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魔術師の屋敷は、以前王都の建物もそこまで絢爛なわけではないと思ったことを申し訳なくなるくらいの大きなものだった。商業区画と住居区画がわかれているのはわかっていたが、その中でもひときわ大きいのは権力の誇示か、はたまた純粋にこの広さが必要な家なのか。
門から中に入って、そのまま馬車で玄関まで向かう。歩いて玄関に向かうのには距離がかなりあるのだ。以前乗ったことのある馬車に揺られながら、こっそり幌の中から外を見る。カルカさんには微笑ましそうに笑われた。
やがて玄関に到着すると、客間に迎え入れられた。品物はそこで見せるようだ。中には気難しそうなオッサンが座っていた。整えられた容姿から裕福さが目に見える。
そんなお金持ちの家に行ったってなにしていいかわからない、と事前に泣き言を言った俺は、既に黙って挨拶するだけでいいと言われている。
もう何度もここに訪れているのだろう、旦那は慣れたように商品の説明をして事前に交渉した額で俺の売った商品を売った。どの程度利益を掛けているか仕入れ先に知られるのは、あまり良くない……というか、普通しないんじゃないだろうか。
こちらは納得しているから問題ないが、きっと彼らも普通の商売相手ならばしないことだろう。
「ところで、そちらが今回の商品を卸してくれたお嬢さんと?」
先に話は伝えてあったらしい。取引を終えた魔術師の男はこちらを検分するように見て、あごひげを触った。見定めようとする目は、正直気分のいいものではない。
「上等な魔力を持っているようだが、学園には通っていないのか」
「ええ、家庭の事情で」
さすがに目を合わせて話しかけられてしまえば、事前に喋らなくていいと言われたのでしゃべりませんとはいかない。愛想笑いで肯定すると、魔術師の男はフムと顎を触った。
「今は王都で働いているのか?」
「ええ、まあ。日雇いでいろんなことをしています」
「そうか。では、よければ、うちで働かないか?」
俺の返答に一瞬怪しむような気配をみせたけれど、男はすぐに言葉を続けた。見逃されたのだろうか。今の状態でどれほど俺の魔力が見られているのかはわからないが、利を比べて見逃す方がいいと思ったのかもしれない。
「日雇いでなら、考えておきます」
打算で見ないふりをされているとしても、こうして非国民の有用性が広まってくれればありがたいことだし、何かのきっかけになるかもしれない。
「ではまた明日、ここで待とう」
計算高いタイプというのだろうか。感想としては、話しやすい人ではない。
元々会話に参加する予定もなかったので、簡単に相槌だけ打って話を打ち止めにする。フォローには話すことに慣れている旦那が入ってくれた。会話を続けてくれるのはありがたいが、俺のいいところなんて説明してくれなくていい。俺は商品ではない。
つつがなく取引を終え、また長い門までの道を馬車で出て、そのまま大通りを進む。よく見ると、このあたりは学園に近い道だ。
「リリアちゃん、どうする? ごはんでも食べにいくかしら?」
「あー、いや。大丈夫です」
夕方からはアンネと会える時間だし、ごちそうになるのも申し訳ない。だからって、俺に金を払わせてくれたりしないだろう、この人たちは。
遠慮すると、カルカさんは「そうなの」とあっさり引き下がってくれた。
「リリアさん、私たちはこのまま商業区画に行こうと思うのだが、宿の方向は同じですか?」
「いえ。逆なので……ここで降りますね」
実際にはスラムの方向は商業区画と近いけれど、そこまで送ってもらうわけにはいかない。謹んで遠慮して、馬車から下りる。カルカさんの残念そうな声は、ちょっと嬉しい。
「リリアちゃん。きみはすごい子なのだから、チャンスはモノにしないといけないよ」
「はは。ありがとうございます」
先ほどの話を受けるべきだと言っているのだろう。フェイゼルさんにお礼を言いつつ、そうだと思い出し旦那に向く。リュックを背中から降ろし、中に手を突っ込んで亜空間から取り出すのは、一枚の紙だ。
おなじみ文通用紙である。
「これ、私に用があるときに使ってください。ここに文字を書けば、私の持つ同じ用紙に浮き出るようになっていますから」
「ほう……ん?」
想定外の魔術具の出現に、割愛するがひとしきり驚いて「そんなものを簡単に渡すな」とお人よしの説教まがいのことを言われたあと、結局ちゃっかり受け取る……というやり取りをして、ようやくお別れだ。次も早い再会になることを祈りつつその場から離れようと手を振る。
「シトロンの商隊ではないか」
「おや、エルダン家の坊ちゃんではないですか」
しかし、幌に隠れたの向こうから聞こえた声に一瞬足を止めた。相手の顔は見えないが、多分客なのだろう。まだ子どものものに聞こえる声に、坊ちゃんという響き。直接の客ではないだろうに、覚えているのはスゴイことだ。
ここから商売が始まるのならば邪魔してはならないと、他の人たちに別れを告げてこっそり帰ろうとする。けれど、それは他ならぬ旦那によって阻まれた。
「今、お兄様のお家に品物をお届けしてきたところなのです。希少な素材でしてね、こちらの方がお持ちくださったのですよ。同じ年頃でしょう?」
