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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

バスターゲーム

作者: やきたらこ

 その日。黒崎翼くろさきつばさは久々のデートの待ち合わせをしていた。

 優しい彼に沢山甘えよう。そんな思いを胸に抱き、駅のホームで佇んでいる。

(ちょっと早すぎたかな?)

 翼は左手首に巻いた腕時計で時刻を確認する。時計の針は八時十分を指している。約束の時刻よりも二十分前だ。


 時計を見ていることで周りへの注意が散漫になっていた。右方から迫っていた(談笑に夢中の)二人のギャルの一人と肩がぶつかった。

「危ねぇな!! どこ見てんだよ!!」

「ご、ごめんなさい」

 強気でこられたため、少々弱気になって答えてしまった。

「気をつけろよ」

 多少険悪な様子を残しながらも、ギャルは談笑ペースへと戻っていった。


 去りゆく二人のギャルの背中を見ていたが、ここで誰かに肩をポンポンと叩かれた。

「誰?」

 振り返るが誰も居ない。しかし再度叩かれる。

 こんなイタズラをするのは一人しか思い浮かばない。安堵した表情で笑いながら翼は名前を呼んだ。

「もぅ。やめてよ、海斗かいと

 ひょっこりと翼の前に出た青年は田辺たなべ海斗。来年就職を控える就活生だ。同じ大学の四年生。付き合い始めてから九ヶ月になる。

「ごめんごめん。ほら、アイス買ってあげるから」

 またそうやって食べ物で釣ろうとする。

 翼はぷいっと、そっぽを向き、

「その手には乗りませんからね〜だ」

「あぁ〜ごめんってぇ」

 情けない声で手刀を切る海斗。

 そんな彼の様子を見た翼の中は、ほんわかした温かいもので満たされていた。





 とあるファストフード店で昼食を摂り終えた後、店から出た時のことだった。

「失礼。只今、仲良しペアの方限定のアクティビティをご用意しておりますのですが、空きは残り一組、参加してみませんか?」

 唐突に黒のスーツの男に声をかけられた。

「わ、私たちですか?」

 自分たちを指し示して問いかける翼。

 男は平然と答える。

「はい、あなた方のようなカップルの方たちに楽しんでもらえたらなと」

 真っ先に反応したのは海斗だった。

「面白そうだな。どうだ? 翼。行ってみないか?」

 大好きな彼が肯定的だ。勿論翼の気持ちも揺らぐ。そして、彼女は答えた。

「行ってみても……いいかな?」

「ありがとうございます!!」

 言いながら、スーツの男はがばっと頭を下げた。


「それではご案内致します」

 翼と海斗はスーツの男に促されるまま、建物の間の狭い路地へと入っていった。





 中に入ると、そこは普通の一般的な(若干広めの)ワンルームマンションのような内装だった。

 真新しいベージュ色の木のフローリング。純白の壁紙。ピカピカのキッチン。整備された本棚。まるでこれから新生活が待ってると言わんばかりの設備だった。

 しかし、奇妙な点が四つ。


 一つは、入ってくる時にくぐった鈍色の鉄扉。室内の温かい雰囲気をそれだけで叩き壊す存在感を持っている。

 二つ目は部屋中央に置かれている四角の白いテーブル。部屋の落ち着いた雰囲気だが、その存在は浮いている。実際にそのインテリアが友達の部屋に置いてあれば“センスが無い”と笑ってしまうレベルに浮いていた。そして、三つ目はそのテーブルとセットに置いてあるパイプ椅子。それらだけで異様な空気を醸し出していた。

 四つ目はなんといっても窓が無いこと。窓が無いだけならまだ分かる。しかし、本来窓があるのだろう、その場所には小綺麗な白いレースのカーテンがレールに吊るされていた。しかし窓は無く、純白の壁しかない。


