32
「ところで、世界の境界ってなんだ?」
学園の正門の方向へ歩いてはいるが、どこに向かう気だろう。リオンが王子ならば城に向かうのだろうかと学園を囲う塀を眺めながら、ふと思い出したことを問う。文脈で理解していたが、その呼び名を聞いたことはなかった。
「きみが深淵の峡谷を中心とする森と呼んでいた場所だよ。あそこは未開の地だから、様々な呼び名があるんだ」
「へえ」
基本生き物の気配さえしない静かな森だってだけなのに、大層な名前がつくものだ。いつだったかの会話を思い出して、俺の方からあの場所を深淵の峡谷と言っていたのだっけと記憶を探る。残念ながら、世界を越える際に消失した思い出が如く何も思い出せなかった。
「勝手に出自を明かしてしまってすまない」
「それは気にしてないけど」
全く何も気にしていないとは言えないのは、非国民の件があるからだ。リオンはあの坊ちゃんのように非国民を完全に敵とみなし差別をしているわけではないのだろうが、それでも、王子のリオンでも俺が「非国民」なら助けられないということがわかってしまった。
苦い顔は、表情を取り繕うのが下手なせいで隠せない。
「ちょっと、待って、待ってください! すみません通して!」
そんな中、少し遠くから聞こえた声に俺は誰より早く反応した。
ざわりと、乱入した声に周りがざわつく。リオンという王子を護衛しているのだ、警戒態勢が強くなる。
けれど俺にとっては警戒する必要のない、聞き覚えのある女の子の声。間違いようもなくアンネのものだ。ぱっと背筋が伸びる。王子のリオンを囲う集団の外側で駆け寄ってこようとするアンネを体で止めようとする護衛に、体は反射的に動いていた。
「アンネ!」
「リリアっ」
駆け寄ろうとするも、邪魔するように衛兵が動いてアンネの元へ向かうことはすぐには叶わなかった。どけ、と睨みつけようと一瞬視線を上げるが、それよりも先にアンネの声が響く。
「私、その子の友だちです! 連れて行くなら、私も一緒に連れて行きなさい!」
脳に直接届いたそれに、心臓が激しく打ち始めた。怯む衛兵の手をかいくぐって、アンネの手が俺の腕を掴む。
「アンネ……」
「あなたが許されないなら、私も許されなくていい」
好きが――あふれ出そうになった。
きっとアンネからすれば死ぬほど勇気のいることだ。虐げられることを、孤児だなんて蔑まれることを知っているアンネは、非国民が非国民として扱われることを身近に感じていたはずだ。それが、それなのに。国に許され、一部の者から差別されようとも学園に通うことを辞めないアンネが。
許されなくてもいいって。
「り、リリア?」
しかし、まるで永遠にも思える一瞬の夢はすぐに覚めさせられた。困惑するリオンの声と、どうしたらいいかわからないでおろおろしている周りの衛兵によって。
現在の状況といえば、王子に連れられ、多くの兵に囲まれて移動する俺。きっと外から見れば俺が連行されているように見えるだろう。特に、俺を非国民だと知るアンネからすれば、俺が何かしでかして連れていかれているようにしか見えないはずだ。ちょっかいを掛けて来る存在も知っているわけだし。
それを見て後先もなく走ってきてくれたことは嬉しい。とても。愛しくて泣きそうなほどうに。
ただ、簡単に言ってしまうとアンネのしていたのは勘違いということで。
「は?」
ポカンと首を傾げたアンネは、これは俺の純粋な感想だが、とても可愛かった。
「恥ずかしい勘違いだったってわけね」
頭を抱えて話を理解したアンネは、少しだけ耳を赤くして、けれど安堵したようにため息を吐いた。俺が希望したので、現在アンネも話の場に同席している。場所は学園の応接室だ。元からリオンはここに来るつもりだったらしい。
「でも、勘違いでよかったわ」
「私はアンネが心配してくれて、すごく嬉しかったよ」
正直な気持ちを伝えるとアンネは「ばかじゃないの」と顔を背けて言った。可愛らしさが留まるところを知らない。
「それにしても、リリアが王子様と知り合いだったなんて」
「王子様はやめてくれ。私も、きみがリリアの知り合いだったなんて思わなかったよ」
