ターニング・ポイント(下)
記憶を取り戻した俺は、さっそく、マリを連れて天空界に帰ろうとした。
するとマリは、じっとりとした目で俺を見た。
そして、まだイヤよ――と、いかにも恥じらっているような物腰で言った。
俺は夢中でマリをつかみ、ひきずり寄せた。
その後、しばらくして俺とマリは家を出た。
マリは透明ななにかを俺に持たせた。
そして言った。
「これは、カマレオネス・クロークという周囲の景色に溶けこむマントよ。この家をおおう素材と同じ素材でできてるわ」
「カマレオネス?」
「スペイン語でカメレオン。まあ、厳密には違うけれど、光学迷彩のような透明マントだと思ってもらってかまわないわよ」
「これを俺に?」
「それを着ていれば、天空界と地上界の行き来を目撃されることもないでしょ」
そう言って、マリはマントをはおる仕草をした。
すると彼女の首から下が透明となった。
「フードを被れば顔も隠れるわよ」
マリは、俺の首に腕をからませた。
甘えるように背伸びして、
「お姫さまダッコというものを、ワタシもされてみたいわね」
と囁いた。
俺はマリを抱きかかえた。
マリは、とても軽かった。
俺は彼女をお姫さまダッコしたまま、しばらく森を歩いた。
森には黒い霧が満ちて、俺の『神の力』を無効化していた。
もうそろそろ森が終わり黒い霧から脱出できるといった、そんな場所だった。
かさかさかさっと。
茂みから音がした。
俺とマリが振り向くと、そこには緑の人型モンスター……デュエンデが何匹かいた。
デュエンデたちは俺たちと目が逢うと、さっと身を隠した。
そして、ちょこんと顔を出した。
怯えながらも、うっしっしと笑った。
それを見てマリは言った。
「モンスターは、コイル装置が破壊されたその衝撃によって、ワタシとの結びつきがなくなり、そして記憶や知性、言語能力を失ったはずよ」
「でも」
「ワタシたちのことを覚えているようね」
「ああ」
俺が微笑むと、デュエンデは、さっと茂みに隠れた。
そしてまた、ちょこんと顔を出した。
そうやって俺たちを見ているだけだった。
そんなデュエンデをしばらく見ていたマリは、やがて、
「早く忘れなさい。それがあなたの有るべき姿よ」
と呟いて、それからつけ加えた。
「でも、嬉しいわ」
俺たちはデュエンデたちに見送られて森を出た。
黒い霧からも出た。
彼らに微笑み、カマレオネス・クロークのフードを被った。
俺たちは景色に溶けこんだ。
「まさに神隠しね」
そして天空界へと飛び去ったのである。――
天空界に戻ると、
「ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆」
と言って、ワイズリエルが飛びこんできた。
が。
それをマリがガシッと空中で受けとめた。
そして、おまえはギースかあるいはスティーブン・セガールか――というような、それは見事な当て身投げを彼女にキメたのだ。
「にゃあッ☆」
地面に叩きつけられたワイズリエルは、しかし、ネコのようにするどく跳ね起きた。
そして。
「なにをするのですかッ☆」
と叫んでマリに詰め寄った。
するとマリは、にたあっと根性の悪い笑みをして言った。
「なにをメインヒロイン面しているのよ」
この言葉に、ワイズリエルは変な声を漏らした。
後ずさりした。
そこにマリが追い打ちをかけるように言った。
「あなた、そうやって正妻面しているけれど。カミサマのハートをガッチリつかんでいるけれど。なんなら人気がありそうだけれども。そもそも、あなたはセックスのことしか頭にない、腰をふることにただ夢中なだけの女だったはずよ」
「ぐッ☆」
「それが参謀のようにふるまい、カミサマを導いているけれど。でも、あなたにはそんなことをするだけの知恵はないでしょう? あなたは賢いといっても、ただエロいことだけに知恵がよくまわる、エロ賢い女でしょう?」
「ぐぬッ☆」
「無理してんじゃないわよ」
「ぐぬぬッ☆」
「あはは、なにか言い返してみなさいよ」
と、マリはとてもイイ顔とイイ声で、好感度ダダ下がりなことを言った。
するとワイズリエルは顔を真っ赤にした。
ほっぺたをふくらませた。
そして。
「ムキャ――――ッ!!!!!!」
と泣き叫んで、マリにつかみかかった。
そのままふたりは地面に倒れ込んだ。
そして取っ組み合いのケンカをはじめた。
「キスマークつけてやるッ☆ つけてやるッ☆」
「やっ、止めなさいよ!」
「ご主人さま以外のキスマークだッ☆」
「嫌ッ! あなた本気で怒るわよ!!」
「うるさいッ☆」
「パンツに手をつっこむわよ」
「にゃあッ☆」
「この転生してからの十数年、独り身でひたすら研さんしたこのテクを、指を! あはは、味わうと良いわァ!!」
「ひゃわわ、ご主人さまァッ☆」
このふたりのよく分からないケンカに、俺がやや呆れつつ戸惑っていると、そこにクーラとミカンがヨウジョラエルを抱いてやってきた。
クーラとミカンは、ふたりのケンカを見て穏やかな笑みをした。
そしてクーラが、その切れ長の美しい目を細め、青い髪を耳にかけて言った。
「ワイズリエルって、どこか遠慮しているようなところがあるでしょう? 滅多に本心を出さなくて、ひとりで溜めこむようなところがあるでしょう?」
「……ああ」
「私たちは、そんなワイズリエルを心配してたのです。しかし、どうすることもできずにいたのです」
「…………」
「ただ、マリだけは別でした。彼女だけがワイズリエルの心を解放させることができ、あんなやりかたですけれど、発散させることができたのです」
「……うん」
「マリは毒舌で誤解されやすいのですが、でも、とても友達想いなのですよ」
と、やさしくクーラは言った。
俺は穏やかな笑みで応えた。
「分かっていたよ」
この俺の突然の言葉に、クーラは息を呑んだ。
ミカンが俺の顔をマジマジと見た。
気配を察したマリが手を止めた。
ワイズリエルが俺を見上げた。
そしてヨウジョラエルはミカンに抱かれて眠っていたけれど、俺は彼女たちひとりひとりの顔を見て言った。
「キミたちのことを思い出したんだ。今まで迷惑をかけたね」
すると、ワイズリエルがその大きなつり目いっぱいに涙を溜めた。
マリが優越感に満ちた目でみんなを見まわした。
ミカンはしばらく、ぽっかり口を開けたままでいた。
そして、クーラはひとり頷くと、まっすぐ俺を見つめた。
「好かった」
と言って、満面の笑みをした。
俺はこの笑顔のために、記憶を取り戻した――そう思ってしまうくらい、クーラは輝いていた。
「ご主人さまッ☆」「カミサマさん」「カミサマ」
ワイズリエル、クーラ、ミカンが俺のもとに集まり、しっとりと身を寄せた。
ヨウジョラエルが寝ぼけながらも俺の指を握った。
マリが後ろから、べっちゃりと張りついて息を吹きかけた。
そして記憶を取り戻した俺は――。
彼女たちと再会できたこの奇跡に、今さらのように感謝するのだった。
――・――・――・――・――・――・――
■神となって知り得た事実■
俺の『嫁』たちが今ここに集結した。
……こうやって要点だけをまとめて書くと、俺がまるで中東かどこかの石油王、ハーレムを有する大富豪のように見えてしまうのだけれども。まあ、幸福度は彼らに負けてないからこのままの記述で良いかと、俺は持ち前のいい加減さをここにきてフルに発揮するのだった。




