18
この世界に来て三年くらいが過ぎ、体感的にそろそろ四年になるんじゃないかなあと考え始めた頃。
「そういえば、そろそろここを出るかね?」
「は」
昼下がり。俺の記憶からサルベージした現代風の服を仕立てていた、ブームの長い魔女のオッサンが言ったのは、暖かい日のことだった。
唐突に落とされた衝撃にぽかんとしてしまった俺は数秒、停止したままオッサンを見た。
一旦落ち着いたフリルブームが去り着物ブームが来たものの、俺が口を滑らせたせいでそれらが合わさり、作り始めた浴衣にレースを付ける手を止めないオッサン。とはいえ黙っていることを不思議に思ったのか、首を傾げながら数秒後にこちらを見た。
人間に似てはいるが何か根本の違うような目がこちらを見る。合った目は逸らさない。俺が何に驚いているのかわかっていないオッサンは、しかし考える魔物だった。
「あれ? これ言ってなかったか?」
俺の反応に何かを察し、手を止めて不安そうな顔をした。そんな顔をされても言われていない。聞いてない。
「すまん。ずっと前から考えていたことだから、言ったものだとばかり思っていた」
「クソジジイ……」
未だ衝撃の抜けきらない俺は、作業の手を止めてあっけらかんと謝る魔女に悪態を吐くくらいのことしかできない。律儀にも「誰がジジイだ」とツッコミが返ってきたが、それどころではないのだ。
「あのさ、私、追い出されるの……?」
頭を抱えて問うので精いっぱいだ。別に、オッサンが俺に嫌気がさしたというわけではないと思う。昨日だって嬉々として俺からいろんな現代知識を引っ張り出して楽しんでいたし、今だって、もはや着せ替え人形を拒否することを諦めた俺に帯の色の好みを聞いてきたところだ。
破門はまずない。ならば卒業は? と考えると、悲しいことにその可能性もなかった。
魔力操作がなっていないと怒られることなど未だにしょっちゅうだし、一昨日は「きみは電気の魔力を扱うのが引くほど下手だな」と落ち着き払った声で罵倒されたばかり。
理由がまったく思いつかない。
困っていると、オッサンはようやく俺の困惑を察してくれたのか肩を竦めた。
「そうではない。私は寛容なのだ、きみのような出来の悪い弟子にだって愛想をつかすことなどない」
「そんな心配はしてねぇし、お前が寛容だってのは嘘だよ」
心の狭さ世界一決定戦があればいいところまで行けると思うほどに心は狭いし、報復のたちが悪いだろうに。
「不安が顔に出ているぞ」
「理由がわからないゆえの困惑だ。そもそも、私が満漢全席である以上あんたが手放すとは思わないっつーの」
「なかなか理解しているではないかね」
なぜか得意そうな声を出すオッサンは、椅子の背もたれに体を預け完全に話す態勢に入る。
「きみがここに来て、そろそろ三年くらいになるだろう」
「……うーん」
俺としてはそろそろ四年になると思うのだが、俺の時間間隔が百パーセント正しいとはいえないし、訂正しても誤差の範囲でおさめられそうなので否定はしないでおく。反応は曖昧なものになってしまったが、オッサンは気にしない。
「元々、きみに世界を見せてやろうとは思っていたのだ。別の世界から来たきみは、この世界の事情に興味があるようだったからな」
「……まあな」
気付いていたのか。町に買い物に出たいと言っていたり、この世界の、森の外の情報を仕入れようとしていたりとわかりやすい行動ではあったから、仕方ないか。
相槌を打つだけの俺に、オッサンは淡々と理由を続ける。
「だが、魔力操作もできない乳児を野に放つのはさすがに厳しいと思っていた。だから三年ほど……きみが最低限の魔術が使える幼児になるまで待ったのだよ」
「一般的にみれば、三歳児を一人旅させるのも過酷だと思うけど」
「自分を一般の枠に入れる気かね、きみは?」
そう言われれば、もしかすると百と三歳かもしれないような存在のため、はいとは言えないが。それでも、外の情報をしっかり集めて、何度か出掛けたうえでの旅ならば落ち着いて聞けるだろうけれど、あの一度以降俺はこの森から出ていないのだ。
徐々に慣らしていって向かうのと、少しの情報はあるものの、右も左もほとんどわからないような状態で放り出されるのとでは違う。
