22日目。【創世録】フィーア
歌劇の後半部は、フィーアの独唱だった。
俺はそのステージに立ち、リュートを弾いていた。
演奏に問題はなかったけれど、クーラが寄り添ってくれた。
そして鮮やかな衣装の道化師が、からかうようにまとわりついては指示をしてくれた。
この鮮やかな道化師は、王国お抱えの道化師である。
彼は王からの指示を受け、それを俺たちに伝えるためにステージに立っている。
そうやって王の意思を伝え、歌劇をコントロールしているのだ。
俺はその政治的な配慮、用意周到な手練手管には、特に意見を持たなかったが、しかし、彼の存在には大いに心が休まった。
「ここから曲が盛り上がります。かき鳴らしてください」
などと彼は、挙動不審気味な俺に、さりげなく助言をくれたのだ。
「このメロディを、あと四回繰り返したら曲は終わります」
などと言って道化師は、おどけて走りまわる。
それを観て観客は手を叩いて喜んだけど、実のところ、道化師は油断なくフィーアを守るように走っていたし、走った先で指示を受けていた。
さて、そのフィーアはというと――。
彼女はステージの中央で、元気いっぱいに歌っていた。
ぱっちりとした、あどけなさを残した大きな瞳。
やっぱりあどけなさを残している、やや丸みをおびた頬。
たぬきっぽい愛嬌のある顔。
トレードマークは頭のリボンで、今日は、襟の広いピンクのシャツ、ざらついたブルーのスカートに、麻のごわごわとしたジャケットを着ていた。
全体的にくたっとして、デザインもなんだか田舎くさい。
どことなく激安のファッション・ショップ『しまぬら』を髣髴とさせるのだが、そこは大人気の吟遊詩人、太陽のような笑顔がチープさをまるで感じさせなかった。
「みんなァ! ありがとう!!」
曲が終わると、フィーアはキラキラと瞳を輝かせ、太陽のような笑みをした。
観客は熱狂して拍手を送った。
いつまでも終わらない声援に、フィーアは深く頭を下げた。
と、そのとき。
王国の道化師が、俺の袖を引いた。
そして囁いた。
「いよいよメインイベント。『ドライ王が聞きたくないこと』をテーマにした曲です」
「それはっ」
「出生にまつわることです。ですが、その内容について、あなたは気にしなくともよい。ただドライ王のつもりで尊大に構え、楽器を演奏していてください」
そう言って道化師は、ドライ王そっくりの帽子を俺に持たせた。
俺はそれを被り、ステージわきから慌ててマントを持ってきた。
マントさえあれば、人前でも手品っぽく、いろんな物を創り出すことができる。
「みなさん。今日は、こんなにたくさん集まってくれてありがとう。いっぱい、わたしたちの歌と踊りを楽しんでくれてありがとう」
そう言ってフィーアは、微笑み、大きく息を吸った。
そして言った。
「これから歌う曲は、わたっ、ある女の子のお母さんのお話ですッ! 一生懸命歌うから、そこのリュート奏者さんもちゃんと楽しむんですよッ!」
フィーアは、ドライ王のコスプレをした俺に、イタズラな笑みをした。
観客はドッと笑った。
苦笑いして顔を上げると、ドライ王と目があった。
ドライ王は、余裕の笑みで俺たちを観ていた。
彼はこの歌劇を笑って観ることによって、王の威厳を示そうとしているのだ。
と。
そんな政治的な思惑はさておき。
さっそく曲がはじまった。
俺は慌ててリュートを演奏した。
すると、フィーアは歌いはじめた。
♪あの日、あの朝、夜明け前に、あなたは出て行った
家にあった、ありったけのお金と、水を引ったくり、あなたはこう言った
橋を越えて南に行けば、旧アダマヒアの遺跡がある
そこには王族議員の隠し財宝が埋まっている
もちろん様々な者が目を光らせているけれど、きっと上手くやってみせる
だから待っててくれ、きっと上手くやってみせる
だけど、あなたは帰ってこなかった
ううん、騙されたのは分かってる
分かってたけど、わたしは待っていた
だから、帰って来て。また一緒に、やり直しましょう
と、ここまで歌いきったフィーアに会場はどよめいた。
そこにクーラたちバックコーラスが、アドリブで歌う。
♪you go Back, Do It Again. Back, Do It Again!
そしてフィーアがこみ上げる想いを抑えながら、続けて歌う。
♪あの日から、あの朝から、あなたが出て行ってから
わたしたちはずっと待っていた
そう。もうわたし独りではなかったの
だから生活は苦しかったけど、あなたの帰りを待っていた
太陽が昇り、アダマヒアがいっそう豊かになるなかで
太陽の微笑みに王国がますます繁栄していくなかで
きっと上手くやってみせると言った、あなたの笑顔を思い出しながら
わたしたちはずっと待っていた
だけど、あなたは帰ってこなかった
ううん、騙されたのは分かってる
分かってたけど、わたしたちは待っていた
だから、帰って来て。また一緒にっ
と、ここでフィーアが突然、のどを詰まらせた。
その大きな瞳いっぱいに涙を浮かべて、フィーアは立ちすくんだのだ。
フィーアは感極まってしまった。
遠く観客席の後方を見つめ、口に手を当て、彼女は涙を流しはじめた。
さすがに座り込みはしなかったけど、しかし、とても歌える状況ではなかった。
「これはっ」
騒然とする会場。戸惑う道化師たち、アダマヒアの王族たち。
そして懸命に動揺を隠している太陽王ドライ。
そんななか、若干、空気の読めないところのあるクーラが、コーラスで場をつなぐ。
♪you go Back, Dad! Do It Again! Dad, Do It Again!
