髪入れずに返したその答えの後を付いて出たもので、考えるより先にしていた肯定に魔王は頭を抱えた。
「初日から神経の太い王女様だと思っていたが、見られることを考慮していなかったこちらの不手際だな。少し待っていなさい」
そして独り言のように言うなり一瞬消えて、次の瞬間には戻ってくる。その手にひとつ手を握って。
エアリの手を引いた時よりも少し雑に引っ張られ現れた姿は、窓から見たのと同じもの。さらりと光る髪を揺らし、バツの悪そうな顔で少女といえる容姿の女性が入ってくる。
「砂丘の魔女様」
「……お久しぶりですね、エアリアクス姫。このような場所で失礼いたします」
その通り名を呼べば彼女は更に苦々しく顔を歪める魔女。エアリはこのときはじめて、魔女のそのような顔を見た。城の公式行事や王に招かれた魔女を見たことは多々あれど、そのいつでも、魔女の表情は人形のように固かった。
ほとんど無表情で、時折接待用に薄く表情を顔に乗せるだけ。笑顔は美しくも作り物のようだとエアリは幼いながらに魔女を見て感じていた。
それが、今はどうだ。
「ええと、言い訳を、してもよろしいでしょうか?」
同じ作り笑いでも、今しているのは失敗した恥ずかしさとやるせなさを隠そうとして失敗したような苦笑。初めて見る本物の魔女様に、エアリはこくりと頷きながら呆然と見惚れていた。
魔女はまず、魔王の生まれた理由を話した。かつて魔女が人間同士の諍いを厭い魔王を生み出したこと。しかし人々を魔王の恐怖に晒し続けないため勇者を用意したこと。自分が砂丘の魔女となり、勇者を正しいルートで魔王に導き封印させる役となったことを。
そしてこの場所のことを教えてくれた。ここは、彼らが魔女と魔王になる前から居た二人の家であること。彼らが、師弟であることを。
「師弟……」
「そうです。私は本来これの弟子なのです」
「少しも師を敬わんくせに、口でばかり師匠とうるさいバカ弟子だがな」
「口うるさいのはどっちだ、アホ師匠」
しょうもないことで言い合いをする二人に、エアリは気が抜けて少し笑ってしまう。害される心配は元よりほとんどしていなかったけれど、事情を知った今恐れる理由はない。
「人々に恐怖を与え、人同士の争いをなくそうとなさる魔王様が、どうして一国の第三王女の誘拐を?」
彼らの話は概ね理解した。理念を十全に理解し共感できたわけではないが、彼らは彼らなりに理由があり、二百年この世界の敵である。
エアリには明確に知りたい事柄というものはない。せいぜい、国は今どのようになっているかという心配程度だ。箱入りのお姫様のする心配などそのくらいだろう。ただそれを聞きだすにあたり順番がある。言い訳をしたいのは、あちらなので。
「前回私が世界と敵対したのが二十年ほど前であることは知っているだろう?」
「ええ」
「二十年前、私はいつものように人間の住まう街を、魔物を脅して襲わせたのだが」
エアリのした質問は、彼らにとっても想定の範囲内だったのだろう。エアリにとっても相槌のような質問だ。返答は魔王からされる。それは、彼がひとえに魔女に言いたいことがあるからなようだった。
「その爪痕が今も残る中、あまり人里に手を加えたくないとこのアホが言い出してな。いくつかの国から姫君を攫ってくることにしたのだ。国の象徴たる姫君が攫われれば、威信がどうとか、混乱がどうとかでな」
「巻き込んで本当に、申し訳ないと思っています。けれど、今しばらくここでおとなしくしていてもらえませんか……?」
人の町を襲う代案で、彼らはエアリを攫ったらしい。それについてエアリは感謝する立場だ。オースグラットの国でも未だ広く魔王の恐怖は残っている。そこに魔王が再来し、更に傷を作られるよりは、姫が攫われた方がましというものだろう。……そもそも襲った本人たちに感謝するいわれはないけれど。
