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男の話を聞くに、この世界は俺の居た世界とはまったくの別物らしい。
科学技術はあまり進歩していないが、魔術や魔法といったものが存在する。人間はいるけれど、それと同じくらいの数魔物と呼ばれるものが居る。そしてこの世界の人間や魔物の一部には、この世界の他にも世界があることを把握している者がいる――のだとか。
荒唐無稽と言って過言でないような話に頭がくらくらした。いっそのこと物語の世界に飛び込んでしまったとでも思った方が、幾分も理解に易そうだ。
「私も元々は別の世界に居てな……まあ、そちらの世界にも魔術や魔法は浸透していたので、きみの居た世界とは違うが。立場としては似たようなものだ」
その解釈は少々大雑把すぎるのではないだろうか。
別に秘密にしろとも言われていないので、体感先刻自身の身に起こったことをまとまらない言葉で伝えたのだが、それにしては感想が淡白だ。
「神様とか天使とか言われてんのに、驚きもしないんだな……」
「驚いてはいるさ。まさか生まれ変わりなどというものが存在するとは夢にも思わなかった。が、この世界には神が居るのだ。それが理解を助けたのだろうよ」
せざるをえない状況を作ったというか。そんな風に肩を竦める。
というか。引っかかった言葉に首を傾げる。
「神が居る?」
「そうとも」
「ナントカのオオミカミとか天使ナントカエルとかいうのが実際に居るってのか?」
この世界には神様は実在するとでもいうのだろうか。問えば反応は肯定だった。
実際に死後の世界らしきところで天使らしき存在に相対してきたのは俺だけれど、それでも信じがたい。宗教や現人神など信仰や陰謀の話ではなく、実際神様がひとつの世界に顕現していると?
俺の反応を見て、興味深そうに「オオミカミ? ナントカエル?」と呟いた彼に、元居た世界の宗教や神様についての人々のイメージを、主観に依りながら話す。
……かなり今更な感じだが、よその世界のヒトに元の世界のことだとか、現在生きている相手に死後の世界のことだとかをべらべらしゃべっていいのだろうか。神様の居る世界だそうだから、大丈夫だと信じるしかないか。
「ふうむ? 興味深くはあるな。信仰されるだけで目に見える存在はない神やそれに準ずる存在のある世界と、実在の神の居る世界か。私の居た世界では、そもそも神という概念自体があまり浸透していなかった。世界差というにはあまりにも大きな差ではないか? きみの話では誰しも死ねばその存在の元へ還る――のだろう」
思考を口に出して整えるように、語り掛けるようにも呟くようにも聞こえる声で話す内容は、俺の頭には入ってこない。ちんぷんかんぷんですと顔に書いて現してみせる。正直、今知りたいのはそんなことではないのだ。
「まあこの世界のことさえわからない少女相手にする議論でもないな。もう百年くらいしたら熱い議論を交わそうじゃないかね」
「交わさんけども」
そして少女でもないけれども。そのあたりもまとめてきちんと説明したというのに人を少女扱いしてくる男にガンくれつつ丁寧に否定をしてみせるが、男は飄々と肩を竦めて口の端を上げた。そんなにスマートな感じにされたところで、俺はこの男が土下座したところをしっかりと見ているのだが。
「ともあれ今はきみの話だったな。この世界に産み落とされたばかりで、この世界のことも、身の内に宿るおいしそ……もとい、尋常ではない魔力のことも知らないといったか」
「今おいしそうっつったか」
「ふむ。……きみ、私と契約しないかね」
「は?」
人を満漢全席呼ばわりする男は、きっと自分が土下座したことを過去の記憶として忘れ去ったのだろう。さらりと、簡単に、そんなことを言った。
「契約?」
「そう、契約。私と契約すればこの世界のことや魔術のことについても教えてやれるし、魔法だって与えてやろう。対価はその尽きることのなさそうな魔力だけで構わない。いい話だと思うが?」
そう言われても、それがいい話かを判断する材料さえ、今の俺にはない。