しかし、このコーラスに観客は、真っ青になった。
英語とはいえ、「父親に帰ってきて欲しい」と、明言していたからだ。
クーラが美声なだけに、ドヤ顔で歌っているだけに、いっそう場は凍りついた。
そして、そういった致命的な状況下。
俺がしばし呆然としていると――。
「おいこら、おまえっ! マリさまのおまえっ!」
と、緑の道化師が唐突に袖を引っぱった。
「あっ!?」
俺は思わず身構えた。
この道化師は、先ほどまでの王国の使いではない。
化粧と変装をしていたけれど、緑の道化師は明らかにモンスターだった。
「おいこら、おまえっ!」
そう言って緑の道化師は、ステージわきを指さした。
するとそこには、プリンセサ・マリシオソ。
漆黒のドレスのマリが、にたあっと根性の悪い笑みで俺を視ていた。
「あいつっ」
飛び出そうとする俺に、緑の道化師は抱きついた。
そのことで俺たちは、勢いよくステージ中央に倒れこんだ。
それと同時に、オルガンがクラシック・ロックっぽいフレーズを奏でた。
そのファンタジー世界に似つかわしくない曲を弾いているのは、やはり緑の道化師……モンスターだった。
「あの野郎っ」
俺は慌てて立ち上がろうとした。
すると、緑の道化師が抱きついたまま言った。
「マリさまが助けてやろうと言っている」
「はァ!?」
眉をひそめて顔を上げると、マリは不気味に微笑んだ。
そしてドレスをはためかせ、じわりと景色ににじんで消えた。
「………………」
俺は立ち上がり、リュートを抱いたまま周囲を眺めまわした。
すぐ近くでは、フィーアが立ち尽くしていた。
戸惑いながらも救いを求めるように、俺を視ていた。
フィーアだけでなくクーラも、歌劇のメンバーも、そして観客も俺を視ていた。
そしてハードな――あの聞きなれたクラシック・ロックを、モンスターが演奏していた。
「って、この曲!?」
俺は驚きの声をあげた。
そしてクーラを視た。
するとクーラは動揺しながらも、やがて笑顔で頷いた。
歌いながら俺たちのところにやってきた。
俺はこの聞き覚えのある曲――大人気アニメのエンディングだというこの曲――に合わせて、リュートを奏でた。
コード進行はバッハ、ギターソロはモーツァルトで、明らかにアダマヒアに相応しくなかった。
だから観客は、ぽっかり口を空けたままで聴いていた。
太陽王ドライやその側近も、明らかに困惑していた。
そんななか、俺はモンスターとともに演奏を続けた。
そして、この曲を聴いたフィーアは、
「カミサマくん……」
と言って、美しい瞳いっぱいに、また涙を浮かべた。
その涙は先ほどとはまるで違って、驚きと喜びに満ちたものだった。
フィーアは大きく瞳を見開いたまま、しばらく俺を視ていた。
やがて恥ずかしそうに俯くと、涙をふいた。
「カミサマくん……。クーラも一緒なんだね」
そう言って顔を上げたフィーアは、涙でぐちゃぐちゃにも関わらず、まるで太陽のような笑顔だった。
クーラがその手をとると、フィーアは甘えて、クーラの肩に頭をのせた。
クーラは母性に満ちた笑みをした。
フィーアを抱きしめ、涙を懸命に抑えて歌った。
俺は穏やかに微笑み、フライングVリュートでギターソロを奏でた。
そして。
この唐突な涙と、理解しがたい近代的な楽曲に、観客が呆然とするなか。
アニメのエンディング曲は、ステージだけで盛り上がり、ついに終了した。
で。
永遠にも思える静寂が場を支配した。
「………………」
沈黙に堪えきれなくなった俺は、つい観客に向かって、
「すこし先取りしすぎだったみたいだけどっ、キミらの子供にはウケるっ」
と、バック・トゥ・ザ・フューチャーのセリフを丸パクリして言った。
すると、ドッと笑いが起こった。
俺の偉そうなしゃべりかたが、どうやらドライ王に似ていたようで、それで爆笑したようだった。
ドライ王も苦笑いで、しかし、満更でもないといった感じで拍手をしていた。
――・――・――・――・――・――・――
■神となって2ヶ月と22日目の創作活動■
フィーアと再会を果たした。
……といっても、俺はこの娘のことを覚えていないのだ。こんなときどんな顔をすれば好いのだろうと思いつつ、歌劇は次回も続くのだった。




