中世から近世へ
さて。その後のアダマヒアは、マリの言った通りになった。
つまり、王国は領土的野心を捨て、内政に注力した。
これには都市の数に比べ領主となる王侯貴族の数が少ないーーというのはたしかにあった。しかしその路線を決定付けたのは、公子暗殺事件だった。
「この事件でアダマヒアは萎縮してしまった」
俺がぼんやり呟くと、マリはこう言った。
「公子を暗殺したのは、国を捨てた魔法使い。そして殺された公子は、デモニオンヒルに黒死病をばらまいたドライツェン。このことだけでもショックなのに、場所が王城のなか、王国会議の開催される巨大建造物だった。ちなみに、この建物は王国で二番目に安全な場所よ」
「一番安全なのは、王の住む王宮か」
「その通り。で、暗殺現場から王宮までは、通常は馬車で移動するけれど、でも、歩いていける距離なのよ」
「ようするに、いつでも寝首をかけるぞと、国を捨てた魔法使いが脅しをかけたのか」
「あはは、脅しをかけることにメリットは見いだせないけれど、でも案外そういう子供じみた理由かもしれないわね」
「ということは、政治的な意味あいはないのか?」
「まったくないわ、むしろこれは王国にとって好都合よ。なぜなら王国は魔法使いと戦争をしたくないの。国力を無駄に消耗したくないのよ。だからこれは、アナスタチカ王妃が魔法使いの心理を遠隔操作して暗殺させたんじゃないかって、そう邪推したくなるくらい、王国にプラス材料よ」
「そっ、そうなんだ」
「公子は処分したい、国を捨てた魔法使いとはゆるく長期的な敵対関係を持ち続けたい、でも強行すると諸侯や国民の支持を失うことになるーーそう思ってる王国にとって、これは好都合な暗殺。一方、魔法使いは王国との交渉のカードを失い、完全に決裂するしかなくなった。どちらが得をしたのか明らかね」
と、マリは冗談まじりに言ったけど。
しかし、そんなことをやりかねない凄みがあの王妃にはある。
「まあ、魔法使い側としてみれば、私情からくる殺害、これは復讐ね。カミサマの大好きなヤクザものの世界、メンツとかオトシマエではないかしら? そっち方面には詳しくないから断言できないけれど、もしそうだとすると王国は実利を勝ち取り、魔法使いは心情的な勝利をおさめたことになる。両者ともに満足ね」
マリはひどく根性の悪い笑みでそう言った。
俺は苦笑いをして、それから言った。
「たしかにこれは復讐だ。そして復讐は合理的打算的には、おこなわれない。そう。メリット・デメリットを考慮して復讐相手は選ばないし、チャンスをうかがうことはあっても、最終的にやる・やらないを決定するのは理性ではない、感情によってだよ」
計算がはいると途端に気分の悪いものとなる。
いや、そもそも復讐に良い悪いなんてないと思うが、でも、少なくとも俺はそう思う。
そう考えると、復讐は恋愛によく似ている。
「ということは、アダマヒア王国が領土の安定化に専念することは既定路線だったのか?」
「その通り。まあ、こんなことを言うと当事者のみんなには悪いけど、魔法使いが国を捨てたことによって、アダマヒア王家の支配はいっそう安定し強固となるわよ」
「ん? それって……王位継承争いが起こらなくなったから?」
「ええ。アダマヒアは現在、ひとりの王女に四人の公子。というのも、五人の公子のうちひとりが女なの。彼女は男装がバレれば即座に王位継承権を失うわ」
「なるほど。で、その人数ならスムーズに王位が継承されると」
「されるわね。そしてアダマヒアは絶対王制を完全なものとし、新たな時代を迎えることになる」
「それは?」
俺が首をかしげると、マリは、くるりと椅子をまわして背を向けた。
そして、振り向いて肩越しに、
「中世が終わるのよ」
と言った。さらに、
「中世が終わり、アダマヒアは近世となるのよ」
と繰り返して、あごを上げて肩越しに見つめるシャフトのポーズをキメたのだ。
「えっ? それってまさか『剣と魔法のファンタジー世界』じゃなくなるってこと?」
「あはは、違うわよ」
「いやでも今、中世が終わるって言っただろ」
「だから違うと言ってるじゃない」
「ああン?」
「納得できない?」
「理解できない」
俺は即答した。するとマリは即座にこう言った。
「じゃあ、オサライ的な話からはじめるけれど——。まず、『剣と魔法のファンタジー世界』というのは、中世ヨーロッパ風の世界から教会の権力を弱めて、絶対王制にしたもの。そこに魔法とモンスターをミックスしたものよ」
「それは分かる」
ワイズリエルとともに学んで知っている。
「それで現在のアダマヒア王国だけど、これはだいたい西暦1300年くらいの文化レベルで、絶対王制の王が統治しているわ。この状態はカミサマの理想とする『剣と魔法のファンタジー世界』に近しいもの、まさに理想的な世界観となっている。そうよね?」
「ああ、その通りだ」
「で、ここからが問題なのだけれども。そもそも『絶対王制』というのは、中世のものではないのよ。ざっくり言うと17、18世紀。近世と呼ばれる時代の統治形態よ」
