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習作

【習作】私の孤独

作者: さとう

 それは私の中に存在していた。

 はじめは外側にあったように思う。薄い人付き合いの狭間にそれは横たわっていた。静かに佇み、ずっとこちらを見ていた。私は最初、それが一体何ものなのか分からなかったが、心身の成長と、人との接触でより明確になる私という存在によって、それがなんなのか理解することができた。


 私の意識から導かれ、そこにあると認識できる『私』と、内部から滲み出てくるそれは、互いに捉え、そして求め合うかのように、近づき、やがてひとつになった。

 そうして、改めてそれを理解したとき、それは私の内側奥深くで蠢いていた。澱んだそれは、どこにいても、なにをしようとまとわりついてくる。特に、人と関わる時は一層強くざわつき、私の不安を煽ってくる。

 失せることなくとうとうと溢れだすそれに対して、自問自答を繰り返すことで無理に合理化し、必然だと欺き、運命なのだと諦めることを幾度と無く努めてきた。だが、それは決して消えることはない。

 私の中で寄せては返すそれは、小さなゆらぎから次第に大きくなり、再び小さくなっては前よりも大きくなって揺り返してくる。ゆらぎを鎮めても、日にちが経てばまた元に戻る。だが、以前より小さくなることは決して無く、大きくなるばかりである。


 それが私を侵食し、意識に根付き、魂は握りしめられ、精神もそれによって負の色に汚染されてしまうと、後戻りはできないところまで来てしまった。

 今や、私はそれにとって変わってしまったのかもしれない。以前の私はそれに呑み込まれ失われたように思う。何もかもが今までとは違って見える。私を残して世界が変わったようにさえも思う。今の私は私自身ですら知らないものになってしまった。それが恐ろしくもあり、生まれ変わったような喜びさえある。

 喜びを感じたときから、私は後戻りできなくなった。喜びはそれとともに湧き上がってくる。それはかつての私にあった懊悩を忘れさせて、歓喜に取って代わった。喜びは私を幸福へと導く。

 しかし、その翳で、煩悶していたころの方がより人間らしい、ある種の幸せであったのではとも考えるときがある。なにもなく、考えることもしないで満ちる幸福に価値はあるのだろうか。だが、そんな考えも、それと、それから横溢する幸福によってたちまち消えてしまう。

 かつての私は、少しの間しか存在することができない。以前の私が現れることが減ってきた。間隔も長くなり、現れる時間も短くなる一方だ。


 私はどこへゆくのだろう。それを意識したころにあった葛藤、苦悩、憂鬱は、その時においては私という存在の立派な証であった。それらが意味をなさなくなったとき、私は私でなくなり、向かうべき道も変わってしまった。幸福に満ちた今、行動する意志や情熱は失われ、私という存在は満ち足りたものながら、ひどく虚ろである。私がそれに奪われてから、それだけがずっと傍にいる。

 私はこのまま、『それ』と、そう孤独とともに朽ちてゆく。

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