7-1
「西の湖にでも行ってみるか」
オッサンがそう言ったのは、南の森で採集したり、東の山で卵以外のものも取ってくるようになって、しばらくしてからだった。どうやらマップを広げるのは探索可能箇所をある程度攻略してからというのがオッサンの指導方針だったらしい。
まあ、南の森で採集した味的には柑橘系なのにザクロみたいな見た目の果物や、ブドウのような生り方をしているキウイ味の実や、小松菜っぽい葉っぱなどはストックがあるからな。東の山あたりに生えている、傷むのが異常に早いバナナっぽいやつは、とっておくことはできないが。
オッサンは、スムージー程度の飲み物ならば飲むことができた。最初はミキサーの器を何度も壊したけれど、今では器の中でかまいたちを発生させることも片手間でできるほどに慣れたので、俺の食事と同じタイミングでオッサンは飲み物を飲んでいる。
ものは食べられないのに味覚はしっかりあるそうで、初めに飲んだ時は「これが美味しいか」と感動していた。
そんなこともあって、オッサンは現在食事にはまっている。マップを広げたのも俺のため半分、自分のため半分だろう。
「湖なんかあんの?」
「はじめの川があるだろう、あれの下流にあるのだ。下流に向かうにつれ魔力濃度は下がるからな。食べられる魚もいるだろう」
「魚かあ」
それは嬉しい。東の山付近に生る丸い実が塩みたいな味だったからな。掛けて食べたらうまそうだ。色は青かったけど。
このあたりの植物はたいてい魔力を多く含むため、一通りオッサンが採集して薬を試作している。全部用途を教えられたが、見た目と味にインパクトがあるものくらいしか、まだ覚えていない。塩味の実は確か、傷に効くんだったか。傷口に塩塗るの? と思ったから覚えている。
まあ、本来の用途としては使わないんだけどな。傷を治す魔法も魔術も教えてもらったから。
「ああ、それと先に教えておこう」
「何を?」
「西の湖には、人魚という魔物が居る。知り合いなので驚かないように」
人魚、というのは俺の世界と同じものを言うのだろうか。上半身が人間で下半身が魚。イメージとしては美女だが、魔女がこのオッサンだ。あまり大きな期待はしない方がいいだろう。
そんなことを考えながら、歩いて西の湖に向かう。初めて行くところには歩きで行くのが暗黙の決まりになっている。オッサンの魔法で連れて行ってもらってもいいのだが、知らない道を通って自分の魔力を残しておいた方が、のちのち移動に助かるからだ。
それと、道中で珍しいものを発見できることもあるから。南の森なんかは入り組んでいるが、道中様々なものがあるので、入口までは魔法で行っても奥に入るときは歩くようにしているし。まあ、帰り道がわからなくなることが常なので帰りは魔法だが。
そういえば松茸の香りのするきのこを見つけたのもその時だったか。実際には松茸ではなく毒きのこだったので、食べたあと死ぬ思いをしながらオッサンに毒消しを飲まされ、治療をしてもらったが。オッサンが一通りの治癒魔法を使えてよかった。毒消しの魔法と魔術は、我ながら熱心に覚えたと思う。
「あ、野イチゴ?」
「なんだ?」
道中野イチゴのようなものを見つける。水辺に生えているのできっとその通りではないだろうが、食べれるかと思ってオッサンを見る。
「俺らの世界の果物に似てるのがあって」
あれ、野イチゴって食べられないんだったっけか。ヘビイチゴだから食べられないだとか、なんだとか聞いたことがある気もする。曖昧な記憶を掘り返すが、この世界ではどうせ違うものだろう。ただオッサンは、嫌そうな顔をした。
「あれは周囲の魔力を食う植物だ。魔物や、人間でも触れれば棘で刺し血中の魔力を持っていかれる。近付くんじゃないぞ」
「うわあ、そうなの」
そりゃ嫌な顔もするわけだ。迂闊になんでも触ろうとしてはいけない。
「……知ってるってことは、触ったことあんの?」
「黙れ小僧」
その苦虫を噛み潰したような顔から、経験談か? と推測を立ててみたが、実際そうだったらしい。本で読んで知っているにしては、感情の籠った表情だと思ったんだ。
元より感情を表しやすいタチのオッサンだが、毎日寝食を共にしていれば表情など簡単に読めるようになる。逆も然りで、今の先手を打つような物言いも、俺の揶揄おうとする気配を察したからだろう。
「オッサンは何でも知ってるなあ」