 部屋には数人の男女。中年の夫婦もいれば、若い女の子たちまで。

 全員座っていたので、とりあえず翼と海斗も席に着く。

 視線を巡らせていた翼は一人の女性と目が合った。先ほど翼とぶつかったギャルだ。

 珍しいこともあるものだな。と思うが、すぐに気まずくなり、お互いに視線を外した。


 静寂が部屋の中をしばらく包んだ。痛い程の静寂を破ったのは部屋に入った一つの音声。どうやら天井のスピーカーからのようだ。

『ようこそ、皆さん。バスターゲームへ』

「バスターゲーム?」

 訝しむ声が翼の喉から思わず漏れた。

 そんな翼を無視して、雑音混じりの声は続ける。

「これはゲームです。しかし、ルール説明は一つだけ、一度だけします。よく聞いてくださいね」

 僅かな間。誰かがツバを飲む音が聞こえた。


「最後の人が勝者です。以上――」

 バツッという音を最後に音声は切れた。


 再び部屋を支配する沈黙。


 永遠に続くかと思われた静寂を破ったのは翼にぶつかってきたギャルだった。

「マジ意味分かんない。帰ろ、みほ」

 立ち上がって告げると、“みほ”と呼ばれたギャルも立ち上がり、出口―奇妙な鈍色の鉄扉―へと向かった。

 全員が固唾を呑んで見守る中、翼とぶつかったギャルが鉄製のノブを回そうとした。

「あれ? 開かない? なんで!?」

 ガチャガチャと激しくノブを回す、音が木霊こだまする。その音はまるでギャルの焦燥を表しているようだった。

 三分程色々試していたが、諦めたのかギャルたちは不機嫌そのものの表情で、どっかとパイプ椅子に座った。


 三度支配する沈黙。


 それを破ったのは他の誰でもない、翼の隣に座る彼――田辺海斗だった。

「えっと、とりあえず自己紹介しましょうか」

 言う彼の顔も引きつっていた。

「俺の名前は田辺海斗。大学生です」

 自分の胸に手を当てて話す海斗の姿に魅せられていた翼は、話を振られてビクリと体を固くした。

「そんでコイツが黒崎翼。俺の彼女です」

 最後の言葉に恥ずかしさを感じながらも、翼はペコリとお辞儀した。


 続いて口を開いたのは勝ち気そうな女性だった。

「あたしは三上良子みかみりょうこ。そんでコイツが桐川平太きりかわへいた。言っとくけど、あんたらみたいな関係じゃ無いよ。勉強を教えてる方と教えられる方ってだけ」

 紹介を受けた学生服の平太はオドオドした様子で丸メガネを直し、頭を下げた。

「ちなみにあたしが教える側ね。ガリ勉みたいだけどこうみえてコイツ頭悪いからほうっておけないんだ」

 良子はニッと笑い、手でジェスチャーを送った。「次どうぞ」という意だ。


 言葉を発したのは中年夫婦。夫の方だ。

「私はIT企業に勤めております、山田忠雄やまだただお。こちらが妻の清美きよみ

 続きは清美が言葉を紡いだ。

「専業主婦をしています。山田清美です」

 おとなしそうな印象の女性だった。老いを感じるが、落ち着いた雰囲気の人だと翼は感じた。


「儂は富田正造とみたしょうぞう。富田財閥の頂点トップだ」

 自身満々に自己紹介したのは、ギラギラと輝くネックレスに趣味の悪い紫色のスーツジャケットの老人だった。正造が笑うと金に輝く歯が数本垣間見えた。

 隣に座っていた、こちらも派手な格好の女性も口を開いた。

「別に、関係無いけど。あたしは橘南子たちばなみなみこ。お金くれるからついてきただけなんだけど、もうそんな空気じゃないよね」

 つまらなそうに頬杖をつく南子。

「そう言わないでよ、南子ちゃん」

 そんな彼女にくっつく正造。ねっとりとした手つきで触ろうとするが、彼女はその手を軽くあしらっていた。


「残ったのはウチらじゃん」

 “みほ”と呼ばれたギャルと、翼とぶつかったギャルの二人だ。

「ウチは木下きのしたみほ。そんでコッチが平川梓ひらかわあずさ

 梓と呼ばれるギャルは軽く頭を動かすだけだった。


 沈黙になりそうだったが、翼がそれを止めた。

「ねぇ、ホントに出られないのかな…………」

 不安混じりに言ってみたが、梓にすぐに切り返された。

「さっき試しただろ! 出るのなんて無理なんだよ!!」





 暗い室内、光源はパソコンの画面だけ。

「さて、今回はどんなドラマが巻き起こるのやら」

 黒ぶちメガネを直し、パソコン画面を見つめる一人の男。画面に映るのは不安な表情をした十人。

 彼は口元で指を組み、不敵に笑うだけだった。





「コーヒー淹れます。あればですが」

 立ち上がってキッチンへ向かう南子。正造が手を伸ばすが、彼女は軽く払う。


 インスタントコーヒーがあった。それに角砂糖に粉末状のミルク。

(あとは、ヤカンなんかがあれば出来るんだけど……)

