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ぼくらのままならない世界  作者: いない
少年と魔女
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1

「は」


 目が覚めると知らない場所に居た。


 うっそうと茂り太陽の光を遮る木々。風に揺れる細い葉は見たことのないものだ。遠くの方で水の流れる音と、何かに水がぶつかり跳ねる音が聞こえる。

 しかし、生き物の気配はしない。虫の音や鳥の鳴き声、動物の発する音という音一切が耳に入ってこない。不思議な気分だ。ただ、視覚情報は意外とわかりやすい。

 森。一見してそのようにわかる空間に、俺は人の形を成して存在していた。


「あ、あー」


 声帯が震えるのを感じながら、何ともつかない声を上げる。

 記憶は、しっかりとあった。

 神のような天使のような存在に出会った記憶。自分が死んだという事実の認識。見ず知らずの場所へ再度産み落とされた現状。不手際という困った言葉。

 思い返せば先ほどのことのように思い出せるけれど、ただそれが順当に先ほどのことなのか、体感として感じているだけなのかはわからない。

 ともかく立ち上がって、体を伸ばしてみる。彼らと同じ体を作ると言っていたから、これは既に人間のからだとは違う造りをしたものなのだろう。自分をここに送った彼を参考にすれば、形は人間に近いようだけれど。

 さて見える範囲で自分の姿を見てみれば、手足の長さからいってすでにある程度成長した姿のようだ。生まれ変わりとはじめは言っていたにも関わらず、まったくの赤ん坊から始まらないのはどういうわけか。というか生まれ落とすのに森の中って、なんでだよ。

 これも不手際というやつなのだろうか。文句を言うつもりはないが、納得のいかないことにひとつひとつ首を傾げつつ、水の音のする方向へ向かう。

 音が聞こえたので近い所にあると思っていた水場だが、目を覚ました場所からほど遠いところにあった。

 そこは峡谷だった。空高くまで続く岩肌。水の流れ来る方向を見れば洞窟がある。微かに差す光に照らされる水の色は、不透明で、けれど幻想的で眩暈がしそうなほどに美しい、青。緩く揺れる水面に寄れば、水際が淡く輝く。


「……てかここ日本じゃねぇな!? つか私声たっけぇな!?」


 虫の声も聞こえない無音空間のため思わず大声を上げてツッコミを入れれば、そのために発された音の高さに驚いた。空気が震えるのが肌で感じられ、わかるけれど、それどころではない。


 不透明な青の水面に顔を映せば、現れたのは美少女だった。


 美少女といって生半可な美少女ではない。あの場に居た天使と同じように、精巧な作りの人形のような顔だ。辛うじて表情があれば普通の人間のように思えるけれど、すんっと黙ってみれば本当につくりもののようだった。漫画で現れれば一人だけタッチが違うんじゃないかと突っ込まれそうな感じである。

 それはいいとして、なぜか女の子だった。年齢のわからない顔をしているけれどおおむね美少女と思える年齢。つまりは女の子。

 生前の思い出は一切なく、自分のことも家族のことも一切合切覚えてはいないけれど、記憶の齟齬を埋めるためか自分の性別が確か男だったような気がする、くらいの思い出はある。日本人男性だったというのはかすかに覚えているのだ。

 なぜ少女にした。

 別に男の体がよかったわけでもなければ、思い出がないのでそこまで大きな違和感はないにしても、妙に落ち着かない気分にはなる。そわそわしてしまう。

 理由のわからない性別転換に呻きつつ水面から離れる。一応、ずっと「俺」という一人称だったし、そもそも魂で男か女かなんてわかったんじゃないかと思うんだが。いや、自分の口から発された現在の言葉では「俺」とは言えていないけれど。

 どこの国に居るのか、どこの国の言葉なのかわからないけれど、思ったことを口に出すと耳慣れない、日本語以外の言葉が自分の口から出てきた。内容はなぜか理解できる。勝手に通訳されているようだ。口をついて出てきた一人称が脳内で勝手に「私」に変換されて聞き取れたのに微妙な違和感を覚えたのは、一度スルーしようとしたことである。

 多分、英語のような感じなのだろう。あいまいみーまいん。記憶にあるのは義務教育で習った内容だ。


「なんっか気持ち悪いなあ」


 気持ち悪いというか、居心地悪いというか。

 ただ、そんな感情はおいといて、ともかくここがどこかを知らなければ。

 人気の一切ない森の中。どう考えても日本ではない風景だが、ここはどの国なのだろうか。

 姿かたちが変わり、元の自分の記憶もなければ、そもそも元の自分は死んでしまっている状況なのだが。この体に国籍や身分はあるのだろうか。なければとんだハードモード、というかクソゲーに突っ込まれたものだと天に向けて叫ばなければならなくなるけれど。