「はっはっは。身をもって知ることの大切さを知ったならば、よかろう、今度きみを体液から魔力を奪う食人植物のところに連れて行って放置してやる」
「そんなことになったらお前ごと燃やしてやるよ」
そんなエロ同人みたいなことになってたまるか。前世の知識からそんな目には絶対に合わないと心に誓い、火を操る魔術をもっと練習しておこうと決心する。そのための魔術だしな。自分まで燃やしたらかなわないからな。
「ふむ、きみは身の危機があった方が熱心になるのかね」
「普通そうだろ。てかマジで、絶対やめろよ」
揶揄から真面目な教育思考に移行するが、突飛な修練方法を考えられては困る。反対すれば「そうではない」と言い返された。じゃあ何なのかは教えてもらえなかったが。
そんな話をしているうちに、湖に着く。対岸が遠めの川が終わり、広く、反対岸の見えないような大きな水たまりが姿を現した。
色は川の上流に比べれば薄く、青く色づいてはいるものの、透き通っている。かなり深いのか、水底は見えない。あたり一面湖だから、かなり開けた印象だ。そして、木や崖で覆われていないので、空が広く、太陽の明かりで水面がきらきらと輝いて見える。
「おお……」
きれいだと素直に言える場所に感嘆する。上流の青い川もきれいだが、やはり太陽の光が入ると違うものだ。
「広いな。ここから海に繋がってたりすんの?」
「繋がってはいるそうだが、水中の横穴からだ。海が見たいのか? 潜って行ってみても構わんぞ」
「無茶が過ぎるだろ」
「やろうと思えばできんでもないがね」
肩を竦めて笑いながらされたのは、空気の魔術で自分の顔周りに酸素を用意して、水中でそれがなくなったら移動魔法で戻ってくる。そしてまた酸素を補給して空間移動魔法で戻り、そこから進むというごり押しと言って差し支えない方法の提示だった。
そこまでして海へ向かう必要がどこにあるのか。そこまでの必要があるならば、地上を歩いて行くわ。つっこめば「もっともだ」と言われた。この野郎。
ざぱりと音がしたのは、俺が拳を握ったのと同時だった。音の方へ顔を向けたのは、揃っての行動だ。
「あら、知った気配がすると思ったら深淵の魔女じゃない。それと……何かしら、そのごちそうは?」
期待を小さくしたことに、俺は誰にか知らないが謝罪した。現れたのは銀の髪を水に垂らした、グラマラスな美女だった。そう、人魚は美女だったのだ。
「やあ、久しいな揺蕩う湖月のお嬢さん」
水面に輝く銀色に、オッサンは気障ったらしく声を掛けながら悠然と微笑む。こういうところは大人の余裕があるというか、年の功というか。
人魚はオッサンの口説き文句を意に介すこともなく、体を岸に寄せる。オッサンが進むのについて行けば、彼女はこちらをじっと見つめた。ただ、向けられる感情が好奇心や見極めるような目でさえなく、只々おかしなものを見る目であるのは、居心地が悪いが。まるでおばけでも見ているかのような目だ。いや、化け物か。
「そんなに恐れずとも、これは私の弟子だ」
「えーと、湖の人魚さん。このオッサンと契約したただの人間です」
ここで礼儀を欠くのも良くないし、気圧されるのは癪なのでオッサンの真似をして、さも余裕を見せた顔で笑んで見せる。ただの人間ですとは、少々厭味ったらしかったかもしれないが。
「弟子。契約。そう……そう。はじめまして魔女の弟子」
人魚は数度俺とオッサンを見比べて、納得したような声で挨拶する。何に納得したのだろうか。見た目に師匠や弟子といった様子が見て取れるわけでもないだろうに。契約は、オッサン曰く強い魔力感知を持ったものならば見破れるということだが。
「それで? この度はどんなご用事かしら」
人魚は、簡単な挨拶だけは俺に向けたがそれを終えると意識をすべてオッサンの方に向ける。ただ、それはどちらかというと好意的なものではなく、寧ろ警戒しているような態度。身構えている姿勢に首を傾げていれば、オッサンは肩を竦めて横目で俺を見た。
「これが食事を必要とするのでな、少々魚を頂きに来たのだ」
「へっ?」
そうして返事を聞いた途端、人魚の彼女は間抜けな声を上げた。拍子抜けしたように、一瞬で警戒を霧散させる。それから、数秒掛けて驚いた後は、信じがたいというような顔をした。
「本当でしょうね?」
「私に嘘を吐く必要があると?」
「…………」
沈黙は肯定かは、彼女の表情を見るに微妙なところだった。