聞くに、二人はこの学園では同級生らしい。身分差や周りの視線もあって会話したことはほとんどないそうだが、俺の知らないところでリオンがアンネを知っていたというだけで少し嫉妬しそうになる。なんとも醜いが、恋してるのだから仕方ないと許してほしい。
リオンがあの森に来ていた理由は、以前に聞いた兄のお使いということでウソ偽りも間違いもないらしい。なんでも第一王子であるお兄さんが大の魔術オタクで、そのせいで魔力及び魔力耐性の強いリオンが、第二王子で在りながら駆り出されるのだと。
「元々兄の方が王の器としては優秀で、通常長男が王位を継ぐことが多いからおかしなことではないんだ」とはリオンの弁で、リオンの卑屈なところは兄と比べることでできたのだろうと邪推した。余計なことは言わないけれど。
「それにしても、王子様が通りかからなかったらどうするつもりだったのよ」
「私は元々逃げるつもりだったよ」
リオンと出会った理由も話し、先ほどの経緯も話したのを聞いた上で、アンネは呆れたような、少し怒ったような声を出す。そうは言われても、今回のことの発端は俺ではなく商人の旦那及びあの一座なのだ。発端というだけで、彼らは悪くないが。
「そういえば、あのあと商人さんたちはどうしたんだ? あの場に取り残したりはしてないよな?」
リオンに気を取られてついて来ていたが、あの場に彼らだけで取り残されたということはないだろう。事情を聞くためにも、どこか別の場所に連れて行ったには違いないが、お礼と謝罪を言わなければならない。
「彼らもエアクルも、それぞれ話を聞いているよ。城の方に連れて行っているだろうから、後で会えるように手配しよう」
リオンが手を挙げると、室内に居た数名の護衛だか目付け役だかのうちの一人が部屋から出て行った。きっとお使いに行ったのだろう。こういうのを見ると、リオンは王子様なんだなと思わされる。
「エアクルって……あの坊ちゃんか」
「彼はね。平時は模範的な魔術師なんだが、その、両親が熱心な反非国民派で、その影響を強く受けているんだ。お兄さんの方は独立していて、そうでもないんだが」
「反非国民派というか、差別主義者って感じだけど」
アンネの前で言うのは憚られるが、リオンがもし知らないならば不当に害を被っている者が居ることを知ってほしくて口に出す。視線が揺れてアンネを見たから、知ってはいるのだろう。
「この国にそういう者が少なからずいるのは確かだ」
「まあ、仕方ないとは思うけど」
どこの世界にだって、どんな国にだって居そうな人種だ。愉快ではないけれど。肩を竦めればリオンは驚いたように目を瞬いた。責められるとでも思ったのだろうか。
「リオンはどうなんだ」
責めるつもりなど毛頭ない。王子でも王様でも、他人の思想の面倒までは見切れないだろうし、そんなもの求めるのは間違っている。
けれどリオンはどうなのか。リオンの思想を知りたくて問う。俺を助けたのは実際に俺が国民でないのと同じだけ非国民でもないと思っているからなのか。それとも非国民に対し思うところはあるのか。
この国の王子様がどう考えているのか。
きっと俺が真面目な顔をしていたからだろう、リオンは一瞬面食らったようだったが、逡巡することなく答えた。
「逃げてはならない問題だと思うよ」
事実を知ってしまったからか、リオンのまっすぐにこちらを射抜くような目は王子らしく見えた。昔の知り合いで良いヤツだと思っていた彼が、反非国民派でなくてよかった。
ただ、そのリオンが俺を非国民でないと周知してしまったんだよなあ。いや。どちらにせよ、非国民として認めてほしかったとは、さすがに王子には言えないか。
となると、リオンに俺の今考えていることを話してもいいか。国の王子としての意見は、ぜひにも聞きたいところだ。賛同はしてくれずとも、意見がもらえれば新しい手を思いつくかもしれないし。せっかくの想定外の伝手だ。
「リオン、あのさ」
意を決して話始めようとした俺だったが、すっと目の前の出された制止の手で横を見た。隣に座っているのはアンネで、止めたのも当然アンネだ。
アンネは視線を周りに巡らせて、最後にリオンを見る。