けれど、いい話には裏があるという言葉を知っている以上おいそれと頷くこともできず、たじろぐ。拒否するには、この男の他に現在頼る先がないのだ。
「それ、死んだら魂をもらうとかいう話でもないんだよな?」
「なんだそれは? そもそもきみ死なないんだろ?」
悪魔の甘言というわけでもなく。常識というか、知識の範囲がまったく違うことも確認がとれては、これに応じない場合の面倒の方が勝る想像は簡単につく。
この男に信用が置けないのと同様に、他に信用がおける相手が居ないのが現状だ。いや、だからそもそも、この男以外に人が居ないんだけれど。
今まで会話していてこの男がある程度誠実なのは見て取れる。ここまで全部演技の可能性もなくはないけれど、疑い出したらキリがない。本能で騙そうとされているわけではないと、なんとなく感じ取ってもいる。じゃあ何がネックなのか。
「…………今更なんだが、あんた何者なんだ?」
そうだ、この男の正体がつかめないのがネックなのだ。
人の魔力というものを目当てに襲ってきて、魔力目当てで親切にしてくれているけれど、この男が何者なのかについてはまったく知らされていない。名前も知らなければ、この世界の人間ではないこと以外に情報がない。どこに住んでる誰さんなのか。
問うと彼は瞬いて、今更? というように呆れた笑みを見せて肩を竦めた。
「私は、人間どもが一概に魔物と呼ぶ存在だ」
「……やっぱり人間ではないのか」
「きみの知っている人間は脚が存在しないのか?」
別に人間だと思っていたわけではないけれども。
膝から下が見当たらない、こんな森の中で一人存在し、突然現れた人間と思しき相手に魔力を寄越せと襲い掛かってくる、人を食料扱いする奴をまさか人間だなんて思っていない。純粋に相槌として言っただけだ。
「そう拗ねるなよ。ふん、そうだな。きっときみの世界には居ないだろうからきみは知らないだろうが……私の種族は魔女と呼ばれる種族なのだ」
グチグチ言う俺を軽く笑ってあしらうと、彼は得意げにそういった。ふふんと笑って、ずいぶんと誇らしそうに言われた種族がこの男の中でどういうものなのか俺は知らない。ただ、ツッコミはいれさせてもらう。
「魔女って、お前オッサンじゃねーか!」
「誰がオッサンだこの小僧!」
反射的だろう、先ほどの余裕そうな顔を崩して言い返して来た男の話によれば。
魔女というのは彼の居た世界に居る魔物の中で特に、魔法に精通した存在だそうだ。普通魔物は一種類しか魔法が使えないが、魔女は多くの魔法を使える。さらに彼は人間の使う魔術というものにも手を出しているそうで、この男は魔術にも魔法にも通じた、自称素晴らしく有能な魔物らしい。
ちなみに、「魔女」は種族名であり、男でも女でも関係ないらしい。ここの言葉では魔女に女の意はないらいし。どうなってんだ自動翻訳機能。
「そんな素晴らしく有能な魔女様が、なんでこんな人気のないところに一人でいるんだよ?」
「……この世界の人里は、空気中の魔力が薄すぎて私のような大物は存在できないのだよ。人間も酸素がなければ息苦しいだろう。そんな感じだ。このあたりは元の世界に似た空気で呼吸がしやすい」
代わりに、人間や普通の動物、弱い魔物では外気中の魔力が強すぎて存在できないのだがと、説明がポンポンと出て来る。
やはり、どう考えてもこの男と契約した方が、俺にとって都合がいいらしい。
「魔法も魔術も教えてくれるんだよな? 騙して魔力を全部奪う気だったりはしないな?」
「きみほどの魔力量の人間から死ぬほどの魔力を食えるほどに私の胃は大きくない。というか、その気になればきみは、先ほどのように私を弾き飛ばすことができるだろう」
本題に戻れば男は自嘲気味に卑下してみせた。さっきの土下座はなかったことにはしないらしい。
「じゃあ、契約成立だ」
「よろしい。知識他、魔術についてまでもを教えるのだ。師匠と呼んでくれても構わないぞ?」
果たして、師匠とは弟子にとる相手に土下座するものだろうか。これも文化の違いかなと考えるのは、さすがに無理があると思う。




