14日目。【創世録】バインとアイス、そしてセーラ
十四日目。
俺は沈痛な面持ちで『アダムの集落』を覗きこんだ。……――
『アダムの集落』の中心人物は、バイン・アイス・セーラの三兄妹。
その長男・バインは、アダムの墓前にひざまずいていた。
バインは告白を終えると、次にイブの墓前にひざまずき、最後に天を仰いで神(俺)に祈りをささげた。
これがバインの日課だった。
バインは、神である俺が恐縮してしまうほど、生真面目で敬虔な信徒だった。
しかも、誰にでも親切な好い男。
ひょっとしたらホモなんじゃないか――ってくらいマッチョな好青年だった。
といっても、バインはホモではない。
それをなぜ俺が知っているかというと、彼の祈りをこっそり聴いていたからだ。
バインが神(俺)や両親にひざまずいて語ることは、いつも同じだった。
それは集落の発展と、そしてセーラへの想いだった。
純朴な彼は、セーラに愛を語ることができず、それから逃れるように集落の発展に没頭していた。――
次男のアイスは、厨房で試食をしていた。
アイスは煮込んだ豚肉を口に含み、首をかしげ、そしてまた別の豚肉に手を伸ばした。
そうやって次々と食べていたのだが、その姿は試食というよりも、化学実験のように見えた。
それほどまでに理屈くさい光景だったし、アイスもまた科学者のような繊細な容姿だった。
しかも、すらりとした優しげな色男である。
「ん!? ……これは美味い」
アイスは感嘆をもらし、茹で豚をはき出した。
それをつまみ、しげしげと見つめている。
するとそこに、妹のセーラがやってきた。
「ん、セーラか?」
「兄さん……」
セーラは夢見るような顔をしていた。
両手を胸の前で合わせ、じいっとアイスを見ていた。
アイスは、いつまでもそのままでいるセーラに、肉を差しだした。
そして、無理やり食べさせてから訊いた。
「美味いか?」
するとセーラは呑みこみ、味わうようにもう一度つばを呑みこみ、そして言った。
「やわらかくて美味しい」
「ふふっ、それはスネ肉だよ」
「これがスネ肉!?」
「そう、いつも捨てているスネ肉。硬くて筋張ってとても食べられない、あの、スネ肉だよ」
「これが?」
セーラは口をぽかんとあけたままだった。
「これは塩などをすり込んだスネ肉を一週間寝かしたものだ。そこからさらに、特別に調合した溶液――塩水にニンニクなどを入れたもの――に3日漬けこんだのだ」
「それを茹でただけでこんなに美味しく……」
「ああ、これでもうスネ肉を捨てなくて済む」
「ええ」
「捨てるどころか価値が逆転する。みんなどの部位よりもスネ肉を欲しがるぞ」
「まあ……」
セーラは呆れたような喜んでいるような顔をした。
ぼんやり見つめたままのセーラに、アイスは訊いた。
「なぜ、ボクがこんな発明をしたか分かるかい?」
セーラは無言のまま首を振った。
すると、アイスはするどく言った。
「集落の発展のためだ」
セーラは大きくつばを呑みこんだ。
「なあ、セーラ。この地図を見てくれ」
「兄さんこれは?」
「バイン兄さんと一緒に作った地図だ。北を開拓するためだよ」
「なあ、セーラ。北の土地が痩せていると知ったとき、ボクも兄さんも開拓を諦めたよね。だけど、その先に塩鉱山があると分かったんだ。ボクは今、なにがなんでも開拓すべきだと思ってる」
「でも兄さん……」
「セーラも兄さんも乗り気じゃないことは知っている。それは無理な開拓によって食料や労働力が不足するからだろう? 村が疲弊することを、ふたりとも恐れているのだろう?」
「えっ、ええ。……それもあるけど、でも」
「でもッ! このスネ肉がすべてを解決してくれる。なぜなら、この調理法によって食料備蓄量が倍増したからだ!! そして塩鉱山を手にしたあかつきには、村は今まで以上に発展する。なぜなら、塩を自給自足できるようになるからだ!!! ボクは北を開拓するぞッ!!!!」
