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リオンが森に来たのは俺が街に降りてから一か月くらい経った後だった。だいたい二か月に一度くらいの頻度で来ているなと思いながら、リオンの待っているであろう湖に向かう。
会ったら、街に行った話をしようと考えながら早足で進む。あれ以来行っていない上、オッサンのことを筆頭に詳しいことは話せないので、エピソードは限られるが。
……アンネに会ったことも、話す気はないし。
このあたりの気候は常にそれほど変わらないが、今日は特に穏やかな日だ。それと、花がよく咲いている日。
元日本人の感覚としては四季がない上、その日の気候や魔力の安定状況で花が咲いたり散ったりするのは異様に思えるけれど、この世界ではそういうものなのだろう。魔力気象予報士は同居しているので、不便はしない。
「よお、リオン」
「やあ、リリア」
声を掛ければ湖の水を瓶に詰め、近くの草を採集していたリオンがこちらを向いた。相変わらずのイケメンだ。こちらを向いて嬉しそうに微笑むのに直視しにくいと感じるのは、劣等感からだろうか。前の自分の顔は覚えていないけれど、何か精神に残る感情があるのかもしれない。
「最近はタイミング良く会えて嬉しいよ」
「あ、待った」
気障だが嫌味ないセリフを吐きながら採集の手を止めて地面に座ろうとしたリオンに、俺はストップをかける。
リオンにタイミングよく会えるのは、近頃俺自身が自宅に居てもリオンの魔力の気配に気づくからだ。前回くらいから。
今回もリオンの魔力を察知したのだが、それを今日はオッサンが褒めてくれた。そうして褒美だと言って教えてくれたのだ。
「今日ちょうど、花の森の主花が咲いてるんだ。一緒に見に行こうぜ」
着席を止めたのはそれが理由だ。いつもはここで定位置に座って話しているけれど、たまには出かけてもいいだろう。花見の誘いを受けたリオンは、ぽかんとこちらを見つめた後、困惑したように質問をしてきた。
「主花?」
「リオンは聖なる大樹って言ってたっけ? オ……保護者がそう呼んでるだけで、同じものだよ」
「聖なる大樹が咲いているというのか!?」
そして驚愕したように身を乗り出して来た。そろそろ頭一個以上の身長差ができてしまっているので、上から圧迫するのはやめてほしい。ちょっとむかつくから。
「な、何をそんなに驚いてるんだよ?」
「前に咲いたのは二百年前と言われている伝説の花だからだ。まさかそんな、簡単に見に行こうと誘われるなんて、思わない」
「そうなのか?」
オッサンは、前に見たのは五十年くらい前だから久々だなあとか言っていたが。時間感覚なんてあってないようなものだから、勘違いしているのだろうか。百五十年も違えば、長命といえども誤差とは言い難いけれど。
「それに、国では、そんな報告は聞いていないし」
「ああ。じゃあ、外から見えるところでは咲いてないとか?」
それなら話はわかる。魔力を吸って咲く花だとオッサンに聞いたし、空気中の魔力量の多い森の奥の方が咲きやすいのだろう。だからオッサンが見たのは五十年前で、外で見られているのが二百年も前だと。
俺の仮説に納得まではできないが、否定をやめたリオンはぶつぶつと何か呟いている。頭が良くて知っていることが多いと、考えることが多くて大変そうだ。
「まあ、いいじゃん見れるんだし。行こうぜ」
俺なんてこんな単純な考え方しかしないのに。
「いや、でも、花の森はここよりも魔力が濃いだろう? 入っては危ないと……」
「花の咲いてるときは、花があたりの魔力を吸ってるから薄くなるらしいぜ」
散るときにはその魔力を全開で、花弁と一緒にまき散らすそうだが。今はまだ五分咲き程度だから大丈夫だろうと言われた。
ついでに、満開から散華の間はオッサンと見る話になっている。水の魔術や魔法を使ってセーラやカゲロウも連れて行こうと俺は画策しているが、それは狭量ジジイが許すか微妙なところだ。
でもだってと尻込みするリオンの手を引いて、南の森の方へ向かう。できるだけ魔力の薄いところを通りつつ、こっそり魔法でリオンの負担を減らしておく。リオンはこのあたりの魔力には体が慣れていないだろうから、ばれやしないだろう。
いつも採集するあたりよりも少し浅い場所を駆け足で進んでいけば、だんだんと周りに咲く花が増えていく。主木が魔力を持って行っているから他は咲かないのかと思えば、主木につられて魔力を吸収する力が強まるから、他も咲きやすいのだと教えられた。
どういう理屈か意味がわからないが、考えても仕方ないので思考はもう止めている。
「り、リリア」