強引さは多分、お人よしの一環なのだろう。同じ年頃の魔術師の弟と仲良くなれば、先ほどの兄との仕事もうまくいく……とか、そういうの。若しくは単純に世間話のつもりか。
真意はわからないが、俺は顔を出した瞬間に「余計なことを」と思ってしまった。
いや、なんというか、聞いたことのある声だなとは思ったのだ。
「貴様……っ!」
そこに居たのは、件の差別主義者だった。
目が合ったと同時に歪められた顔に、徹底しているなと冷静な感想を抱く。この少年個人に対する感情なんてそんなものであるが、ただ、旦那方の反応は気になった。見上げると、突然向けられた敵意に驚いている。そうもなる。
「貴様ら、その女から得たものを我が家に売ったというのか?」
「え、ええ? どうされましたか?」
「どうもこうもないだろう! そんな非国民の用意した物を我が家で使用しろというのか!」
怒鳴りつける声に周囲が反応して、視線が集まる。野次馬ができるほどではないが、商人としては、とても、よくない状況だ。
見上げれば旦那は俺を見下ろして、目を瞠っている。気付いていなかったのか。目が合った瞬間に気まずそうな、憐れむような、残念がるような色に変わった瞳に心が揺れる。覚える必要のないはずの罪悪感と、感じて然るべきだろう悲しさのせいだ。
事実非国民である以上、言い訳などはできない。俺の今すべきは、彼らが俺が非国民であると知らなかった、と周りに知らしめることである。
「今すぐに返金し、汚らわしい非国民から得たものを破棄せよ!」
けれどその前に、この汚い口を黙らせなければ。何様かという言い分を展開してみせるガキに、肚の奥が熱くなる。腸が煮えくり返るとはこのことか。
正当な金額で希少なものを売ったのだ。商人側は悪くないだろ。
「おい……」
「坊ちゃん」
怒鳴り返そうと低い声がこぼれるのを止める事すらしなかったが、それは大きくはないが、よく響く声に遮られた。
怒気を孕まない声は、旦那の声だ。けれど、いつもの人の良さそうな声とは違う。
「リリアさんが何者であるか、私たちは知りません。けれどたとえ彼女が何者であっても、私たちにとっては希少な商品を取引していただいた相手であることに変わりはありません。そして此度のお客様は貴方ではない。商人として、貴方の依頼を実行することはできません」
きっぱりと言い放った明確な拒否に、少年は顔を赤くする。怒りに震えている彼と違い、俺の方はポカンとするばかりだ。まさか、庇ってもらえるなんて、思ってなかった。
背後から肩に手を置かれ振り返ると、カルカさんが微笑んでくれていた。フェイゼルさんも、他のみんなも困ったように笑顔を作ってくれている。そこには、差別をする人なんていなくて。
「何を言っている!? 非国民を庇うことは国の意志に反することだぞ、わかっているのか!」
俺は泣きそうな気になるけれど、泣いている場合ではない。腹立たしいし許せないが、この国に於いてお坊ちゃんの言うことは間違いではない。庇ってしまったことで優しい人たちに迷惑がかかるのは、困る。
しかし、実際俺が非国民である上、公衆の面前で庇われてしまった以上、誤魔化す手立ては存在しない。国民登録証があればいいのだが、この場で誰かから奪うこともできないし、偽物を作る技術も俺にはない。技術さえあれば魔法でどうにかなりそうなものを。
さすがに騒ぎが大きくなって、誰かが通報したのだろうか。少し遠くから人が駆けてくる。同じような服を着た大人たちは、衛兵か、もしくは近くにあるから学園の教師かもしれない。
一番簡単な手段は逃げることだけれど。全員の手を引けばどこへなりと行ける。ここまでショートカットせずに来たから、今すぐにでもトノキアあたりまで引き返せる。けれど、逃げてどうするというのか? 名の知れた商人だ。顔や名前を知られている以上、このまま商売を続けることはできなくなるだろう。
到着した制服を着た一団は、坊ちゃんと俺たちをそれぞれ取り囲んで声を掛けてくる。「状況を説明してもらおうか」と、今はまだ任意の事情聴取といった形だ。結構多くの人が来ているのか、少し遠くの方で「何があった」と遅れてきた誰かの声が聞こえる。偉い人なのか、周りが状況を説明している声も聞こえた。
すぐそばでの状況説明を熱心に聞きたくないのは、旦那が正直に事を話してしまっているからだ。衛兵のこちらを見る目は厳しい。すぐにでも、国民登録証の提示を求められるだろう。
「きみ、国民登録証を持っていないというのは本当か?」
ほら、来た。
持っていない以上出せるものもなく、苦い顔以外返すものはない。眉を寄せ、悪者を見る目をする衛兵から目を逸らしたところで、不意に名前を呼ばれた気がした。
「リリア?」
気がした、ではなく。やっぱり呼ばれた。
しかし、声は男のものだった。アンネではないことに安堵しつつ、しかしそれが聞いたことのない声であることに首を傾げる。ミグリオのものでもない声。アンネもミグリオも、勝算なくここで俺に関わるなんて馬鹿なことはしない。そんなバカなことをする奴で、俺の名前を知っている人。
「王子!?」
誰だそんな奴、と顔を向けるよりも先に、目の前の衛兵が声を上げた。王子……王子?
