ターニング・ポイント(上)
マリがスイッチを押した。
それを端緒として、地上界に『神の力』が降り注いだ。
そしてアダマヒア王国をモンスターが襲撃した。
俺はそのことを事前に聞いて納得していたが、しかしそれでも、しばし言葉を失った。――
「って、おいこらカミサマ。なにが『しばし言葉を失った』よ。なにを呆然としているのよ。それに、それとなく被害者感を臭わせて、そして、このままアイマイに終わらせようとしているのよ」
「いや、そんなことないよ」
それに、そんな言いかたないだろう。
「なによ。じゃあ、願いを聞いたのだから次はあなたの番よ」
「はァ」
「はァじゃないわよ。ギブ・アンド・テイクでしょう――と、ワタシ促しているのよ」
そう言って、マリはその整った顔をぐいっと近づけた。
そして言った。
「はやく、ワタシの願いを叶えなさい」
「ええっと、それはメスブタ肉奴隷してくれっていう」
「ちょっとそんな言いかた止めなさいよッ! まるでワタシがビッチみたいじゃないのよッ!!」
「いや、キミ、たしか自分で」
メスブタビッチな肉奴隷に悦んでなるわよ――って言ったよね。
と。
俺はイジワルな指摘をしようとしたのだけれど。
でも。
まあ。
自分で言うのと、人に言われるのとは違うよな――と、俺はマリの心を汲んで言葉を呑みこむのだった。
「って、なによ。なにをものすごく上からの目線で、ひとり納得してるのよ」
「ごっ、ごめん」
「なによ素直ね」
「いや、普段から気をつけてるんだよ。上から目線にならないようにって」
俺が本音を口にしたら、マリは、にたあっと、ひどく嬉しそうな顔をした。
そして俺の頬をさすりながら言った。
「そうやって本心を口にすることは、なかなかできることではないわよ」
「……はァ」
「素敵ね」
そう言ってマリは、うっとりとした目で俺を見た。
俺は、つばを呑みこんだ。
美しい。……と、心中に舌をまいた。
そして。
この世のものとは思えぬマリの美貌に、しばし見惚れた末に、ようやく言った。
「マリ、俺は……」
するとマリは、ぴしゃりと言った。
「ワタシは、会ってすぐセックスするような女ではないわ」
しかしこの言葉が、俺を余計に興奮させた。
というより、マリは言葉では拒否していたけれど、明らかに性的興奮をおぼえていた。
マリは俺の頬をさすりながら、くちびるをねだるように顔を近づけた。
果実酒のような吐息を吹きかけるようにして、囁いた。
「まあでも、あと数日中に濃厚なのをヤるのだけれども。あなたの童貞を治してあげるのだけど。あなたの初めての女になるのだけれども」
「…………」
「ワイズリエル、クーラ、ミカンがヤった回数に並ぶまで、ワタシはあなたを放さないのだけれども」
「……そっ、それは分かったけど。それはとても魅力的な話だけど。そしてキミはとても魅力的な女の子なのだけど」
と俺は懸命に理性を保ちながらも言った。
そして。
「エッチした後、俺を食い殺したりしない?」
と、あえぐようにして、この致命的な疑問を口にした。
するとマリは、
「するかっ」
と、キレの良いツッコミをキメた。
しかし、俺はそれに反発して言った。
「だって、キミのお母さんは、そういう習性を持っていたじゃないか」
「あっ」
マリはきょとんとした顔をした。
小首をかしげた。
しばらくすると彼女は、
「そういえば、そうね」
と言った。
すっと真顔になって、
「もしワタシにもその習性があるとしたら困ったわ」
と言った。
そして、こうつけ加えた。
「あなたと一度しかセックスできないわ」
その深刻な顔を見た俺は。
俺は今まで、マリのことを高く評価しすぎていたのかもしれないな――と思った。
身もふたもない言い方をすれば。
この女はバカなんじゃないか――と、思った。
