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ぼくらのままならない世界  作者: いない
少年と砂丘の魔女
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5・事情と感情

 アスマの部屋に入ると、エアリは内鍵を閉め、さっさと部屋の奥へと進む。姫様が勇者とはいえ男の部屋に夜に一人で入るのは外聞が悪いのではないかと思ったが、彼女の剣幕にそんな話はとてもできなかった。

 エアリは部屋に置いてあるテーブルに懐から出した紙を一枚置くと、ペンを走らせる。淡く発光しているかのようなペンで何かをかき終えると、再度、アスマを睨みつけた。

 それはとても自分を助けてくれた相手に向けるような目ではない。怒りの籠った視線を正面から受け、女子のそんな目に動揺する。ただ、エアリは自身のドレスのスカートを皺ができるほど握っており、これでも我慢しているのだとわかる。


「エアリ姫。お話とはなんでしょう」


 アスマはエアリの視線をまっすぐ見返し、問う。彼女のしたい話が、今自分の持っている違和感の正体だということを、なんとなく感じ取っているからだ。

 しばらく自分を落ち着けるように深呼吸したエアリは、乾いた口をゆっくり開き、震える声で呟いた。


「一番許せないでいるのも、怒るべきではないのも私ではないのですが」


 感情が昂りすぎているのか、目にうっすら涙さえ浮かべている彼女は、ぎゅうと服を掴んで肩を震わせる。


「それでも、言わせていただきます。なぜ、魔王を倒したのですか」


 なぜ魔王を倒したのか。問いかけるような非難にアスマは硬直した。魔王を倒すまで、アスマはそれが世界平和のためだと思っていた。それが彼女のためになると信じてやまなかった。

 けれど、もしかして、それは自身の勝手な思い込みで、実際魔王は倒されるべきではなかったのではないか。魔王を倒しても彼女は、砂丘の魔女は喜んでいないのではないかと思い立った仮定が肯定された気分になったのだ。


「なぜ……って……」


 それが正しいと思っていたから。嘘でも建前でもない、まぎれもない本気の答えなのに、それが返せなくて言葉に詰まる。


「誰もそんなこと、望んでいなかったのに」


 彼女はとうとうこらえきれなくなった涙をはたはたと零しながら呟く。拭いもしないけれど感情のままに泣き叫ぶでもない、静かな怒りと涙に気圧される。魔王に対して立ち向かった勇者だというのに。


「魔女様に言われたでしょう。何かを救うなんて幻想を見てもろくなことにはならないと。倒すことですべて終わるのならいいのだけれど、と」

「それ、は」

「魔女様にもずっと言われていたでしょう。魔王を封印してほしいと」

「……」


 言われていたけれど。それでもあの頃のアスマは、その言葉がそれ以上でも以下でもないことになど、気付いていなかった。

 だって。そんなの。魔王は悪い奴で、それを倒した先にあるものがハッピーエンドだと思うじゃないか。

 まるで子どもの言い訳のような考えが浮かぶのを、必死で抑える。初めは彼女の気迫に押されていたアスマだったが、あれだけ努力して倒したのに責められていることに、納得がいかなくなってくる。

 魔王を倒してはいけないなんて誰にも言われなかった。それなのに、なんで怒りの感情など向けられなければならないのかと。


「あなたがした行動で、魔女様は……!」

「そこまでだ、お姫様」


 それでも彼女の名前を出されてぎくりとしたと同時。自分のしたことが彼女にとってどういうことだったのかを知れると思った瞬間に、新しい声が夜の部屋に小さく響いた。

 ここ数カ月で聞きなれた声。透き通るようなきれいな少女の声に、一歩遅れて姿が現れる。

 何もない空間から現れる魔術は魔女の専売特許だった。これまで何度もその魔術をあてにして、世界に現れる魔物と戦った勇者だったが、それが自室で行使されるのは初めてだった。そして、自分の数カ月暮らしているこの部屋に、彼女の姿があることも。


「砂丘の魔女……」

「すみません、勇者様。彼女は……いろいろと、事情を知ってしまっているのです」


 魔女は困ったように眉を下げると、とうとう声を漏らしながら泣き始めたエアリを胸に引き寄せた。同じくらいの背丈なので、エアリは魔女の肩に顔をうずめるようにして泣きじゃくる。

 その頭を撫でる彼女の表情は、アスマの見たことのないものだった。眉を下げ、仕方ないんだとエアリを慰めながら、唇は緩い弧を描く。悲しそうな笑い方。


「エアリ。彼は何も知らないんだから、一方的に責めたら可哀想だろ」

「でも、でも。魔女様。私、許せなくって。ま、魔王様が死んじゃったら、どうしようって」

「あいつは死なないよ」


 そしてアスマに話すのとは違った、砕けた話し方にアスマは驚いた。それと同時に彼女たちの会話の中に当然のように出てきた存在に驚愕した。

 国の姫はそれを「魔王様」と呼び、砂丘の魔女は魔王を「あいつ」と呼んだ。

 事情を知らないとはその彼女らの口から出てきた言葉だが、本格的に自分のしたことが間違いであることを知ってしまい、アスマは眩暈を覚えた。何がどうなっている。説明が欲しい。