そんなもんと知り合った覚えはない。そもそも俺には知り合いが少ないのだ。なんせ四歳だ。俺の人間の知り合いなんて、アンネとミグリオとその村の奴と、非国民の一部と――それから。
「リオン……?」
「……リリア」
とても懐かしい顔がそこにあった。
いや、懐かしむにはずいぶんと成長した顔立ち。約二年ぶりだ。男子三日あわざればなんとやら。括目なんてせずとも、その知的で凛とした佇まいからきちんと成長しているのが見て取れる。見違えるほどだ。
声も低くなっているが、さすがに面影が消え去るほどではない。
「うわ、うわ……久しぶりだな、驚いた!」
「こっちこそ。王都に居るなんて思わなかった」
「いや、こっちの方が驚いたよ! 突然来なくなったから、死んだんだと思ってたんだぞ。こんなところで偶然会うって。しかも王子って……王子!?」
先ほど聞いた単語を思い出してはっとする。そうだ。リオンを見て衛兵の放った単語がそれだった。イコール王子とはリオンのことで。
「ああ、そういえばリリアには言ってなかったな。一応、この国の第二王子をしているんだ」
はっきりと当人の口から告げられて、開いた口が塞がらない。王都に住んでいるという話を聞いたことはあったが、王子だなんてまったく知らなかった。というか、そうなるとあの、人間からすれば未開の森に王子が一人のこのこやってきていたというのか。
そういえば兄貴のお使いだと言っていた。どういうお家なんだ。困惑が留まるところを知らんぞ。
「というか、死んだって酷いな」
「連絡手段を渡したのに、連絡さえ来ないんだ。そう思われたって仕方ないだろ」
せめて、もう行かないとかなんとか一言寄越せばいいものを、渡した直後から音信不通になったのだ。それを思い出したのか、リオンは申し訳なさそうにした。どうやら、嫌われたから来なくなったわけではないようだ。
「王子、その者と知り合いなのですか……?」
ところで、完全に忘れていたが、現在俺はピンチなのだった。王子であるリオンと知り合いだったことで、衛兵や商人の皆さん、他の者も皆一様にポカンとしている。その中で唯一声を上げたのは例の坊ちゃんだ。
驚愕と苛立ちの混ざった声に、徹底しているといっそ感心さえしそうになる。その悪意を向けられているのが俺である以上、そうも言ってられないが。
「その者は非国民なのです! お離れください!」
さすがに俺と知り合いであるというのを理由に王子にまで敵意を向けることはなく、リオンが事実を知らないことを前提に忠告の声を上げる。
しかし、リオンは坊ちゃんをまっすぐ見ると、きっぱりとした口調で彼の前提を否定した。
「それは知っている」
周りがざわりと空気を揺らす。
この国の王子たるリオンが、国の決まり事を破って非国民への関与しているとなれば、スキャンダルというレベルではないだろう。止めるべきか、と思っても「知っている」と言ってしまえばもう遅い。否定さえもできない。
けれどリオンはバカではない。
「彼女がどの国にも属さないことも、私は知っている。私が彼女と出会ったのは、世界の境界だ。彼女は世界の境界に住んでいた少女だ」
周囲の空気が一層ざわつく。ひそひそと声が聞こえるし、こちらを見る目は非国民を見るときと似ているようで違う、畏怖の込められた視線になっている。
「な、なるほど。リリアさんが希少な素材を持っていらしたのは、それが理由ですか」
なんとか平静を見せようとしているのは旦那だ。多分俺に気遣ってくれているのだろう。自分たちは怖がっていないと言ってくれているのだ。先ほどからの優しさに鼻の奥がツンとする。
「エアクル。それならば問題ないだろう? 彼女は国民でも非国民でもない」
リオンに名指しで説得され、坊ちゃんは閉口した。何も言い返せないのだろうが、悔しそうな顔だけは隠しきれていない。彼に関してはそんな名前だったんだなという感想しかないが。
悔しいのは俺も同じだった。結局非国民として周りに認めさせるのではなく、非国民ではないからと周りからの視線をおさめてもらってしまった。
「リリア。いろいろと話したいことも、あれから湖に行けなかったことの弁解もあるのだが……よければ、一緒に来てくれないかい?」
「これだけ厳ついお友達従えて、貸しまで作っておいて、よければも何もないんじゃないか?」
「そう感じたならば謝るし、嫌ならば断わってくれても構わない」
「冗談だよ」
こっちだって聞きたいことはたくさんある。今のはただの冗談で、ちょっとした八つ当たりだ。
俺の返答に周りの制服たちは不敬だと感じているからか眉を顰めているが、リオンは気にした様子もなくそのまま案内を初めてしまった。歩いて向かうは学園の方だ。そのそばに、制服たちもついて来る。
すれ違う際、酷い憎悪の目を坊ちゃんから向けられたが、それは知らないふりをした。