「せめて人に会えればなあ」


 森の中だけれど原住民とかいないのだろうか。勝手にどこかの無人島ではと仮定してあたりを見回す。歩いていればどこかにたどり着くだろうか。


「人をお探しかな」


 そうして、不意に響いた想定外の声からの返答に思わず肩を震わせた。

 低い男の声は自分の声ではない。現在俺の声は女性のものになっている。そもそも自問自答を初めるにはまだ、精神状態は安定しているつもりだ。

 ならば人か。感じられない人の気配に違和感しか持てないままに声の方向を振り向けば、そこには一人の男性が居た。大人の、男だ。

 森に似つかわしくない丈の長い、マントのようなコートとスーツを着た男は木の影からこちらを見ている。二十代にも四十代にも見える年齢のわからない見た目。明らかに、怪しい。

薄く貼り付けられた笑顔に警戒しつつ、愛想笑いで「まあ」と応えれば男は微笑んだ。


「そうかそうか。まあ、私の探しているものはきみとは違うのだがな」

「何かお探しで?」


 危ない気配しか感じない中、できるだけすぐに逃げられるように半歩後ろに下がる。怪しさしか感じない上に、それを隠す気もない様子に重心を後ろに反らしたと同時だった。


「私が探しているのは食事だよ。もう見つけた」


 とても、人間の速度とは思えない速さでソレはこちらへ向かってきた。半歩下げた足の方へ体を振り向ける暇もない。もう一歩を下げる余裕もない。慌てて、驚きを体で表現するためだけに、振り払うように手を振り上げる。無駄な抵抗。一瞬のうちに思考が回転するが、思い返す走馬灯もないのでひとこと、もう死ぬのかよとだけ思った。

 次の瞬間バチンと大きな、何かをはじくような音がして。


「…………え?」


 見れば、先ほどの男が地面に這いつくばっていた。

 無様な姿をさらすそれには、足がなかった。






 ――とどめを、さすべきか。


 男が起き上がったのはそう思ったのと同時だった。ただ、起き上がったと言っても格好といえば地に頭を付けたままだ。やっぱりここは日本なのだろうか。ジャパニーズドゲザをしている一見外国人紳士(ただし足はない)に逆にヒきつつ、ええと、と声を掛ける。


「いや申し訳ない。久々の食料の匂いに本能が抗えなくて。この通り反省しているので見逃していただけるとありがたい」


 一気に腰を低くした男は頭を上げて悲壮感漂う笑顔を見せつつ謝罪をしてくる。さすがに、このような態度の相手にとどめをさすような非道な人間ではないし、そもそも先ほど何が起こったのかさえわかっていない状況だ。

 謝罪を受け入れると男は安堵したように大きく息を吐いた。先ほどまでの威勢はもう影も形もない。

 取り敢えず、ここにおいて唯一会話のできる相手だ。どうやら何かしらの効果でこの男に害される心配はないようなので、警戒はしつつも対面する。


「ところで、きみはどこから来たのだね? ここは人間や普通の生物が生きていられるような場所ではないのだが」


 立ち上がった彼は襟を正しつつこちらを見る。十秒前の様子などなかったことのように紳士然とした態度は、ただ新しく思い出として脳裏に刻まれた姿を思うと逆に、些か滑稽である。

 向かい合えば結構な身長差だ。男と女の体の違いがあるのだから、仕方ないとは思うけれど。


「どこからっていうか……」

「ふむ。というか、そもそもきみ、この世界の人間ではないだろう」


 眇めてこちらを見回すと、男は不可解そうに言う。しかし、核心を持った口調に衝撃を受けるのはこちらだった。

 この世界の人間ではない。つまり、なんだ。生き返るといって、元居た日本や他の国ではなく、地球でさえない場所に自分は産み落とされたことになるのか。

 産み落とされたという表現は現在の体の大きさから違和感があるけれど。それどころでなく。異世界って。そんなもの漫画の中だけの話だと思っていた。


「亜空間転移の事故にでも巻き込まれたか? にしては、魔力の痕跡がないな。きみの魔力自体もおかしな位相をしているし」

「魔力って、なに」

「はあ? そんなバカみたいな魔力を持って何を言っているのだ。私にはきみが満漢全席に見えているというのに、その自覚がないとでもいうのか?」


 満漢全席って。おおよそ人間に使う言葉ではない単語が飛び出してきて、そういえば先ほども食料がどうとか言っていたことを思い出す。彼は俺を食べる気だったのだろうが、それが魔力というものに依るというのだろうか。

 まったく理解の追いつかないままに混乱している俺に、彼は眉間に皺を寄せしばし考えると「よし」と呟いた。


「きみの把握している状況を教えなさい。私はきみの疑問に答えよう。代わりといってはなんだが、少々魔力を頂きたい」


 魔力魔力と連呼する彼のことを痛々しいと思うには、状況が整いすぎている。そもそもにして、自分は一度死んで新たな体(しかも女体)を手に入れているのだから、現代日本人の思う「イタい」という思考は持つべきではないのだろう。

 ともかくも、この男が俺をはめるため嘘を吐こうとしているにしても、純粋な親切心にしても、現在アテというものがこの男しかない以上、断るという選択肢はない。

 何も選べないこと何の如しだ。先刻からの流されように辟易しそうになるのを抑えつつ、俺は首を縦に振った。


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