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その5.

「なんだか、この一週間辛そうだったね。今日は医者にでも行って、診てもらったら?」

「え~? だけど何の医者に行けばいいのかしら?」

「どこが辛いの?」

「わからない。身体全体が重い感じ」

「なんだろうね。疲労かしらね?」

「じゃあ、どこ?」

「とりあえず、内科かしらね?」

 医者に行くのだから道場には行かないほうがいいだろう。というか行きたくなかったので、母に提案してもらって良かったのかもしれなかった。でも、ツチヤさん…、怒るかしら。もう、本当になんであんな人のことで、私、こんなに憂鬱にならなくちゃならないのかしら。


 医者に行ったら、なんだかよくわからなかった。だって、私自身、自分のどこがどう辛いかなんて、わからなかったのだ。ただ、頭痛がしてきていたので、頭痛薬をもらった。

「もしかしたら、うつ病の可能性もあるな」

 と医者が言った。

「ま。様子を見ましょうか」

 私はなんだかとぼとぼと家に帰った。今までノー天気に暮らしてきた毎日が夢のように思えた。

 家に帰ると、キッチンで洗い物をしていた母が手を止めて

「ツチヤさんって方から電話があったわよ」

 と言った。私はそれを聞いたら、もう頭がガンガン痛くなってきて、そこにうずくまってしまった。

「どうしたの? イクミ?」

 もう、なんと言ったらいいのかわからなくて、私の身体は固まってしまったようにコチコチになった。

「今日、道場でツチヤさんと会う約束をしていたんだって? 体調が悪いと言ったら、心配だから見に来て下さるっておっしゃっていたわよ」

 私は頭を抱えてしまった。動悸が激しくなってきていた。

「あ…、い…、た…、く…、ナイ」

 それだけ言うのがやっとだった。

「あら…、そうなの?」

 そういう母に何と答えたらいいのかわからず、私は這うように二階の自分の部屋に入り、ベッドに横たわった。

 どうしたらいいのだろう。何なのだろう、あの人のまとわりつくような、妙な感じは?

 私は物が考えられなくなり、そのまま意識を失った。


 目が覚めると、部屋の中が暗かった。いったいどのくらい眠っていたのだろうか。身体は相変わらず重くて、目だけを動かせるような感じだった。デジタル時計の表示がティッシュのケースの影になっていてちょうど見えない。

 起きようと思うけれど、身体が動かない。

 外では時々車が通る音がするし、学生さんが歩いてしゃべっているような声が聞こえる。ってことは、まだ深夜ってわけじゃあないのかしら? 朝、何か少し食べたけど、それから何も食べていないなあ。

 下のキッチンの方で何か動いている気配がしている。かすかに人の話し声が聞こえる。ま、まさか? ツチヤさんがいるんじゃあないだろうね? 母がツチヤさんと話しているような気がしてきて、動悸が激しくなってきた。

 母が何か、あの人に吹き込まれる? そう思うと怖いと同時に、どうにかしなければという気持ちが強くなり、私は硬い身体をなんとか動かして、全身の力を集めて部屋から一歩ずつ階段を下りた。

 居間の扉は開いていて、母の後姿が見えた。

良かった。声はテレビの音のようだった。そう思ったら、すごくほっとして、涙が出て来てしまった。私はまるで子供のように、そこでわんわん泣き始めてしまった。

「どうしたの、イクミ?」

 と、私の方を振り返った母は…、ツチヤさんだった。

 私の涙は止まり、声はつまり、身体が固まった。

「何? どうしたのイクミ?」

 ツチヤさんが母のふりをして私に近づいて来る。私は気が狂いそうになって

「やめて! 帰って!」

 と叫んだ。

「落ち着いて、イクミ!」

 声は母の声だ。声の調子も母の調子だ。なのに、ツチヤさんなのだ。わけがわからない。私は耳をふさぎ、そこにうずくまった。

「イクミ、大丈夫? 一人で休める?」

 声だけ聞いていれば、母の姿を想像できる。私は目を開かないことにした。

 ツチヤさんのひんやりした手の感触を首に感じた。

「やめて~! 触らないで!」

 と私は叫んだ。もう、どうしていいいかわからなかった。

「どうしたのイクミ!?」

 ほんと、私、どうしてしまったのだろう? なぜ、ツチヤさんはこんなことができるのだろう? 母はどこに行ったのだろう? なぜ、声だけは母なのだろう? わけがわからなかった。

「イクミ、さ、部屋にもどって、眠ろう」

 ツチヤさんのひんやりした体が私の背中を包み込むように、かぶさってきた。

「きゃー! やめて! やめて!」

 と私はがむしゃらにもがいた。

「イクミ、どうしちゃったの?」

 私は目を開けたくなかった。もう、ツチヤさんの顔を見たくなかった。

私は居間に走り込むと、手に触れるものをなんでもつかんで、彼女のほうに投げつけた。その合間に場所を確かめるために、時々目をあける。ツチヤさんが、頭を抱えて、当たらないように物を避けている。とどめになるようにと、私は硬い物を選んで投げ始めた。薬びん、本、スタンド…、ハサミ、飾ってある小瓶、アクセサリーの小箱。手当たり次第に投げつけると、いくつかの物は外れて、食器戸棚のガラスが割れ、人形ケースのガラスが割れ…、壁にドン、ガシャンと当たり、その中の何かが当たったのか、ツチヤさんの額から血が流れていて、ツチヤさんは動かなくなっていた。

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