1・召喚勇者
九里明日真はどこにでもいる平凡な高校生だった。
お気に入りの音楽を聞きながら学校に通い、仲の良い友だちと笑いあって過ごし、時に勉強が嫌だと言ってみたり、好きなゲームをしたり、漠然と将来を思い描くような、普通の高校生だ。二十にも満たない彼は未だ世の艱難辛苦を味わうには早く、親の庇護を受けて悠々と、平和な世界を過ごしていた。
そんな少年アスマの人生が変わったのも、普通の「ある日」だった。その日に何か特別なイベントがあったわけでもない。前兆や予感なども当然なく、突然のことだった。
自宅で最近はやりのネット小説を読んでいると、唐突に部屋が、光ったのだ。一瞬雷か、と思ったが、考える時間もないままに、見慣れた部屋は様相を変えていた。
手にはスマートフォンのみ。服装は部屋着。そんなリラックスした格好はその場に異常なまでにそぐわなかった。
荘厳な扉。高い天井。足元に広がる複雑な文様。周りを囲む、目深にフードを被った人々。
その中から銀の総髪を携えた初老の男性が歩み出て来る。
静寂が広がる中、場違いな格好で地面に尻を付いたまま状況を把握できていない普通の男子高校生に、男性は告げた。
「異世界からの勇者殿。突然のお呼び立て、申し訳なく思う」
その呼称をされると同時に、アスマは自身の手の中で光っているスマートフォンに目を落とした。正確には光っている、その画面に。
現在通信を行っていないが、開いていた最後の画面だけは見ることができる。先ほどまで読んでいたネット小説。平凡な少年少女が異世界に呼ばれ、魔王を倒してほしいと権力者に願われ、旅に出る話。ネットで流行している、よくあるタイプの話。
そんな物語の主人公に、自分はなったらしい。
状況をそう断じたアスマは、ベタにも自身の頬を抓って、これが寝落ちした夢の中でないことを確かめた。
召喚の間と呼ばれたその一室から移動し、一回り手狭な、窓の外の景色の見晴らしが良い部屋に案内される。高さから見て一階でないのは間違いないが、建物の外観を見ていないので、そこが何階かはわからない。召喚の間よりも狭いとはいえ教室を二つつなげたくらいの広さはある。
応接室のようなイメージのその部屋には、アスマと、先ほどの銀髪の男性。そしてそのお付きらしき洋装の男性二名女性一名。それから騎士らしい、厳つい西洋鎧に似た甲冑を着た者と典型的な魔法使いのローブを着た者合わせて十名近くが居る。
威圧感にびくつくも、銀髪の男性と向き合って座るアスマは仕方ないだろうと思っていた。異世界からの勇者などと呼ぼうとも、全くの警戒なしに会話できるわけではないということだ。
目の前の男性は、察するにこの国の大臣か何かだろう。先ほどお付きの人と話していたのは聞いているが、呼称は「王」ではなかったため、王様ではないと判断した。「勇者」などと呼ばれた以上即座に酷い扱いは受けまいと推測して、相手の出方を窺う。
「このような形での対話で申し訳ない。私は、この国の官吏をしている、ユーシエンヌという。この度勇者殿の補佐を預かった者だ」
「九……あ、いえ。アスマと言います」
相手が苗字を名乗らなかったので、一応名前だけを答えておく。ユーシエンヌは、アスマが落ち着いているのを見ると小さく頷いて、話を始めた。
彼の話によると、この世界には「魔王」というものが存在しているらしい。
初めて人の前に現れたのが二百年近く前。この世界に突如現れた魔王は、それまで人間とほどほどの距離を持って存在していた魔物を率いて人里を荒らし、土地を荒廃させ、人の子を拐し、世界中の国を混乱におとしめた。魔物を率いる者として、魔王。それの存在は現れると必ず世界を揺るがし、記録に残されその恐怖は受け継がれている。過去の記録には大量の人間を殺害した例もあるらしい。
魔王は約二百年前に初めて現れてから、文献上三度この世界に再来している。すべて同じ魔王なのは、かの魔王が人では到底太刀打ちできない化け物だからだ。
ユーシエンヌはその初めの文献を開いてアスマの方へ向けた。書き連ねられているのは、アスマの見たこともない文字だ。相手の言葉は日本語で聞こえるが、文字は読めないらしい。それを伝えるとユーシエンヌは半分予測していたように文献の内容をかみ砕いて話す。
二百年ほど前、魔王は世界を恐怖と混沌の渦に呑み込ませるため、その姿を人間の前に晒した。そしてかの魔王は人を襲い、家や食物を奪い、世界に絶大な被害をもたらした。しかし、初めて魔王の存在が確認されたのとほぼ同時期に、世界に「勇者」と呼ばれる者が生まれた。勇者は「魔女」と名乗る、人とは異なるが人の味方となる者に魔王封印の魔術を教えられ、魔王を封印した。
