サキュバスとインキュバス、リリスとリリム
俺はひとり黙々と地下迷宮を創っていた。
先日学んだ城とベルクフリートの知識を応用してである。
「さてと、だいたいのところはできたかな」
俺は満ち足りた笑みで、ソファーに沈み込んだ。
そしてテレビに映る地下迷宮を眺めながら、ワインを飲みはじめた。
あとはモンスターを配置すればOKかな――などと呟きながら、ひとりニヤニヤしながら飲んでいたのである。
と。
そこに、ワイズリエルとヨウジョラエルがやってきた。
というより飛びこんできた。
「ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆」
ワイズリエルは俺に抱きつき、何度も何度も噛みつくようにキスをした。
「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃんお!」
ヨウジョラエルは無垢な笑みで思いっきり首筋に吸いついた。
ちゅうちゅうと熱心に吸ってきた。
俺は、しばらくそのままモミクチャにされていた。
ヨウジョラエルは、やがて落ち着きを取り戻すと、俺の指を握りしめたまま、ちょこんと横に座った。ワイズリエルは、すこし照れた感じで上目遣いで俺を見ると、するりと太ももを撫でて、それから横に座った。
クスクス笑いながら、テレビに映る地下迷宮に目をやった。
俺が飲み物を勧めると、ワイズリエルはそれを飲みながらこう言った。
「地下迷宮が完成したのですねッ☆」
「うん。あとはモンスターを配置すれば、しばらく時間を稼げると思うよ」
「さすがですご主人さまッ☆ モンスターの種類は決めましたか?」
「いや、それが全然。ワイズリエルに相談しようと思っていたところだよ」
「でしたらッ☆」
と言って、ワイズリエルは俺の胸に顔をうずめた。
それから顔をあげ、俺のことをうかがうような瞳で見た。
そして。
絶対にコレにして欲しいのだけど――といった、そんな瞳で。
「夢魔は、とても中世ヨーロッパらしいモンスターですよッ☆」
と言った。
俺は失笑したのち、父性に満ちた目で頷いた。
するとワイズリエルは、本当に嬉しそうに両手を胸の前で合わせた。
「ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆ ご主人さまッ☆」
ワイズリエルは俺に抱きつき、噛みつくようにキスをした。
吸いつくようにキスをした。
舌をも滑り込ませ、全身を投げ出すようにして抱きついてきた。
「ちょっと落ち着こう」
なぜ、ワイズリエルがここまで喜ぶかというと、それは夢魔が、彼女のお気に入りだからだ。ヨウジョラエルとともに『サキュバスごっこ』をするくらい、彼女は夢魔が好きなのだ。
「それじゃあ、さっそく創ろうか」
俺はそう言ってテレビを指さそうとした。
が。このとき俺は夢魔のことをよく分かっていないことに、ようやく気がついた。ワイズリエルは、俺のそんな顔を見て満面の笑みをした。
もたれかかってきた。
そして嬉しそうに俺の顔を間近で見つめ、それから説明をはじめた。
「夢魔は、夢のなかに現れて性交する――キリスト教の悪魔。淫魔ともいいますッ☆」
「人を堕落させる悪魔で、眠っている人間に害をなすんだっけ?」
「その通りですッ☆ それでその夢魔ですが、以下の2つが有名ですッ☆」
■――・――・――・――・――
夢魔あるいは淫魔
サキュバス :女性の夢魔で、男性と交わって精子を集める
インキュバス:男性の夢魔で、女性を襲い子供を生ませる
■――・――・――・――・――
「この2つは同一の存在だとする説もありますッ☆ すなわち、サキュバスとなって精子を集め、インキュバスに変身してその精子で女を妊娠させる――という説ですッ☆」
「ああ、それはなんか聞いたことがある」
「ちなみに、スペイン語では『スクボ』と『インクボ』といいますッ☆ 名前のもとになったのはラテン語で、下に寝る (succubo)と、のしかかる (incubo)ですッ☆」
「下に寝るサキュバス、のしかかるインキュバス」
「とてもキリスト教的な性表現ですねッ☆」
「たしかに」
「サキュバスとインキュバスは、基本的には眠っている人間を襲いますッ☆ もし、目を覚ましてしまった場合は、燃えるような赤い目で見つめ、体の自由を奪いますッ☆」
「おっかないな」
「この攻撃を防ぐためには、お守りを枕元に置いておけば良いとされていますッ☆ ちなみに、夢魔の子供とされる人物がいますッ☆ アレキサンダー大王や、『アーサー王物語』の魔法使いマーリンなどですッ☆」
「おっ、有名人だ」
というより、偉大な功績を残したとされる人物だ。
実在・非実在は別として。……。
「この『夢魔との交接から生まれた子』というのは、中世ヨーロッパにおいて多く見られましたッ☆ というのも、キリスト教が結婚と離婚、女性の貞節に厳しかったからですッ☆」
「なるほど、諸々の事情を『夢魔のせい』にしてしまうわけだ」
「その通りですッ☆ ちなみに夢魔の子は、出生後すぐに神の洗礼を受ければ魔に侵されることもなく、特別な能力を持つとされましたッ☆」