「出過ぎた口で申し訳ないのですが……リオン様。あなたとお話がしたいのです」
今から話をするというのに、なぜ改めて言ったのだろうかと首を傾げるは俺だけで、リオンはすぐにわかったように周りを見回して「皆は下がってくれ」と言った。どうやら、リオンの他に人が居るのが問題だったようだ。
だが、王子様についている周りの人からすれば、ここに俺たちとリオンだけにする方が問題があるようで「しかし……」と異論の声を上げる。それでもリオンが命じれば、一人だけ残して他は下がった。
「彼は昔から私と共に在る者だ。心配しなくていい」
「ですって、リリア」
ぽかんとしている間に用意された密談の場に、困惑する。別に意見を聞くだけなのだからやり過ぎではないかとも思うが、実際に口に出すとアンネに怒られた。
「余計なことを言って国を敵に回す可能性は排除しないといけないし、王子様は味方でもそれ以外が同様であるとは限らないでしょう。どこから話が外に出るかもわからないし。それに、王子様の立場もあるじゃない」
俺だけでなくリオンの立場のことまで考えていたらしい。聡明さに感嘆する。きみは短絡的でいけないと諌める声の幻聴が聞こえた気がしたが、概ねその通りであった。
「こちらにまで配慮してもらって、感謝する」
俺への説明を終えると、これからは俺の話すことだと、アンネは椅子に深くかけて前に出ない姿勢を示した。アンネの用意してくれた、安全にリオンと話せる場だ。ここで失敗して失望されてはならない。
俺は、王都に来てからのことと非国民として生活して感じたこと、それから自分がどうしたいと思ったかを簡単に話した。簡単にとはいえ、感情の話だ。かなり要らない情報も含まれていたと思う。けれどリオンは真剣に最後まで相槌だけをうちながら聞いてくれた。
町で日雇いの下働きをしていることはアンネも知っているので、アンネも口を挟まずに黙って話を聞いていた。
やがて話し終える頃には、リオンは難しい顔をしていた。眉を寄せて、垣間見える罪悪感は知った表情だ。
「私たちが非国民について持て余し、きみの感じるように罪悪感を以って彼らを見ているのは事実だ」
俺たち三人と、黙ってリオンの傍に立つ一人しかいない部屋で、リオンは言う。小さな声は、けれど耳を澄まさずとも聞こえる音量だ。
「そして、彼女がきみを諭してくれたように国内外の事情でそれを動かせず、いつまでも現状に甘んじているのも同じだけ事実なんだ」
口惜しそうなのは本心が出ているからだろう。結局、できる最善の手が今の状況。国勢や周りの意識も鑑みて、ここが落としどころだから現状に落ち着いているのだと。
「これでも一応、何十年前かに、当時の神子であった私の大叔母が改善させたんだけれどね」
その話は以前に聞いたことがあった。国民同士の差を減らすことで非国民への被害を減少させたという話だ。言い訳にしか聞こえないかもしれないが、とは過ぎた卑下だ。
実際、国が本気で非国民を厭い嫌うならば追い出すことなどわけないはずだ。リオンの話に嘘はない。それだけに難しい問題だが。
しかし、今の話のいいところだけを取って聞くと、神子であれば国の在り方を変えるほどの発言力があるのだ。改善できるとことさえ見つかれば、まったくの不可能ではないということ。
「ううん……だからって、もう一段階改善をしようとしたところで落としどころがわからないのが問題なんだよな……」
「……落としどころ」
悶々と考えていたら、リオンの自己卑下のフォローをする前に自分の思考が口から出ていた。慌てて、思考の流れを説明すると理解してくれた。昔、湖のほとりで会話していた時から、俺が世間知らずで思考が飛びやすいのは知っているからか、あまり混乱はされなかった。
ついでに、思考整理もかねて会話するとしよう。
「いろいろ考えてはいるけど、最大の問題はどこに落とすかを決めかねるってことだと思うんだよ。国の事情は聞いたし、国に被害を与えたいわけではない。そんなことしたら本末転倒だしな」