 案の定、簡単に見つかった。

 元栓を開け、ヤカンに火をかける南子。そこで彼女は奇妙な物を見つけた。小さく透明な袋に入った粉末。

 袋にはこう書かれていた。

―青酸カリ―

 ミステリー好きでもない南子にも分かった。

(毒!?)

 有名すぎるといって過言ではない毒物を見つけた南子。そこで彼女は一つのルールを思い出した。

『最後の人が勝者です』

 ごくりとツバを飲み、他の人たちを見やる。

 大学生のカップルや中年夫婦は何かを話し、高校生の二人はこんな状況の中勉強に集中している。

(あの大学生や高校生、夫婦の人たちには悪いけど。あたしが勝たせてもらうわ)

 彼女は残忍な笑顔で、誰にも見られないように細心の注意を払いつつ、白い粉末を十杯全てのカップの中に注いだ。





 平川梓は黙々と勉強する桐川平太を見て言った。

「こんな状況で勉強なんて感心だよな」

 平太は見向きもしない。

(つまんね)

 梓の興味は平太からみほとの話に変わった。





 山田清美は少しでも気を紛らわす為に本棚を見ていた。

 奇妙なことに、分厚い本の背表紙にはタイトルが書かれてなかった。

(なんだろう?)

 直感で気になり、手に取った本。妙に重かった。

 開いて見ると、本のように偽装した『箱』だった。そして中に入っていたものは――――





 黒崎翼は不安な気持ちを大好きな彼にぶつけていた。

「このまま出れなかったらどうしよう?」

 焦燥の見え始める翼を優しく接する海斗

「大丈夫、きっと誰かが…………あっ!!」

 海斗は急に大声を発した。

「何?」

 気になる翼。勿論他の人たちも海斗に注目する。

「なんで忘れてたんだ? 警察を呼べば」

 言うと海斗はポケットから携帯を取り出して操作し始めた。やがて彼は携帯を耳へあてがう。

「…………………………クソッ!!駄目か」

 どうやら繋がらなかったらしい。苛立ち混じりで無造作にポケットへ携帯を突っ込む海斗。その時、意外な人物が口を開いた。

「てか、大声で助け呼べば誰か来てくれるんじゃないの?」

 チャラチャラした服装の梓だった。その外見と言動や表情があまりにもミスマッチで妙な可笑しさがある。

 彼女の意見を反対したのは、中年夫の忠雄だ。

「いや、大学生の彼が電話で繋がらなかった様子を見るに、恐らく防音もしっかりしているだろう」

 冷静な分析を前に梓は黙りこんでしまった。


「コーヒー淹れました」

「南子ちゃんの淹れたコーヒー美味しく飲むよぉ」

 粘った声で話しかける富田正造を無視し、全員それぞれの前にコップを置いていく南子。コーヒーは好きなので、翼はすぐに口をつけようとしたが、海斗がコップに見向きもしないことで妙な不安に駆られ、口を付けるのを躊躇った。

