26日目。魔女の棲む家
土がにおう。草がにおう。樹がにおう。
そして、雲までがにおう。しかし、人間のにおいはまったくしない。
アダマヒアも黒い霧のあたりまで入ると、人外境であった。
今日。俺はマリに会うために、地面のえぐれたあたりから黒い霧に入った。
霧に入ると『神の力』は使えないが、しかし、俺はスーツにマントといった簡素な礼装でいた。
というのも、俺は今までマリを見てきて、話の分からない女じゃないな――と確信していたからだ。
たしかにマリは、ミカンたちの言う通り、頭のおかしなことをしている。
しかし、一応、筋の通ったことをしているし、頭がおかしいようにみえて実は論理的なのである。
その証拠に、あの女が今まで起こした騒動の結果だけを並べてみれば、それは意外なまでに必要最小限で、しかも正当性に満ちているのだ。
まあそのプロセスに難アリなのだけど。
人を小バカにするような過程を経た結果なのだけれども。……。
それはともかくとして。
俺はマリのことを、理知的な女だと断定した。
さらには仁義や礼節にうるさい女だと睨んだ。
だからこういったタイプには、トップである俺が独りで会いに行くのが一番だと思った。いや、そうしない限り会えないんじゃないかと思ったのだ。
で、俺は今、マリに会うため霧のなかを歩いているのである。
霧に入ってしばらくすると、緑の人型モンスターが現れた。
歌劇で道化師に化けていた、あのゴブリンみたいなモンスターだ。
俺が足を止めると、その小さなゴブリンは、
「おいこら、おまえ! マリさまのおまえ!」
と言って、森のほうを指さした。
そして跳びはねながら言った。
「マリさまのとこ連れていく! マリさま、おまえ会う!」
「……あ、そうですか、ゴブリンさん」
俺が首をかしげながらも頷くと、ゴブリンは小躍りした。
ぴょこぴょこはねながら、騒々しく俺を森へと誘った。
そして不機嫌な顔で訂正を入れた。
「デュエンデ! デュエンデはゴブリンじゃない、デュエンデ!!」
「……あ、それは失礼しました」
俺が頭をかくとゴブリン……デュエンデは、うっしっしと喜んだ。
そして、張り切って俺をマリのところに導いた。
マリの家は黒き沼の北東、森が沼にかぶさったところにひっそりあった。
というより、それはただの空き地だった。
後で知ったことなのだが、マリの家はカメレオン型モンスターの皮でおおわれていた。だから空き地に見えたのだ。
で。
このときの俺は、デュエンデが虚空をノックするのを好奇心に満ちた目で見ていた。
しばらくするとデュエンデは、うやうやしく頭を下げて、ドアノブをひくように何もないところを引っぱった。
すると虚空に突然、穴が開いた。
というより四角い穴ができて、そこからは部屋が見えていた。
その部屋は、黒と白のモノトーンで統一されていた。
しかも近代的で、まるで独り暮らしの学生が住んでいそうな――そんな21世紀な部屋だった。
「これはっ」
俺が呟くとデュエンデは、
「マリさまのお住まい!」
と言った。
そして恐れ怯え崇めるように頭を下げて、森に消えていった。
……。
ひとり取り残された俺は、とりあえず中に入ることにした。
マントを脱いでから、おじゃましますと言う。
中に入って、ドアを閉める。
そして振りかえると、そこにはマリシオソ。
「ようこそ、童貞神」
マリの家で俺を待っていたのは、この、人を超見下した挨拶と、あごを上げて肩越しに見つめる根性の悪い笑みだった。
オマケに、マリはベッドに腰掛けると、
「適当に座りなさいよ」
と言って、足を、思いっきり俺に向かって投げ出した。
そして、大げさに脚を組んで、
「座る場所で、あなたをプロファイリングするわ」
と、補足説明するように言ったのだ。
「………………」
痛い人間と関わってしまった。
初対面かどうかはともかくとして、それが俺のマリに対する第一印象だった。
「なによ、はやく座りなさいよ」
と言ってマリは、じっとりとした目で俺を視た。