アイスは誇らしげに言った。
衝撃のため、しばし声もないセーラを笑顔で見て、アイスは続けた。
「なあ、セーラ。たしかに塩鉱山の採掘は大変だよ。ここからはとても通えないから、向こうに住むことになるし、多くの月日を費やしてしまう。それに痩せた土地での生活は、とても貧しいものとなる。この集落での生活からは想像もつかない厳しいものになるんだよ、でも」
「でも兄さんッ!」
セーラはさえぎるように叫び、そしてアイスに抱きついた。
「愛してる!!」
どんな理屈も通用させない一語であった。
アイスは絶句した。
「……セっ、セーラ」
「私は兄さんが好き。アイス兄さんが好きなの。一緒にこの村で暮らしたいの」
「それはっ、しかしそれは兄さんが」
「知ってる。村のみんなが、私と兄さんを結婚させようとしていることは知っている」
「ちっ、違うよセーラ。別に誰も強制してないよ。ただ、セーラと村の中心人物である兄さんが結婚すると、おさまりがいい――と、みんなそう思っているだけなんだよ」
「同じよ」
「………………」
「それに私は、みんなが言うような聖女ではないわ。ちゃんと血は通っているし恋だってするわ」
「………………」
「私だって人間なのよ」
「……じゃ、じゃあ、セーラは兄さんのことが嫌いなのかい?」
「好きよ」
「じゃあ……」
「バイン兄さんは好きよ。でも、私が結婚したいのはアイス兄さん」
アイスはそのうすく上品なくちびるを震わせただけで、しばらく声もなかった。
セーラは激情をこらえて、一心に言った。
「私はアイス兄さんが好き」
「……セーラ」
「兄さんは、セーラのこと嫌い?」
「………………」
「兄さん?」
「……好きだ」
「兄さん」
「愛してる」
「私も」
セーラは夢中でしがみついた。
アイスは荒々しく抱きしめた。
そしてそこに、バインがやってきた。
永遠にも感じる静寂が三人を包みこんだ。
そして翌日、バインは村を出た。
北を開拓するため、塩鉱山を採掘するためである。――
集落の北にかかる橋。
そこでセーラは、バインの背中に叫んだ。
「兄さん待って!」
バインは足を止めたが、しかし振り向かなかった。
「兄さん!」
「……必ず、塩鉱山を採掘してみせる。それまで、おまえたちと話すことはない。そう、神に誓ったのだ」
バインは天を仰ぎ、うめくように言った。
力いっぱい目をつぶり、歯を食いしばっていた。
そしてしばらくすると、
「結婚式に出ることはできないが、しかし、おまえたちを祝福している」
と言った。
そこに、アイスが駆けつけた。
そして叫んだ。
「バイン兄さん! 兄さんが誇り高いことは知っている。だから兄さんは独断した、そしてボクたちからのどのような援助も断った。それは良い、そのことにボクは意見をもたない。そんな兄さんがボクの憧れだったからだ!!」
「………………」
「兄さん! これはスネ肉だ! クズ肉の入った溶液だ!! これだけ引き留めているというのに、それでも独りで行くというのならこれを持っていけ!!! ゴミをくれてやる!!!!」
「………………」
バインは振りかえった。
しばらく見つめ、やがてアイスからスネ肉を受け取った。
そして、何も言わず北へと歩いていった。
セーラは呆然と立ちつくし、その姿を見守った。
そしてアイスはあえぐように言った。
「死ぬまで送り続けてやる。文句があるなら村に来い。……いつまでも、待っているから」
――・――・――・――・――・――・――
■神となって14日目の創作活動■
バイン・アイス・セーラの生涯を見届けた。
……後に集落の民は、このスネ肉に塩鉱山から取れる岩塩を使用したものを、特別にアイスバインと呼んだ。そう名付けることによって、祖先の兄弟愛と不屈の開拓魂を語り継ぎ、いつまでも誇りとしたのだ。