「それは、もちろん。この場所で私にできることなどありませんから。でも、お姉さまたちではなく私だった理由はあるのですか?」
「……勝手ながら、私の判断で。あなたが一番魔王に誘拐されても自暴自棄になったり絶望せず、現状を受け入れ魔王封印までおとなしくしてくださるのではと思ったからです」
エアリは魔女に選ばれて、ここに居るらしい。
それを知った途端、エアリは言い表せない嬉しさを感じた。
王宮でのエアリは「ただの王女の一人」だったとエアリ自身は思っている。両親に愛されていないなどということはない。自分の両親はきょうだい全員を平等に愛しているし、自分もその中に入っていることは知っている。それについては喜ばしいことだった。
他国の王女の話や、物語に出て来る王家には家族に愛されていない王女の姿があるのをエアリは知っていた。自分がそうでなくてよかったと、誰にも言わないが考えたことがある。
ただ王女としてのエアリはそうではない。第三王女であることを疎んだことはあまりないけれど、ただそれだけであることをエアリは喜ばしくないと考えていた。
秀でたところもない。選ばれたわけではなく、ただ三番目の王家の子女というだけの存在。たとえば四女だったならばエアリは普通に第四王女だったろうし、次女だったならば第二王女だっただろう。
だから、自分が……自分の行動が、性格が理由で魔王に攫われる王女として選ばれたことが、嬉しかった。
「エアリアクス姫?」
エアリが黙ってしまったことに不安を感じたらしい魔女が、エアリの顔を覗き込む。彼らの理念に共感したわけではないが。
「エアリで結構ですわ、魔女様。私にできることなどないでしょうが、その時までここで勇者を待ち、国に帰ってもこのことは誰にも言わないと誓います」
「……ありがとうございます」
はっきりと共犯宣言をしたエアリに、彼女の心境など知らない二人は首を傾げるが、とはいえエアリを疑うこともなく礼を言った。誘拐犯と被害者、魔王と王女とは思えない会話であった。
「ああ、でも、できることはないわけではないんですが……エアリ姫。手伝っていただけるなら、もう少し様子を見て次の姫君を攫って来たら、その姫に部屋の使い方などを説明していただけませんか? どう考えても、このホテルの部屋の使い方を魔王が直々に説明するのは、変な話なので」
「他にする者が居ないのだから、仕方ないだろう」
「どっかから手伝い用の魔物連れて来いよ」
「そういう知り合いは別の仕事をきみが言い渡しているだろう。第一、他の魔物をここに招き入れるために使う私の魔力が無駄だ」
やんややんやと途中途中で挟まれる魔女と魔王のやりとりを聞きながら、エアリはその日世界でただ一人、魔王のシステムを知る人間となった。
その後はほとんど毎日、魔女が姿を見せるようになった。彼女は外のことをエアリに聞かせるために来ているようで、エアリは牢で悠々と暮らしながらおおよその世界事情を把握していった。
魔女に聞いた話によると、エアリを一番に攫ったのは本命を隠すためらしい。彼らの本命は、バスアトというオースグラットも接している大国の姫だ。
今回魔王が二十年程度で復活したのは、バスアトが戦争を起こそうとしていると知ったからだった。大きな戦争を二人がかつてより防いできたのは聞いたし、バスアトが小国を取り込むため戦争を起こそうとしているのもエアリは知っていた。
姫を攫えばバスアトという大国も戦争より先に魔王に目を向けざるをえなくなるだろうという考えもあって、今回の姫攫い計画が結構されたらしい。
とはいえ、いの一番にバスアトの姫を攫えば本来の魔王システムの目的に感づかれる可能性がある。ただでさえ、だいたい世代交代程度の周期でしていた復活をかなり前倒しでしているのだ。だから、まず他国の姫を攫ったのだと。
