記憶の魂
お題箱サービスよりお題「捨てられた遊園地」をもとにした即興超短編です。捨てた思い出、捨てられた思い出、尊いものも、呪わしいものも、時の流れに等しく色褪せていく。そんな中で、埃を払われた、一片の記憶を見つける話です。
子どもの甲高い声も、不思議なことに、もう慣れ始めてしまっている。いつものように騒がれても相手にせず、山のように届いている手紙に目を置いていた。
「おじさん、モテるよね。見た目によらず」
「このガキ」
こんな町はずれの小屋に一人通ってくる、生意気な少年。彼の名前すら知らないが、丁寧に相手にはしないものの、追い返したりもしなかった。追い返す気も起きなかったのは、俺自身が孤独に参っていたからなのかも知れない。
「どんなことが書いてあるの?愛の告白?」
「ほら、見せてやるよ」
「やだ、文字なんて俺読めないもん。おじさんが読んでよ」
「じゃあ俺も文字分からねえ。残念だったな」
抗議の声を上げる少年の、その頭を手で抑える。
こんな若い者に見せたい内容ではなかった。
手に持っていた紙を屑籠に投げ捨て、次の一枚を手に取る。
灯りも点いていない小屋は、昼下がりだというのに、手元すら暗かった。
「ほら、読んでるじゃんか。どんなことなのか、教えてよ」
ざっくり、3種類の手紙が届く。
まず一つは、果たし状だ。くだらないことに、酒場でいざこざが起こった相手が後をつけてきては家を特定し、しょうもない手紙を届けて来ることがままある。全体の一割にも満たないが、迷惑な話であり、辟易している。
二つ目は、軍隊からの命令だ。復職してください、文章こそ改まってはいるものの、軍と政治機関が癒着しきっている今、これは絶対的な命令に近い。返事の督促と合わせて、これが手紙の中で最も多い。
そして最後に。
「仕方ねえな、教えてやるよ。友人が死んだって報告だ」
訃報だった。幼い頃から軍として育ってきたため、戦地に立つ知り合いは多く、また、そのぶん死ぬ知り合いも多い。
「そう……」
少年が俯く。少しやりすぎただろうか。
「なに他人のお前が落ち込んでるんだよ」
「だって、その人にはもう会えないんでしょ」
こいつ、何を、言いかけて、ふいに言葉に詰まった。
もう会えない。俺を含めた軍の連中とっくに覚悟出来ているからいいだろうが、そうでない奴らも居ることは間違いない。
そいつらにも家族は居て、そいつらは大抵一般人で。
そう思った所で、ふと俺が殺した人の顔が浮かんで、考えるのをやめた。
「そうだな。そいつにはもう会えない。絶対にな」
「だよね。変なこと聞いてごめんね」
少年が肩を落とす。これだからガキは嫌なんだ。俺は頭を掻いた。
「俺は慣れっこだから、別にいいさ」
「寂しくないの?」
真っ直ぐな視線が胸に刺さる。俺は努めて目を逸らして、息を吐いた。
「死んだ奴の分まで楽しまなきゃならねえんだ、寂しがる暇なんてねえよ」
「そんな」
「いいかガキ。こんな奴になりたくなければ」
俺は立ち上がった。長ズボンに隠していた義足が音を立てて、それに少年が目を丸くする。「……こんな奴になりたくなければ、絶対に軍には入るな」
少年が言葉に詰まる。ただ不安げな目線をこちらに向けていた。
「どうした」
声を掛けてやると、彼は慎重に、慎重に声を零す。
「おじさん、今は楽しい?」
「は?」
「いや、楽しまなきゃ、って言ってたけど」
この小屋を見回す。荷物も少なければ部屋も小さく、小汚い。
「楽しんでるようには、悪いけど、見えなくて」
「余計なお世話だ」
俺は荷物が乱暴に置いてある部屋の隅へ行き、そこから一つの大きめな箱を選んで持ち上げた。少年の傍に置いて、床に座る。
「楽しいことってのはな、自分で見つけて作るものなんだよ」
真っ赤に錆びた金属のロックを外して、それをゆっくり開ける。
「……これは?銃?」
「はは、そんな物じゃあ楽しめねえよ」
俺は慎重にそれを持ち上げた。いくつかの部品を繋げて、すぐにその形が完成する。
「やっぱり、兵器でしょ。こんな金属の塊、軍の物でもなきゃ徴収だよ」
「金属の徴収を知っているのか」
「遊園地が大好きだったんだ」
少年の弱弱しい声音に、その横顔を見た。
「なくなったよ。シアターも観覧車もお化け屋敷も、全部」
それでも思い出が忘れられず、暫くは何もなくなり廃れていく跡地に通っていたという。
「おじさんに会うまではね」
「は、俺は暇つぶし程度ってことか」
「別にいいでしょ」
このガキ、俺は笑った。
「で、それは兵器なの?」
「はは、すぐ分かるさ。ちょっと耳を塞いでいろ」
「え、うん」
少年が震えた。蹲るように耳を塞ぎ、怯えている。
足が痛んだ。
すっと息を吸い、慣れたそれに入れてやる。
ぽ、優しい音が出た。
「……え?」
少年がおっかなびっくり、というふうにこちらを見る。もう一度音を鳴らしてやった。
「えっ、綺麗」
「ふふ、だろう」
つい得意になる。
「おじさん、これは何?」
きらきらした視線に、金属製の管が輝く。簡単な旋律を吹いてみせる。
「こいつは楽器って言ってな、大勢で集まってな、合わせて音を出すんだ」
「楽器……」
「まあ、結局は軍隊のものなんだけどな。今じゃもうやらないが、軍隊のパレードなんかではよく出番があったものだ」
少年の頬は紅潮していた。「すごいね。聞いてみたいなあ」
「もうやらないだろうな」
「廃止されちゃったの?」
思い出す。俺が軍楽隊だった頃と、それが解散して楽器と隊員が戦闘用の資材にされたこと。在りし日の仲間達の影が山積みの手紙と重なって、ふいに目頭が少し熱くなるのを感じた。
「――まあ、そういうことだ」
「そっかあ、残念」
そんなことは知る由もなく、少年は熱心に俺のホルンを眺めている。死刑を覚悟で隠した楽器、その時の覚悟が決断が報われた思いだった。
「俺は軍楽隊がなくなった時、この世の終わりのような気分だった」
「うん」
「お前が遊園地を失った時も、同じような気分だったと思う」
「……うん」
思い出したのか、少年が俯く。
「楽器があっても、合奏する相手も場もない。だけどな」
俺は沈み切っていたいつかのように、ただクロスで楽器の曲がった管を撫でる。
「だけどな、こうやってまたこいつで楽しめて、人を楽しませられて、堪らなく嬉しいよ」
「そう。よかった」
「楽しむってのは、そんな程度のもんだ」
そんな程度、ぼうっと反芻する少年に、俺は息を吸った。
集中して、音程を狙う。何年も前の譜面から、有名な遊園地のテーマソング、その主旋律を奏でた。
少年がはっと顔を上げる。
「これって」
「どうだ、楽しいことも案外その辺に落ちてるもんだろう」
「……うん!」
知らず捨てていた遊園地を見つけた少年が、歌詞を口ずさんでいた。対旋律をピアノの音量で吹き、ああ、合奏だなあ、俺の胸にもまた熱が駆け上る。
息を入れる。管のジェットコースターを駆け、ロータリーのメリーゴーラウンドを回り、叫ぶは歓喜のファンファーレ。懐かしみ、楽しみ、哀しい思い出を抱きしめ、音を奏で、聞き入った。
読んでいただき、ありがとうございました。