「角砂糖とミルク、置いておきますね」

 テーブル中央にそれらを置き、南子は自分の席に座った。彼女も一向に口を付ける気配は無い。コーヒーを飲んだのは忠雄と三上良子、正造だった。


「ねぇ。コーラ無かったの?」

 南子に問いかけるのは、みほだ。翼は視線を移した。

「さぁ? 冷蔵庫見てみれば?」

 指された通り、冷蔵庫―正直、今言われるまで気付かなかった―を見やった。既にギャルたち二人がたかっている。


「……うっ!!……がぁ…………がはっ!!」

 苦しそうに呻きだす正造。胸を抑えている。

「どうした!?」

 立ち上がる海斗。勢いでパイプ椅子が倒れる。立ち上がった海斗に釣られて翼も立った。

「…………ぐ、うぅ……あっ」

 倒れた正造、翼と海斗がテーブルを回りこんで駆け寄った。

 色々調べ終わった海斗は首を横に振った。

 翼は息を飲む。死んだ? 実際に目の前で? 信じられなかった。

 振り返り、呆然と眺めているギャルたち。驚きで固まる桐川平太。

「まさか、これに?」

 立ち上がった良子、直後だった。先に忠雄、次いで良子の順に苦しみだした。そして、間もなく息を引き取った。


「コーヒーに何か入れたの?」

 震えた声で問いかけたのは清美。その目は何よりも鋭かった。

「し、知らない。あたしは何も――」

 南子の言葉は最後まで続かなかった。


―パァン!!―


 乾いた音が一つ。

 見ると、南子は額から赤くドロドロした液を流しながら、倒れたところだった。


 視線を清美に移す。そこに立っていた彼女は最初の彼女から豹変していた。

 両手で構えるのは、手の平程にも満たないピストル。そこからは硝煙が立ち上っていた。

「クソッ!!」

 すぐに海斗が動いた。

 彼は清美に強烈なタックルを決め、ピストルを差し押さえた。その後彼は翼を見て言った。

「他にも武器があるかもしれない、探しといてくれ」

 心臓が破裂しそうなくらいバクバクしていた翼だったが、なんとか頷いて行動に移れた。



「頭に血が昇ったのは分かる。でもお前は今、人を殺したんだぞ!!」

 海斗は清美を殴った。固く拳を握りしめて、一発殴った。彼女の何かに耐える瞳から一筋の雫が落ちた。

 その様子を見ていた翼は唇を引き結び、捜索の手を急がせた。





「見つけたのはこれだけ」

 沈鬱な空気の中、全員が着くテーブルの真ん中に見つけた凶器を並べた。

―サバイバルナイフ・先ほど使われたピストル・工具用ハンマー・青酸カリと書かれた空の袋・コーヒーの入ったコップ十個―

 五点の凶器がテーブルに並べられている。

 清美は夫の遺体―全員の遺体は隅にまとめてあり、押入れにあった布で顔を隠している―を見続けているが、全員の中で反芻されるのは一つのルール『最後の人が勝者』

 今この瞬間もどこかから見られてるのだろうか。『バスターゲーム』とやらの主催者に。


 翼は海斗に囁きかけた。

「(ねぇ。もし、私に死んでと言われたら死ねる?)」

 驚いた表情を浮かべたがすぐにいつもの―いつもより―笑顔で海斗は囁く。

「(それで君が生きて出られるなら喜んで死ぬよ)」

「(……そう…………)」

 この時、翼は誓った。「もしも二人最後まで生き残ったら自分が先に命を断とう」と。





 誰かが椅子から立ち上がった。

 唐突に動いたのは、平太だった。


「僕は、受験に合格するんだ。そして絶対に東大に入るんだ!!」

 大きな声を発し、平太は手近にあったサバイバルナイフを掴んで梓へ突進した。

「はっ? ぁあ!?」

 戸惑い、動けなかった梓。

 しかし、平太の凶刃が梓に届くことは無かった。

「……げ、ほぁ――――」

 勢い良く赤黒い液体が口から迸る。

 梓を守ったのは梓の親友のみほだった。

「……少しは…………本当の親友らしいこと……出来たかな?」

 派手な服の腹部に、じんわりと赤い染みが広がるのを見た翼は自然に体が動いていた。涙を溜め、無我夢中で平太を押さえた。しかし相手は年下といえども男である、簡単に振りほどかれる。その際、平太の肘が口元に直撃した。鉄臭い味が広がる。