ただ、魔王が強すぎたため倒すまでには至らなかった。初めに魔王を封印してから、百年ほどは世界も平和になったらしい。とはいえ、魔王に壊された土地を復興させたり、封印にも初めから懸念があったため警戒態勢はしばらく解けなかったそうだが。
魔女の話から、初めからその封印が永遠には続かないことはわかっていたが、百年ほど経ったところで封印は解け、魔王は復活した。すぐに次の勇者は見つかったが、魔王討伐の途中で勇者は力尽きてしまう。そうして勇者が居らず魔王の恐怖だけが民衆に広がるのを見かねた一国が、他世界から勇者となり得るものを呼び寄せた。
この世界の者はここ以外にも世界があることを知っている者が多い。古来より、他世界から訪れた者は世界を越える際に神の加護を得て人とは変わった力を持つことが多かった。それに目を付けた国が召喚した者を勇者に仕立て上げたということだ。
しかし、特別な力を得ようとも呼び寄せた勇者にも魔王を倒すほどの力はない。その時代の勇者も魔女の魔術を用いて魔王を封印することになった。
その後再び世界は平和になったのだが、その八十年後、魔王は再度復活。その時は勇者も居なかったため、初めから勇者を異世界より呼び寄せたらしい。そして封印。
それでも魔王は再度復活した。初めの勇者よりも力が弱かったからか、その後二十年ほど経った今、魔王が復活し、封印のため呼び出されたのがアスマだという。
「魔王は人間の恐怖などの負の感情を食らう。人を直接殺すことは少ないとはいえ、早急に対処しなければならない。……三か月前、我が国の姫が攫われた。そのため我らが勇者殿を召喚したのだ」
前は他の国が勇者召喚を行ったそうだが、明白な被害に遭ったため他国よりも先に勇者を呼び寄せたという。
「勇者殿。こちらの勝手な言い分であるとはわかっている。だが、力を貸してはくれないだろうか」
恭しく頭を下げる様は、とてもいいようにアスマを利用しようとしているようには思えなかった。
いくつかの小説の類を思い出す。勇者を呼び、世界の為に戦ってほしいと頼むもの。それを理由に私欲のために勇者を使うもの。これは前者の類であると、考えていいのだろうか。
「もし、断ったらどうなるんです?」
念のため聞いておくと、ユーシエンヌは一瞬眉を下げ困ったような表情を見せたが、すぐに様子を戻してまっすぐにアスマを見た。
「そうなれば、仕方ない。……戦う意志のない者を無理に戦わせることはできない、魔女に頼んで元の世界に戻していただく」
「帰れる方法があるんですか?」
「ああ。その魔術も砂丘の魔女殿……ああ、いえ。魔女が完成させている。望まぬ者を勝手に連れてきているのだから、当然だと仰ってな」
帰り方が確立している。こういう場合、帰れない又は魔王を倒せば帰れるという交換条件があるという思い込みがあったため、アスマは少し驚いた。嫌ならば帰っていいのか。そうして、彼らは次の勇者を呼ぶ……のか?
どうも思い描いていた物語とは勝手が違うようで、アスマは更にいくつかの質問をした。
「まだ何も自覚していないんですが、俺に本当にそんな力があるんですか?」
「それについては、正確な力を測り、国を挙げて使い方を覚えてもらうことになる。だが、力があるのは確実だ」
「砂丘の魔女……というのは」
「先ほどから言っている、魔女のことだ。魔王の住む森のふもとの砂丘に住んでいるのでそう呼ばれている。最終的にはその魔女の元で魔王を封印する魔術の修行をしてもらうことになる」
返答の内容に不審な点は、未だないように思う。アスマは彼らの言葉を信じることにして「わかりました」と頷いた。
来た時から、実際心は決まっていた。九里明日真は普通の高校生。平凡な少年だ。このような、自分が特別な、選ばれた勇者であるという状況に心が躍らないわけがない。自分であれば、魔王を封印できる。
一つの世界に頼られている。特にファンタジーを好む男の子の夢のような機会を、逃す理由はなかった。
――当然、死への恐怖や戦うことへの恐怖は現時点で考えてさえいない。平和な世界で生きてきた少年にそれを当初より念頭に置けというのは無理な話だ。
「ありがとう……!」
決意したアスマに、ユーシエンヌは心よりの謝辞を述べる。それがまたアスマの心を高揚させ、やる気にさせるのだった。