戦争でも侵略でも、問題が起きて真っ先に切り捨てられるのは非国民に違いない。改革が原因で国民が害を被れば、恨みさえ向くだろう。今の罪悪感を持たれている状況は、実際ありがたいことなのだ。改革への賛同者が出て来る可能性があるのだから。
「最善は、非国民の存在を認めてもらうのが目標として、国際問題にならずに実現することなのよね」
「そう。難しいところは国際問題と……あと、他にも居るかもしれない差別主義者によって可能性が考えられる国内問題」
「国内問題今は考えないこととしても、国際問題がある以上はこちらは動けない」
「そこさえクリアできればいいんだよな。やっぱり、他国に直談判が手っ取り早いとは思うんだけど」
「やっぱりって、そんな話いつ出てきていたのよ」
「ああ、いや、私の脳内で?」
脅しめいたことをしなければならないところまで考えたので、確かアンネにも言っていなかったはずだ。誤魔化すように笑うとじとりと睨まれた。「実現できない方法は手っ取り早いとは言わないわ」と怒られる。一応、やろうと思えばできたりして。
「そのうえで最善が不可能と仮定して、適切な落としどころがどこか……という話でいいのかしら」
「認められないならばどこまで改善させたいか……か」
「ええ。あなたの大叔母様がしたのと同じように少しだけ改善させるなら、できるかもしれないでしょう?」
王子様に接するよりも一段階親し気だからか、リオンは一瞬だけ目を見開いたが、特に不快な様子もなく「そうだね」と頷いた。
そういえば、いつの間にかアンネが会話に加わっていた。話がスムーズに進むと思っていたのだ。アンネもリオンも二人して、二人よりも一段階頭の悪い俺の主張を引き出そうとしてくれている。
「リリアの中で、非国民目線で目標に達せないとして、落としどころはどこ?」
最善を認知として、どこまでは達成したいか。
「状況の改善となると……働きたい奴が働いて少しでも金を稼いで、買い物ができる環境……か? 買い物のときには国民登録証の確認なんてされないから、実際金さえ稼げれば食べることもできると思うんだ」
「それだと、今とあまり変わらないんじゃない? 見逃してくれる人は、実際少なからずいるでしょう」
「ああ。だから、状況の改善」
あの非国民だと知られた時の目が半ばトラウマのようになってしまっているから、つい答えてしまった。慣れても気分のいいものではないあの視線がなくなってほしいのは実際、心からの願いなんだけど。しかしそれだけならば、俺が働く意志のある奴らに身なりだけでもきちんとさせればある程度改善できることだ。
「国にしてほしい改善は……やっぱり子どもの国民登録の許可かな」
金を稼ぐ能力のないものから金を稼ぐ機会さえ奪うのは、国として譲歩できるところではないかと思うのだ。親の罪は子の罪ではないし、親の身分は子の身分ではない。国民から階級差を奪えたならば、そのくらいはできるんじゃなかと思うのだ。
「子どもか……」
リオンはそれでも、難しそうな顔をしてしばらく考え込むように俯く。そうして黙考したのちに顔を上げ、視線を一度お付きの人の方へ向けた。すぐに向き直った目は、俺とアンネを見る。
「ここで、子どもの私たちがいくら考えていても空想の話にしかならないと思う。一度、大叔母様のところにお話に行こう」
「え」
突然意を決したようにされた宣言は、今までの会話の流れを汲んでいなくて思わず拍子抜けする。
なんでいきなり、そんな考えに至った? と思うが、実際のところ確かに、王子と言えど(口には出せないが)力のない第二王子と、ただの学生と、国民でも非国民でもない身分も何もない少女。どんなに良い意見が出て話がまとまったところで、机上の空論になってしまう。
「でも、そんなに簡単に面会なんてできるのか? 私なんて特に、正直得体も知れないだろ」
自己申告する俺に、リオンは自信を持って「大丈夫」と言ってくれる。
「私がきみに会いに行けなくなった問題も、同時に解決できるから」
ああ、そういえばその理由を聞いていなかったと思い出しながら、意味が分からない俺はついアンネの方を向いてしまって「あなたにわからないのに、私にわかるはずないでしょう」と肩を竦められてしまった。