 平太はナイフをみほから抜き、梓へと迫った。

「止めろ!!」

 平太の凶行を止めようと海斗が迫るのを見たが、時すでに遅し。梓は喉のあたりを斬られ、激しく咳き込んでいる。咳をする度に赤い霧のようなものが吐き出される。

 しばらくして、二人は息を引き取った。


 沈黙が場を包む。

 重苦しい重圧となったその空気は容赦無く翼を押しつぶそうとしてくる。

「あなたが居なきゃ、私は生きてる意味は無い……」

 消え入りそうな声だった。しかしその声は確実に翼の耳に入ってきた。

 勢い良く俯けていた顔を上げる翼。その瞳で捉えたのは、泣きつかれた妻が自らのこめかみに銃口を押し当てているところだった。

「駄目!!!!――――」


―パァン!!―


 手を伸ばした。しかしその細く小さな手は、虚しく乾いた音すら掴めなかった。

 力無く椅子からこぼれ落ちる清美。その表情はどこか満足気だった。


 溜めていたモノが涙という形で瞳から一気に溢れて出てきた。

 悲哀沈痛悲痛憎悪憤怒義憤慨嘆虚脱感。

 迸る感情の奔流は翼から一気に思考や注意力を削ぎ落とす力を秘めていた。


 顔を上げた時、そこには平太が迫っていた。

「お前ら二人を殺して、僕が一人ここを出る」

 目は血走り、声はもはや別人だった。

 そんな平太を見た翼の体は動かなかった。

(私殺されるんだ)

 別段どうでもよくなった。一気に感情を爆発させたせいで、生への執着さえも消えていた。

 平太の両腕が翼の細い首筋へ伸びる。


 平太の指先が翼の首に触れる寸前のことだった。彼は頭から勢い良く横に飛んだ。飛ばされたの方が正しい。

 顔を見上げるとそこには田辺海斗が立っていた。その表情は苦痛に歪められている。

「俺の愛する人にその汚ぇ手で触れるんじゃねぇ!!」

 床に転がった平太だが、その血走った目玉はギロリと海斗を捉えている。

「来るなら来い!! 相手になるぞ!!」

 判断力を取り戻しつつある翼は工具用ハンマーを握る海斗を止めようとした。だが、遅かった。

 既に海斗はハンマーで襲いかかる平太の鼻っ面をへし折ったところだった。





「残ったのは俺たちだけか」

 翼は立ち上がり、海斗の話に耳を傾けた。

「俺は翼を愛してる。だから――」

 その言葉を翼は海斗の唇に人差し指をあてて止めた。

「私は決めたの。二人で生き残ったら、私が死ぬって」

 翼はテーブルに置いてある、冷えきったコーヒーを持った。

「だから……さよなら」

 ボロボロと涙が溢れてきた。泣かないって決めた筈なのに。笑って死のうと決めたのに。

「…………でも、やっぱり怖いよ……」

 翼の本音が漏れた直後、血みどろの室内に甲高い音が響いた。

―ガシャン!!―

 それは翼が手を滑らせてコップを落とした音だった。

 何故突然に手を滑らせたか。理由があった。


 海斗の唇が、翼の唇を覆ったからだ。

 そのキスは今までのどのキスよりも優しいものだった。


「翼、君は生きろ。俺はいつまでも愛してる」

 海斗はいつの間にか握っていた小さなピストルをこめかみにあてがった。

「駄目!!――――」

 手を伸ばす翼。だが、その小さな腕では愛する人を死から救えなかった。

 安らかな表情で倒れる海斗。翼は愛する人の体を抱きかかえた。


―嫌ぁぁぁぁあぁああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!―


 叫んだ。声が出なくなるまで叫び続けた。それと同時に流れる涙は黒崎翼からほとんどの感情を奪っていった。





 暗い室内。光源はパソコンの画面の青い光だけ。その光を受けるのは、不敵に笑う黒ぶちメガネの男。

「最後に面白いモノが見れました。さて、死体の処理ですか。あとで焼いてもらいますかね。法的措置は私の部下にやらせて。さぁ、次はどんなゲームにしようか…………………………」

 ブツブツと呟く男。彼の服の襟に輝くのは政府でもかなりの重役である証だった。

「そうだ、生き残りを開放しなくては」

 思い出したように、キーボードのエンターキーを押した。





 がちゃり、と何かが外れる音が鈍色の鉄製の扉から聞こえてきた。

 静まり返る部屋の中。翼はしばらく立とうとしなかった。

 しかし、一つの言葉を思い出した。『翼、君は生きろ。俺はいつまでも愛してる』


 虚ろな表情だったが、その両足で黒崎翼は立ち上がった。

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