しかし状況は望む通りにはいっていないらしい。
「エアリの国は、姫が攫われたことを知られたくないようだな」
「まあ、民衆や他国に知られれば弱みに見えかねませんもの、判断を下すタイミングが難しいのでしょう」
「勇者召喚の準備をしてるみたいだし、先に姫コレ開始した方がいいのかね。無駄に、もう三部屋も用意してるし」
姫コレ、とは魔女の使う姫攫い計画の略称で、彼女は深くため息を吐いて天井を見上げた。この上に同じ間取りの部屋が二つあることも、エアリは知っている。
この建物の外は人間の「瘴気」と呼ぶものがとても濃く漂っていて、建物に外の瘴気を薄める魔術を施しているため建物からは出してもらえないが、上の部屋には以前案内された。ちなみに二人は瘴気のことを「空気中の魔力」と言っていたが、そのあたりの説明は詳しくされていない。
「そういえば、このお部屋には出入り口がありませんけれど、その際私はどうやって説明をすればいいのでしょう?」
「あー……階段でも作るんじゃないか? 師匠が」
苦笑する魔女にエアリも同じように返す。あの魔王ならばするだろうと思ったからだ。エアリの今居る一階の部屋など、実質二日で作ったとは前に聞いたことだった。
「他に何か困ったことはないか? 部屋だけじゃなくても」
「いえ。生活に関しては……特に」
「……ああ。髪の傷みとかはなあ……攫われたお姫様があんまり小奇麗にしてるわけにもいかないし」
エアリが無意識に自身の髪に触れたことで気付いたのか、魔女は申し訳なさそうに言う。察してくれたことに嬉しさを感じながら、わかっていたが対処できないことに肩を落とす。
元よりエアリは自分の髪の美しさには誇りを持っていたので、王宮では特に念入りにケアしていたのだ。攫われてから三週間が経とうとしている。いかに入浴の道具などが用意されていようとも、さすがに王宮と同じようにとはいかない。
「いっそ切るか? 短くても可愛いと思うけど……あ、でもオースグラットの女の人は髪を短くしないんだっけ」
「短く……それですわ!」
「え?」
パンと両手を合わせ立ち上がったエアリに魔女はぽかんとして見上げる。
対してエアリは今こそそのタイミングだと長年の夢を思い出した。昔、パーティーで他国の女性と会った時受けた衝撃を。
エアリの居たオースグラットという国では女性は髪を伸ばすものという慣習があるが、他国ではそうではない。幼い頃エアリは他国の、髪を肩に付くか付かないか程度の短さに揃えた美しい女性を見た。それ以来、その髪型に憧れを抱いていたのだ。
美しい髪とは何も長く伸ばしているだけがすべてではない。
「ええと、切るのか? だったら師匠呼んでくるけど……」
「ぜひ、お願いしますわ」
そんなこともありつつ、エアリは魔王と魔女と仲良くなっていた。魔王と魔女と王女。誘拐犯と被害者でありながら。
エアリの立場からすれば、彼らに惹かれるのは半ば必然でもあった。王女で在る以上、こうして対等に話せる友人ができることなどなかなかない。エアリから頼んだとはいえ、エアリにこうして気安く話す相手も。エアリは第三王女という立場を考えて、ずっと生きてきたのだ。
髪を短くしてみたかったという相手さえ、彼女には居なかった。
「さすがにその完璧なシルエットのボブカットはどうかと思う」
「私に切らせた時点でこうなることなど予想しておけ」
そして目の前でこんな風に親しさを見せる相手も、居なかった。姫様の前では使用人同士も親しくしないし、家族仲もこれほどに良くはない。
だからこれは羨望でもあった。自分の知らない師弟関係にエアリは夢を、きらきらしたものを見た。
文句を言いあいながらも信頼の感じられる彼らの関係をエアリは、ひとつの舞台のように素敵なものとして見ていたのだった。