「なに? 苦しい?」
「いや。周りに咲いている珍しい薬草や花が気になって、とても気が散るんだ」
「帰りにでも採って帰りゃいいよ」
兄が兄がとリオンはよく言うが、俺からすればリオンもそこそこ研究馬鹿だと思う。オッサンのような猟奇的なことをしなければ、好きに採集でもなんでもしてほしい。
好きなことができるのは、いいことだと思う。
「う、わ……」
「…………」
きょろきょろあたりを見回しているリオンに釣られて視線を彷徨わせていた俺は、足を踏み入れるまでその光景に気付かなかった。
そういう魔法が使われているのだと思う。誰が使っているのかはわからない。リオンの言う妖精か、または、この主花か。
けれどこの木の領域に入った瞬間に目を奪われた。幻想的と言える光景。俺の知っている花では桜にとても似ている。花弁は桜と同じ淡く色づいたピンク色。
目を、心を奪われそうな。空恐ろしささえ感じさせるような大木が、儚くきれいな花弁を携え立っていた。一本、威風堂々と構えて。
揃ってどれほどの間言葉を失っていただろう。我に返ってリオンを見れば、目に涙を浮かべていた。それほどまでに感動していた。
「すげーな」
ようやく発せた言葉は頭の悪そうなせりふだったけれど、リオンも俺とは比べ物にならないくらいに持っている語彙を揮えないで、ただ「うん」と頷いた。
これで五分咲きだというのだからおそろしい。満開は人を惑わすほどになるんじゃないだろうか。たとえ周りの魔力が薄くなっても、普通の人間が見られる光景ではないような気がする。実際その通り、満開の花にあてられると人間の精神など容易く壊れるとオッサンに言われるのはこのあと、帰宅してからになる。
アンネにも、見せたいなあ。
ほとんど言葉を交わしてもいない彼女の姿が、頭をよぎる。この薄桃の下で靡く黒髪はきっとひどく美しいだろう。この花の下で彼女を見てみたいと――そう思う。
しばらく呆けたままに幻想的な光景を眺め、俺たちは夢見心地のまま、どちらともなく踵を返した。きっとここが受け止めきれる限界だったのだと思う。
「ありがとう、リリア。本当に、得難い体験だった」
「偶然花が咲いたってだけだろ。私が礼を言われることじゃない」
改まってお礼を言われるのが気恥ずかしくてやめろと首を横に振れば、リオンは微笑ましそうに破顔する。男相手になんて顔で微笑むんだこいつはと一瞬思ったが、今の俺は女の子だったのだ。しかも美少女。
傍から見れば絵になる図なのだろうなと思うのは、まだいまいち自分の容姿への実感がないからだった。
「そんなことより、採集は本当にそれだけでよかったのか?」
リオンの手にある何種類かの薬草を見て問う。リオンはこれでかなり満足しているようだが、同じ種類の薬草でももう数メートル森の奥に入れば同じような効果で上位互換の薬草があるのを知っている身としては、なんともいえない気分になる。種類も十にも満たないし。
あの花の花弁でも持って帰ればいいのにと言ったけれど、それは全力で拒否された。あんな、伝説級の代物を持って帰れるかと言われた。どうせ散るし、また咲くのに謙虚なことである。
「あ、そうだリオン。もうひとつ」
「まだあるのか!?」
「そんな構えなくても」
既にキャパオーバーらしいリオンは焦ったようにこちらを向く。俺なんて、まだ満開の時に花見するという一大イベントが残っているというのに。
なんで、きっとこの世界のベースに近い人間が驚くような事象を普通に見てるんだろう、俺は。きっと間違いなく俺を拾ったどこかのだれかが理由だが、もう考えないようにしたことを今更掘り返すのはやめよう。
身構えるリオンに、取り出した一枚の紙を手渡す。ポケットから出すふりをしたが、この服にそんなのもは付いていないのでこっそり空間移動魔法を使った。手だけ自分のベッドに持って行って、置いてあったのを取ったのだ。
渡された紙を瞬きながら見つめるリオン。驚いているように見えるのは、これが何かわかるからか。
「この前、王都に出かけたときに見つけたんだ。遠くに居る人とメー……文通? できる魔術具だそうだ。今度から来るときはこれに書いてから来てよ」
来たことはわかっても、何か別のことをしていたら合流できないし。それに、何よりリオンが来るときはここでカゲロウと訓練したりセーラと話したりしておけない。来訪はできるだけ事前にわかったほうがいい。
「オースグラットに来たのかい? しかも、王都に……?」
「ああ。少し町を見て回ったくらいだけど」
花見に向かう道中は、リオンが他のことに夢中だったため話せなかったから、突然の報告に驚かれて少々申し訳なくなる。先に話をしてから渡すべきだった。目を瞠っていてもイケメンはイケメンだが。