俺は深い思慮もなにもなく、ソファーに座った。
それは、ベッドとは座卓を挟んだところにあった。
「ふうん」
と、マリは言って俺を視たままでいた。
このコゴロウとモンスターの娘……マリは、華奢で白く小さくて、いかにも文学少女って感じの端整な顔をしていた。
それはまるで氷の華のようだった。
マリは黙っていると怒っているように見えた。
それは彼女の顔が整いすぎているからで、実はクーラもそうだった。
ただ、マリとクーラは、どちらも凄みのある美少女ではあるけれど。
クーラが陽と正義に属しているの対して、このマリは明らかに陰と悪に属していた。
そして。
だからこそ。
マリは妖しく色気を放っていた。
で、俺がそんなマリにしばし見惚れていると、
「ふうん、ふうん」
と、マリは言ってわざとらしく脚を組みなおした。
俺は慌てて菓子折を差し出した。
「あの、これ手作りのクッキーなんだけど。口にあうか分からないけれど、初めて作ったから、ちょっと自信がないけれど」
と、俺は包みを解いた。
するとマリは、
「あなたが作ったの」
と言って、目を大きく見開いた。
顔を真っ赤にした。
そして照れくさそうに顔を背けて、じっとりと、目だけで俺を見た。
にたあっと、喜びがにじみ出したような、そんな顔をした。
俺は今がチャンスだと思い、話を切り出した。
「とりあえず、キミがどこまで俺のことを知っているかは知らないけれど」
と。
しかし俺がここまで言うと、
「全部知っているわ」
と、マリは鋭く割りこんだ。
……なるほどこの女は鋭敏だ。
気持ちの切り替えが素早く、頭の回転がはやい。
もっともワイズリエルは、
悪賢い――という言葉で、マリを言い表していたけれど。
「知ってるって、日記の後のことや、それにコゴロウが調べたこと以外にも?」
と、俺が訊く。
「全部よ」
と、マリが短く答える。
「じゃあ、俺が今も記憶をなくしたままでいることも知っているんだね」
と、俺が訊いたら、
「ええ」
と、マリは、ぼそりと言って、それから怒ったような、照れたような、嬉しがっているような、よく分からない笑顔をこぼした。
「じゃあ、キミはその……前世の記憶というのを思い出しているのかい?」
と、俺は言葉を選びながら訊いた。
するとマリは、大げさにため息をついた。
そして、
「さあ?」
と、根性の悪い笑みで優越感に満ちて言った。
俺が眉をひそめると、マリは、
「思い出しているのと思い出していないの、どっちがオイシイか今考えているところよ」
と言って、くるりと背中を向けた。
そして、首をねじむけ肩越しに俺を見ると、
「どっちのほうがキャラが立って、しかも登場回数が増えるかを、今考えているところだわ」
と、念を押すようにもう一度言った。
俺は、この若干メタくさい発言にうなだれた。
するとマリは嬉しそうに、まるで鬼の首を取ったかのように満ち足りた笑みをして、しかも思いっきり俺を見下して、ネチネチと口撃をしはじめた。
「おいこら、カミサマ。カミサマというバカな名前の男。バカな男。あなたは、そういった着眼点を持ったワタシ、この賢くって可愛くって大人気の美少女であるところのワタシに感謝すべきだわ」
「はァ」
「ワタシは、あなたの日記を読んでいる、あなたを調べ上げている。だからワタシは、あなたの『嫁』のフリができる。前世を思い出したとウソをつくことができるのよ。そう。ワタシはそういう立場にある。あなたと関係を持ちたいがために、ウソをついて『嫁』のフリをしているという――痛い設定の女になれるのよ。そして、そうしても構わないわよと、ワタシは健気に申し出ているのよ」
と、マリは健気さがまったく感じられない不敵な笑みで言った。
「って、それって」
「あなた持て余しているじゃない。前世がどうとかという設定を、あなた持て余しているじゃないのよ」
「いや、二回言わなくても」