 ぐすぐすと少女の啜り泣く声を聞きながら、アスマは震える声を、愛しい彼女へかける。


「どういうことだ……?」


 呟きのような言葉だったが、魔女はエアリを撫でながら視線をアスマの方へ向けた。その表情はいつもアスマの見ていた無表情で、きれいな目はガラス玉のように何も映していない。いや。いっそアスマを見ないようにしているかのようだ。


「さすがに、説明する義務があるでしょうからお教えします」


 敬語に戻った彼女は目を伏せ、微かに眉間に皺を寄せる。


「魔王出現と勇者。封印魔術とそれを教える魔女。あなたがここに来て経験した一連のこれらは……すべて茶番です」


 茶番。この場に相応しくないような単語だが、魔女は本気でそう思っているようでつらつらと、用意された台本のあらすじを読むように劇の説明をしていく。


「あなたたちからすればはるか昔です。私はこの世界の、人間同士の諍いが大嫌いで、許せなくなりました」


 まるで子どもに聞かせるおとぎ話かなにかのように、魔女は淡々と語る。




 はじめて魔王が出現したのは約二百年前。その頃魔女は魔王の弟子だった。魔王は魔女を弟子として育て、やがて大きくなると世界を見て来いと人間の元へ送り出した。

 魔女ははじめて向かったとある国――城で聞いて知っているが、魔女が初めて姿を現したのはアスマを召喚した国だ――そこで『非国民』という存在を知った。非国民とは生まれながらにして、あるいは理不尽に、国に属し労働し給金をもらい生きることを拒まれた者たちだった。国民は非国民を居ないものとして扱った。どの国もそれを当然としていて、彼らを助けられる者は居なかった。

 魔女はそれが「どうしても気に入らなくって」非国民を救いたいと思った。そうして仲間を集め、非国民と国民の境を、人間同士にある線をうやむやにするために、魔王という世界の共通の敵を作り上げた。

 茶番という言葉は、当人たちとしては的を射た表現だ。「魔王」という役が居て、「魔女」という役が居て、「勇者」役を連れて来る。

 世界が戦争などの大きな諍いを起こそうとすれば魔王を降臨させ、共通の恐怖として世界の意識をそちらに向ける。争いのないときは魔王を封印し、恐怖から解放する。

 そういう寸劇を二百年続けてきたのだ。




「あなたのしたことは間違いではありません。事情を知らなければ魔王はただの世界の敵で、この茶番は私の盛大なワガママの結果にすぎませんから。……ずっと最初から、それはわかっているから」


 魔女は目を閉じ、まるで祈るように額に片方の手を当てる。微かに震えていて、エアリを支えていた手は降ろされ、堪えるように拳を握りしめている。


「それでも……師匠で、親みたいなあいつを殺そうとしたあなたを見ると、どうしても許せなくなってくる。だから、ごめんなさい。帰り道は保証するから、早く帰ってくれ」


 震える声で彼女は懇願する。アスマの恋い焦がれていた魔女は、まさしく親の仇を見るような目でアスマを見そうになって、それを堪えている。

 それでも、彼女の感情的な部分から目が離せなくて、アスマは呆然と立ち尽くしていた。フラれるよりも酷い。憎まれているのだ。

 けれど、恨まれているのは自分だと言うのに、アスマは彼女を救ってあげたいと思ってしまった。憎まれてはいるけれど、彼女を苛んでいるものの本質は自分ではない。彼女の話からそう感じてしまって、アスマはあろうことか、足を前に踏み出した。


「あなたは、悪くない」

「え――」


 そして、彼女の手を取り、そのきれいな金の瞳をまっすぐに見た。

 目を合わせた彼女は、正体を見破られた化け物のように顔を青くする。瞳孔が開き、力なく一歩後退した。

 その場に倒れ込んでしまいそうな彼女を抱きとめようと手を伸ばしたアスマだったが、その手は第三者に薙ぎ払われた。手だけではない。頬に強い衝撃が走ると同時に、アスマの体の重心もぶれて、格好悪く地面に手を付いた。

 そんなことをしているうちに、気付かぬ間に魔女の姿はなくなっていた。

 目の前にあるのは顔を赤くして涙をばたばたと零す、お姫様とは到底思えない少女。はっきりとアスマを許せないと言ったエアリだけ。

 彼女は座り込むと、ううと呻いてまた泣きじゃくりだす。

 どうしたらいいのかわからない、酷い状況に勇者は部屋に敷かれたカーペットに座り込み、頭を抱えた。

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