「何かあったのか?」
それにしても驚きすぎなリオンに首を傾げれば、彼は逡巡して、決心したように教えてくれた。
「それは、兄の作った魔術具だ」
「え……えっ。そうなのか!?」
どうやら、俺が得意げに出して来た魔術具を作った本人と身近な縁があるから、妙な態度だったらしい。そりゃあ、知っているものを得意そうに出してこられては気まずくもなる。リオンが、何を知った気に、と笑い飛ばさないタイプでよかった。
照れて笑っていれば、逆に気まずそうな顔をしたリオンが窺うように見て来る。良い人だと大変だ。自分の少しの失態など俺は気にしない。
「そっか、そっか。じゃあ私より使い方には詳しいよな? その片割れを渡しとくから、今度から使ってくれ」
「いいのかい? 複雑な式を使うし、その、結構高かったと思うけれど」
「いいよ。他に使う相手も居ないしな」
アンネと使えれば、それが一番いいだろうけれど。頭の隅で思いつつ、それは既に諦めたことだと思いを断つ。女の子に再び会いに行って、文通しようなどと言えるわけもないし。
それに何より、紙は一枚しかない。書ける範囲は当然決まっているから、容量的に文通には向かないのだ。本当にショートメールというか、短い文章用といった感じか。
リオンは、少し考え込むようなしぐさをした後その紙を受け取った。
「ありがとう。大切に使わせてもらうよ」
「はは」
大切にといっても、作っているのはリオンの兄で……量産方法をオッサンが開発して俺も作ってたりするんだけどな。さすがに人の商売に手は出せないので売り出すわけにも、下手に使いまくるわけにもいかないが。
紙と抱えきれなくなりそうなほどの素材を持って帰っていくリオンを見送ってため息を吐くと、ざぷりと水面からセーラが顔を出した。近くに居るのはわかっていたので驚くことは特にない。なんだと見遣れば彼女はジト目でこちらを見て、ため息を吐いた。
「あなた、あの魔女の弟子よねえ」
妙に納得しているような声色の嘆息に、意味がわからないし心外だと首を傾げたが、セーラはそれ以上は「私も主花見たいから、よろしく頼むわよ」としか言わずに水中に戻ってしまった。なんなんだ。
オッサンの説得にはなんとか成功し、南の森に花見をしに行ったのはその数日後だった。
「満開になったぞ」
そう朝一で言ってきたオッサンは多分、この花見をそこそこ楽しみにしていたんじゃないかと思う。なにせ一人で町まで行って酒とか買いだしてきてるくらいだからな。俺も連れてけやと言ったのはオッサンが帰ってきたあとだった。
許可さえ出れば、一度行ったのだし一人で町に向かえるけれど、過保護な保護者がやめておけと言っている間はおとなしくしておいた方がいいから、まだ行けない。ただでさえ二歳ちょいの世間知らずだし、それに、下手に勝手な行動をして国が滅ぼされたりしたら怖いしな。
そんなわけでセーラとカゲロウを連れ、四人連れだって花の森に行く。
「それにしても、咲き始めてから満開までが早かったわね」
「そうなのか?」
「普通は咲き始めてから満開まではひと月くらいかかるのよ」
ひと月も咲き続けていることに、あの花に桜のイメージを持っている俺は驚きだが。俺の浮かせた、水のみで構成された水槽から説明をしてくれるセーラに相槌を打っていると、籠に酒やらジュースやらを入れた浮かれたオッサンがこちらを見下ろして話に入ってくる。
「これの魔力を吸ったから成長が早まったのだろう。最初は魔力垂れ流しのまま、この森に採集に来ていたからな」
「それって、私が魔力を与えればもっと頻繁に咲くってこと?」
さすが、この森の植物だ。元々魔力を溜めて育つのならばおかしなことではないのかもしれないが、元の世界のことを考えるとやっぱり不思議現象である。この世界の植物はだいたいそうなのかは、俺にはわからない。
それはともかく、自由に咲かせられるのなら、いつか、見せたい人に見せることができるようになったとき助かるのではないか。そんなことを思った俺は考える前に口にしていたのだが。
「その通りだ。ところで私の許可なくそのようなことをしたら木を枯らすので、それを踏まえて行動をとりたまえよ」
ひやりとした声と一気に固くなったセーラとカゲロウの空気に、失言だったと気付いた。魔力で育つ木は、オッサン換算では魔物と同類だったらしい。
「除草剤かよ……」
湖も枯らして木も枯らして、だから確実に的外れなツッコミだが、適当なツッコミになってしまったのは俺ではなく狭心甚だしい魔女のせいだと思う。
ところで、その日以降リオンが森に来なくなった。