「うーん、たしか中世ヨーロッパっていうのは、500年〜1500年。ということは、6〜15世紀。で、『絶対王制』は17、18世紀だから……中世よりだいたい200年くらいあとの統治形態なのか」
「その通り。で、アダマヒア王国は現在、この『絶対王制』を追求しているわけだけれども。その過程で技術レベルが絶対王制に引っ張られるかたちでどんどん上がっているの」
「つまり、17、18世紀のテクノロジーに近づいてるわけか」
「ええ、王城なんか完全に17世紀よ」
そう言ってマリは、テレビにアダマヒアの王城を映し出した。
それはみごとな巨大庭園。まるでヴェルサイユ宮殿のようだった。
「ヴェルサイユ宮殿は1682年に建てられた『絶対王制』を象徴する建造物。それそっくりのこの王城を観て、ワタシは中世ヨーロッパの風景だとはとても思えないわ。それにこの建造物を構成するものは、どれも近世のテクノロジーなの、いくら中世ヨーロッパの資料をあたっても調べることは不可能よ」
「ああ、そういうこと」
「そういうこと。アダマヒアは文化や風俗風習は中世レベルだけど、テクノロジーは近世レベルとなりつつある。ようするに、これからのアダマヒア世界は、『近世ヨーロッパ風の世界から教会の権力を弱めて、鉄砲を取り除き、文化や風俗風習を中世レベルにしたもの。そこに魔法とモンスターをミックスしたもの』——という『剣と魔法のファンタジー世界』に変化するのよ」
マリは不敵な笑みでそう言った。
そして思い出したかのようにこうつけ加えた。
「ちなみに、この近世ヨーロッパ色の強い『剣と魔法のファンタジー世界』が、ドラクエよ」
俺は、具体的な作品名をあげるなよと苦笑いした。
それから訊いた。
「じゃあ、その転換期に俺たちができることや、気をつけることは?」
するとマリは困った顔をして、俺の胸に飛び込んできた。
それから上目遣いをして、甘えるようにこう言った。
「正直に言うとないわ。あのアナスタチカが全部やってしまうのよ。なにもせず彼女にまかせておくのがベストーーといった状況よ」
「うーん」
「あの王妃を不老不死にしたら、世の中全部うまくいくんじゃないかってくらい、あの女はパーフェクトよ」
「じゃあ、する? 彼女を不老不死にしちゃう?」
たぶんできると思うけど。
「あはは、ダメ、それは絶対ダメよ。だって不老不死なんて、そんな罰ゲームみたいな体質にしちゃったら、たぶん、あの王妃は烈火のように怒るわよ。そしてカミサマに敵対するわ。そう。あの女は、神を敵にまわして大暴れするに違いないわよ」
「いや、それは勘弁してほしい」
綺麗なお姉さまに責められるのは、個人的には割とOKなのだが、しかし、あの王妃だけはご遠慮願いたい。ものすごくひどい目に遭わされそうな気がする。
たとえば。
死なないよう治療を受けながら、激痛を24時間100年以上受け続けるとか。
精神が崩壊するギリギリの心理的ダメージをやはり100年以上受け続けるとか。
そういった感じのモラルを無視した非人道的なエグイやつ。ガチの拷問。生き地獄。
アナスタチカは絶世の美貌なだけに、そういったことを平然とやりそうに見えるのだ。
「じゃあ、アナスタチカが生きてるうちは、俺たちは観ているだけでOKかな?」
「ええ、たぶん死後100年くらいは大丈夫。そういった仕組みをあの女は作り上げるわよ」
「うーん、それは頼もしいけど、でもすこし寂しいな」
俺がそう言うと、マリは寂しげな笑みをした。
それから俺のほほをさすってこう言った。
「まるで出来のいい子供が、独り立ちしたときのようだわ。ねえ、カミサマ。もしよかったら、地上界のことはアナスタチカにまかせて、ワタシたちは今まで学んできたことをまとめない? 中世ヨーロッパの統治形態の移り変わりを、ざっくり学ばない?」
「ああ、いいね」
「では、フランスの歴史にそって学ぶのはどうかしら?」
「フランス?」
「ええ。アーサー王物語の舞台はイギリスだけど、でもイギリスの歴史はややこしいのよ。で、いわゆる『中世ヨーロッパ』のなかでシンプルなのがフランスなの。ヴェルサイユ宮殿もフランスだしね」
「なるほどフランス史かあ」
実は世界史は専攻していなかったのでまったく分からない。
いや、まさかこの歳になって。
というより、まさか神になって、世界史の勉強をするとは思わなかった。
今まで散々世界を創造しておきながら、今頃になってこんなことを言うのもどうかと思うのだけれども。……。
「まあいいや。じゃあさっそくフランスの歴史、統治形態の移り変わりを教えてよ」
「分かったわ。でもその前にワイズリエルを呼んでくるわね」
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■神となって知り得た事実■
『剣と魔法のファンタジー世界』は、中世ヨーロッパ+絶対王制。
絶対王制とは17、18世紀、近世の統治形態である。
……というわけで、次回からはいよいよラストスパート。中世ヨーロッパの総まとめだ。