「まあ、過酷ではあると思うよ。しかし、あまりここに居て、ここに染まり切ってから世界に出たのではだめなのだ」
「ダメって?」
「きみの影響力は、きっときみが思っているよりも大きい。……これは癪なのであまり言いたくないことなのだが、魔物で数百年と生きてきた私や、他の魔物でさえそうなのだ。人間など、いっそうだろう」
「人に与える影響がでかいから、ダメなの?」
抽象的で、半分くらいしか意味を理解できないオッサンの言い分に首を傾げる。魔女は首を横に振ってから、小さく肩を竦めた。
「人間への影響など知ったことか。どうでもいい。私は、きみへの影響を考えているのだ」
「私への?」
「そう。あまりここに長くいすぎると、きみは私の考え方に染まってしまう。そして私の見方を持ったきみが世界に影響を及ぼすのだ。そんなもの、面白くもなんともないだろう」
「別に、あんたの考えに染まる気はないけど」
「外の世界を知らないガキが、ともに長い時間を過ごせば嫌でも少なからずそうなる。だから、早めに世界を見せて、様々な人間や他のものから自身の見識というものを得てきて欲しいのだ」
私は、きみには私とは別の生き物になってほしいのだよ。
オッサンはそう言う。言外に、でなければ私が面白くないだろうと言っているのが手に取るようにわかった。この、手に取るようにわかるのがオッサンの面白くないところなのだろう。
何を求めていて、何を俺に言いたいのかはほとんどわからない。元より勝手な自分の理論で動くオッサンだ。長命の魔物だから仕方ないのかもしれないが。
ただ、ひとつだけわかったことはある。
「あんた、ほんと自分勝手だな……」
理解したぶんだけ繋げ合わせれば、自分との会話相手が自分と同じ考えしか持っていない身内では面白くない。だから、考え方が柔軟な幼子のうちに適度に世間に揉まれて見識を広げて――帰って来いと、そう言いたいのだ。
しかし、文句は言いたくとも師弟関係。そして保護者被保護者的な関係だ。駄々をこねればもう数年は粘れそうだけれど、旅に出るのは決定事項なのだろう。ならば、望み通り幼児の間に出るのが一番だ。
「これで、私がトンズラして帰ってこなかったらどうするつもりだよ」
「問題ない。契約がある以上繋がっているし……きみの見るものに興味があるので、遠隔透視の魔法を付ける」
「台無しかよ」
初めてのおつかいか。
プライバシーとか女の子の監視の倫理については、既にすべて知られている以上気にならないけれど。それでも過保護はもう少し抑えてほしかった。いつでも監視されているとも、見守られているともいえるけれど。どちらにしても愉快ではない。
「安心したまえ、そんなに四六時中きみを見ているつもりはない。暇つぶし程度で時々様子を見るだけだ」
「全然安心はできねぇんだよな」
常に暇してるくせに。言えばオッサンは「では死ぬほど暇な時だけにしよう」と条件を変えた。自分基準であることは変えないらしい。
そうと決まればさっそくだ、と荷造りと、旅に出るためのいくつかの魔法を教えもらいはじめたのは次の日からだ。出発は取り敢えず準備が終わり次第。だいたい一週間後くらいにすることに決めた。
ものの持ち運びが旅の最難関ということで、まず練習したのは亜空間魔法の維持の練習だ。これが、外と時間を合わせておかないと中の時間がめちゃくちゃになるので難しいのだ。一度動物を入れて持ち帰るときに間違って蓋を閉じてしまって、再度開けた時に骸骨が出てきたのにはビビった。かと思えば、冷たいものを冷たいままに保持できていたりもするのだが。
巻き戻ることはさすがにないけれど、それでは使い勝手が悪い。短時間ならば集中することで蓋を開いておくこともできるけれど、長時間半開きにしておくには、練習しなければならない。
それと合わせて教えられたのは、封印魔法だった。封印魔法は対象を封印することで、そのものの動きや生命、それどころか時間までもを一時停止させられるすさまじい魔法だ。余程魔力がないと使えないそうだが、一度かければ放っておいてもそのまま作動し続けるので俺には使い勝手のいい魔法である。