そう思って、彼女の評価を大きく下方修正した。
「って、なによ!」
「なによじゃないよ。ちゃんと自分のことは分かっておけよ」
「うるさいわね! 自分のことなんか分からないものの代表格じゃないのよ。もし簡単に分かったら、自分探しに出るアホウがここまで世にあふれないわよ!!」
「いや、そう大きく話を展開するなよ、わざと誤解して拡大するなよ、話を拡張するなよ、めんどくさいっ」
俺がたたみ掛けるとマリは、
やるわねっ――と、かるく舌打ちしてからこう言った。
「だって男性経験がないから分からないのよ!」
この言葉に俺がひるむと、マリは、にたあっと根性の悪い笑みをした。
そして、
「処女だから分からないのよ!」
と、念を押すように別の言いかたをした。
俺はコレほどまでに偉そうに、そして誇らしげに処女だと宣言する女は初めて見た。
思わず息を漏らすように失笑すると、マリは、
「……なによ」
と、くやしそうに言った。
そしてしばらくの後。
さて、気持ちを切り替えるわよ――って感じで息を吐いた。
俺を見て言った。
「飲み物でも飲まない?」
そう言ってからマリは立ち上がった。
前屈みになり、座卓に置きっぱなしになっていたコップに手を伸ばした。
「手伝うよ」
と、俺は言って立ち上がった。
持っていくよ――と、コップに手を伸ばした。
すると、そのとき手がふれた。
指が、マリの冷たくて繊細な指先にふれたのだ。
「ごめんっ」
顔をあげると目が逢った。
すぐそこにマリの整った顔があった。
マリは、その瞳を大きく見開きうるませていた。
俺とマリは言葉を詰まらせた。
それは。
数分にも数時間にも感じられる空白だった。そして。
あとは、俺たちが夢みていた通りのなりゆきになった。……――。
――……すべてが終わっても、俺は食われずにいた。
俺はマリの髪をなでながら、天井をぼんやり見ていた。
無限にも感じるしあわせな時間に、満ち足りた笑みをしていた。
そしてその最中に、俺は記憶を――取り戻した。
「って、あ!」
思わず声をあげた俺を、マリは甘えた瞳で見上げた。
俺はマリは、目と目を逢わせた。
俺はこの状況を説明しようとしたが、しかし言葉を詰まらせた。
どんどん記憶がよみがえってきたからだ。
俺は、まるでダウンロードしたソフトをインストールしているような状態、そんなときのパソコンのように、しばし記憶の追加・変更にとらわれた。
そんな俺を見て、マリは眉をしぼった。
親指の爪をかんでいた。
目まぐるしく状況を分析し、理解しているように見えた。
そして。
俺の記憶はよみがえり――すべての記憶がよみがえったわけではないので、仮に「よみがえり尽くす」と表現するけれど――記憶がよみがえり尽くした俺は、まるで悪夢から覚めたようにガバッと上体を起こした。
「あ――――ッ!」
と叫んだ。
それを見たマリは、ニヤリと笑った。
俺が頷くと、マリは不敵な笑みで頷いた。
そして、
「おかえりなさい」
と言った。
俺は泣きそうな顔をして、マリの両肩をつかんだ。
そして真っ直ぐに彼女の目を見て、みっともない声でこう言った。
「キミは大人気ドラマCDのヒロイン、俺の『嫁』のひとり……マリだ」
力いっぱい彼女を抱きしめた。
今まで忘れていたことを心から謝った。
するとマリは、母性に満ちたため息をついた。
俺の首に腕をからみつかせた。
そして。
全身全霊を浴びせるようにして俺たちは愛を確かめあったのだった。――
――・――・――・――・――・――・――
■神となって知り得た事実■
俺が前世の記憶を取り戻した。
……といっても、それはマリやワイズリエルたち『嫁』に関する記憶だけである。この取り戻した記憶のその範囲については、後ほど詳しく調べる必要があるだろう。