「なにしろアレキサンダー大王やマーリンだもんな」
「はいッ☆ この時代、キリスト教の結婚観に一番苦しめられていたのは世俗王権、すなわち王侯貴族だといえますッ☆ 継承者を生むために必死だった彼らは『夢魔のせい』とせざるを得ない諸々の事情を抱えていたに違いありませんッ☆」
「そしてそんな者たちのなかで、偉業をなす者もあらわれた」
アレキサンダー大王やマーリンのような、まるで特殊な能力を持っているかのような――そんな突出した人物もなかにはいたのだろう。
「さらに言うと、夢魔のルーツはリリスの娘・女悪魔リリムです。超常的なパワーの根拠としては、これ以上ない経歴の持ち主ですッ☆」
「リリスとリリム?」
俺が首をかしげると、ワイズリエルは嬉しそうに説明した。
「リリスは、人類の始祖アダムの最初の妻とされていますッ☆ そして、アダムとリリスとの間に生まれたのがリリム。男性を誘惑する夢魔なのですッ☆」
「えっ? アダムの妻ってイブじゃないの?」
「いろいろと説はありますが――ッ☆ アダムが肋骨からイブを創るまえ、リリスは彼の妻だったとされていますッ☆ そしてリリスは、ユダヤの伝承においては男児を害する女の悪霊、夜の妖怪ですッ☆」
「ユダヤ教?」
「はいッ☆ キリスト教とユダヤ教、そしてイスラム教。この3つの宗教は、同じ神を信仰する姉妹宗教ですッ☆」
■――・――・――・――・――
3つの宗教の教典
ユダヤ教 :旧約聖書
キリスト教:旧約聖書+新約聖書
イスラム教:旧約聖書+コーラン
■――・――・――・――・――
「この3つの宗教では、旧約聖書が共通となってますッ☆ ちなみに旧約・新約と聖書をふたつに分けるのはキリスト教の考えかたですッ☆」
「ああ、だから」
「はいッ☆ リリスは旧約聖書に登場しますから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の『夜の妖怪』なのですッ☆」
「なるほどね」
「このリリスを、アダムの最初の妻とする伝説が誕生したのは、中世ですッ☆」
「それでアダムとリリスの交わりから悪霊が生まれたと」
「その通りですッ☆ そして、そのリリスの子供がリリムですッ☆ ちなみにリリスは、アダムと別れてからも無数の悪霊を生み出したとされましたッ☆」
「ひどい言われようだな」
「悪霊、すなわち神の敵対者ですからねッ☆ さらにそこから、キリスト教徒がこのリリムにインスパイアされて、新たな悪魔を作り出したのですッ☆」
「それがサキュバス?」
「はいッ☆ キリスト教徒はこの新たな悪魔を『地獄の娼婦』、後に『スクブス (サキュバス)』と名付けましたッ☆」
「アダムの妻リリス→その娘リリム→そしてサキュバス、これがルーツか」
「さすがです、ご主人さまッ☆ ちなみに、リリムはリリスの化身とみなされていましたッ☆ だから夢精をするたびに、敬虔なキリスト教徒は『リリスが笑った』と言いましたッ☆」
「面白い表現だな」
「ほかにも、男児が睡眠中に笑ったら『リリスが愛撫している』と言いましたッ☆ さらには、リリスに捕まるといけないから『成人男性と男の赤ん坊は家にひとりにしておくべきではない』と言う者もいましたッ☆」
「ははは」
俺は時代背景や歴史的限界を考えもせずに、つい笑ってしまった。
が、ワイズリエルはそんな俺の気分、悪気がないことを察してくれた。
穏やかな笑みをして、それから嬉しそうに夢魔について話し続けた。
ヨウジョラエルは、いつの間にか眠っていた。
俺の指をにぎり、膝まくらでスヤスヤとお昼寝をしていた。――
「よし、じゃあさっそく創ろう! って、ところでワイズリエル。サキュバスやインキュバスってどんな姿なの?」
「攻撃対象の『理想の異性』ですッ☆ 夢魔は人間を襲うたびにその容姿を変えるのですッ☆ そして下半身裸で現れ、エッチな気持ちにさせるのですッ☆」
「それは強烈な足止め効果を期待できそうだ」
俺は迷宮攻略隊を気の毒に思いながらも、夢魔を創り、そして配置した。
すべてが終わると、ワイズリエルは俺の頬をすくうように触り、じいっと見つめてきた。俺がつばを呑みこむと、彼女はくすりと笑ってキスをしてきた。
そして勢いよく立ち上がり、背を向け、誘うようにお尻を振った。
俺が見惚れていると、ワイズリエルは首をねじ向けた。
視線を俺にそそいで、その片一方の眼をとじて見せた。
そして言った。
「サキュバスの語源は『下に寝る』ッ☆ 襲いかかるというよりも、誘惑して襲いかからせる悪魔なのですッ☆」
彼女のやわらかい舌がちらりと見えた。
その刹那の恍惚感――俺はワイズリエルを押し倒した。
そして、いたぶるようにして荒々しく愛でたのだった。
――・――・――・――・――・――・――
■神になって知り得た事実■
夢魔について詳しくなった。
……医療レベルの低いアダマヒアに最適なモンスターといえる。ちなみにこの後、例によってほかの娘たちにエッチを見られたのだが、しかし、先日とは違って乱入する娘はいなかった。ただ、「なんか交尾期の野獣みたいだった」とだけ、スケベな笑みで言われたのだった。