どうしても鮮度を保たせたいものはこれを使ったうえで亜空間に入れておけと教えられた。すべてに使えばいいのでは? と言ったら、つまらん手間をかけるなと言われた。
言われた通り、封印魔法は魔物にとってもそこそこ手間のかかるものなのだ。特殊な結晶の媒介が要るし、発動までに少し時間がかかる。
さて、そこでふと思いついて俺はオッサンに話しかけた。
「これさ、俺の亜空間全体に封印魔法を掛けたら、空間内全部が封印された状態にならない?」
「…………試してみなさい」
目を丸くしてこちらを凝視するオッサンに、少々居心地の悪さを感じながら亜空間に封印魔法をかける。そして、りんごのような、すぐに酸化して色の変わる果物(見た目はドラゴンフルーツ)を投げ入れ入口を閉じた。
一時間後、開いた空間から出した果物は、見事に入れる前と同じ状態だった。オッサンは俺と目を見合わせて、腕を振り上げた。
「いってぇ!」
「固定観念とは恐ろしいものだな」
なぜはたかれたのかは、そこまで理解に苦しむことではなかったので許しておいてやる。
他に教えられたのは、遠隔透視魔法、オッサンとの通信の魔法他いくつか。魔術は電気の魔術と光の魔術を中心に練習させられた。魔法は便利に使えるものを基準に。魔術は俺の操作がクソなものを中心に、だそうだ。
そんなこんなで準備を始めて一週間後に、無事に準備を終えたのだった。
「忘れ物はないかね?」
「多分」
「まあ、あれば取りに戻ってくるといい」
その言い分は情緒がなさすぎると思う。しかし、言う通り何かあれば、俺ならばここまで一歩で帰ってこられるのだ。空間移動魔法様様であるけれど、それゆえ緊張感はあまりない。
旅に出ろと言われたときはガラにもなく多少の不安はあったけれど、蓋を開けてみればそんなもんだ。これから長い年月を生きていく身としては小旅行と言っても差し支えないくらいだろう。
「できるだけ帰らないようにするっつーの」
名目は見識を広めるための旅なのだから。すぐに音を上げると思われるのは癪だと、意地になるような返しをすればオッサンは訝しむような顔をした。そして嫌そうに、ため息を吐いた。
「バカ言うな。一年に一、二回は帰ってこないと私がつまらんだろう」
「盆正月か」
そんなツッコミは、異世界人で異種族なオッサンには通じないけれど。というかつまらんって言ってるけど、それは寂しいと言っているようなものではないだろうか。
なんだかこそばゆい気になりながら、いつまでもダラダラ会話していても仕方がないので、踵を返す。持ち物は不審がられないように少しだけリュックに詰めて持っている。因みに亜空間にはオッサンの作ったかなり要らない服も詰められているので、街に出たら売ろうと思う。
行先は前に買い物に行ったオースグラットだ。王都までは空間移動魔法で行けるが、旅の間はできるだけ、魔法は使わないようにしろとオッサンに言われた。ヒトに怪しまれるからだとか。亜空間魔法を最初から使っている時点で意味のない言いつけだとは思うが。
いってきます、と片手を上げて振り返ろうとしたところで、先に声がかかった。
「では気を付けて。きみの想い人によろしく」
「なんで知ってる!」
再度オッサンの方へ駆け寄りそうになるのを抑えて、振り返ってツッコミだけ入れると、オッサンは手を振って笑っていた。
「いってらっしゃい、リリアレイン」
むずがゆくなるような言葉。思い切り顔に出してやるが、行ってらっしゃいと言われれば返す言葉は一つしかない。
「いってきます…………師匠」
今まで一度も本人に行ったことのない呼称で呼ぶ。結構最初から、俺はこのオッサンを師匠としていたから。
しかし、魔女なオッサンの師匠はそれに不満そうな顔をした。さっきまでの子どもを見送る親のような顔はどうしたと言いたくなるような不満顔だ。
「違うだろう、リリア」
狭心でわかりやすいジジイは顔と同じ不満そうな声を再度かける。別れのシーンは終わったというのに。いや、まあ、とはいえオッサンの不満を理解しながら言えない俺も俺なのだが。
気恥ずかしさで熱くなる顔を押さえるのもカッコ悪くて、振り返って歩を進める。顔は見ない。
「いってきます。………………カロン」
蚊の鳴くような声量は「はい、いってらっしゃい」という返答で、届いたと知った。