「あはは、うるさいわね。まあ、それはともかくとして。ワタシはその設定を吹っ飛ばしてやろうと言っているのよ。ええ、そうよ。本当なら、あのワイズリエル。ワイズリエルというバカな名前の女。セックスバカのあの女が気を効かせて『全部私の妄言でした』と言えば、済むことなのだけれども。しかし、あのセックスバカが、そうせずに今まできたということは、きっと妄言にしないほうが、たくさんセックスできると計算してのことだと思うのだけれども」
と、ここまでマリが言ったところで、俺はまるでコントのように後頭部を引っぱたいた。
「なにすんのよッ!」
「ごめん、でも」
「なによ!」
「いや、ミカンから『マリの話は冗長で、同じことを別の言いまわしで何度も繰り返す意味のないものだから』」
「ヒートアップしたら引っぱたけと言われたのねッ!」
「いやっ」
実は、無理やり押し倒せ――と、言われた。
抱けばマリはそれで落ち着くのだと、俺はミカンたち美少女三人組に言われたのだ。
ちなみに、マリは黙っていれば凄みのある美人だけど、しゃべるととても残念な感じになるのだとも、彼女たちは言っていた。……。
「なによ。まあでも、このことは後まわしだわ」
「というか、おまえ思い出してるだろ」
「え? 今なんて?」
「いやそれ21世紀のネタだから。日記にも書いてないから」
「うっ、うるさいわね」
と、マリはうろたえた。
しかしその顔は嬉しそうだった。
ツッコミを入れられたことにマリは喜んでいた。
「それはともかく。さておき。どうでもよいとして、と。おいこら、カミサマ」
「ん?」
「あなた、まるで緊張感がないわよ」
「はァ、すんません」
「ここは黒い霧のなかで、ワタシはモンスターを従えているのよ。なにを呑気にしているのよ。それにあなた、童貞のクセに女の子の部屋に入っておいて何をくつろいでいるのよ。もっとオドオドしなさいよ」
「いや、俺は別に」
童貞じゃないよ――と言おうとしたら、マリがさえぎるようにこう言った。
「ああ、そうそう。そういえばワタシ、初めて男の子を部屋に入れてしまったわ。この、まだ誰にも視られたことのない、誰も挿れたことのない、汚されたことのないワタシの部屋が、この処女の恥ずかしい秘処が、ああッ! あなたに今、現在進行形でジューリンされているわァ!!」
「はァ!?」
「もうお嫁にいけないわ。お嫁にいけなくなってしまったわァ」
マリはものすごく嬉しそうに言った。
しかし、その恍惚の笑みを見て俺は、
キミはこのまえ緑のオアシスで見せつけるように自慰してたじゃないか。
お嫁にいけないとか、なにを今さら言っているんだ――と、密かに心中でツッコミを入れるのだった。
「って、カミサマ。いつまでも脱線し続けるわけにはいかないから、話をもとに戻すけど――。さ、て、と、まずは独りで来たことを褒めてあげるわよ。そして、今まであなたがやってきた行いに、ワタシは敬意を表するわ。そう。協力するにやぶさかではないと、ワタシは思いつつあるのよ。まあでも、もしかしたら、このまま敵対し続けたほうがオイシイんじゃないか――とも思うのだけれども」
「で?」
「はい?」
「で、結局、キミは何が言いたいんだよマリくん。プリンセサ・マリシオソ・デ・モレスタル・ファスティディアルというバカみたいに長い名前のキミ」
「なによっ!」
「条件があるんだろう?」
「はあっ!?」
「言いなよ」
と、俺は若干苛立ちながら、ため息をついた。
そして、ぐっと前傾し、マリを真正面から見た。
するとマリはかるく動揺して、あごをひいた。
しかしすぐに、にたあっと笑ってこう言った。
「あなたの童貞が欲しいわ。それさえもらえれば、ワタシは喜んであなたの従順なメスブタ奴隷になるわよ。ええ、メスブタビッチな肉奴隷に悦んでなるわよッ」
――・――・――・――・――・――・――
■神となって2ヶ月と26日目の創作活動■
マリと会談した。
……マリの話は冗長で、聞き終えると何かをなしとげたような気になるのだけれども。しかしそう思えるだけで、話がまったく進んでいないのが、どうにも困りものなのだった。




