5.そうじゃないんだ
「これだから若い子は……!」
―――と、彼女はあれから顔を赤くする度に言うのです。
スープを煮込む彼女が懐中時計をじっと見つめている傍で、彼は怒られた大型犬のように項垂れています。
「……ごめんなさい…捨てないで…」
「だ、誰も捨てるなんて言ってないでしょう!?私が言いたいのは…」
「?」
「…その、淑女の唇というのはね、気安く触れて良いものではないの。覚悟も無しに触れるとか……しかも舐めるとか…!」
「だって舐めたかった」
「犬か!!」
「それでもいい。……可愛がって、くれる…?」
「あなたどうしたのよ、ちょっとおかし―――大変!十五秒も過ぎてしまった!」
慌てて懐中時計を彼に押し付けると、彼女は急いで(卓上に置いていた杖で)火を消します。
そっと小皿に掬って、味見をして……神経質というか、納得できないのか。彼女はもう一度掬うと、彼に差し出しました。
「味見して頂戴。…不味くてもあなたのせいだからね」
「ディアのものなら何でも美味しい」
「―――~~ッ、魔女のお仕置きフルコース味わいたくなかったらさっさと味見!…あと熱いから冷ましなさいね」
「………」
おずおずと彼が小皿に口を付けていると、彼女は窯からパンを取りに行きます。
(…ここで、彼女をドンと押して、焼いたら。…きっと美味しいんだろうな……)
―――そして、彼女の悲鳴を聞いて、彼は後悔という感情を初めて知るのでしょう……彼は上手に焼き上がったパンに少しだけ口元を緩ませる彼女を、目に焼きつけるように見つめました。
「どう?」
パンを籠に盛る彼女が心配そうに彼を見上げるのが可愛くて、もし彼が犬だったならば尻尾をパタパタと振っていたでしょう。
彼は昨日と同じく美味しいと言おうとして―――何となく、こう答えてしまいました。
「……もうちょっと、煮込んだものが好き」
「えっ」
彼女の中の彼は、例え出された物が生焼けでも炭でも、食える物なら何の文句も無く食べる男、です。
お茶も何もかも彼女に合わせてきた彼の発言に、彼女は、
「―――…ふふ、」
「!」
「そうね、もう少し煮込んだ方が美味しいわね。…ちゃんと言ってくれて、ありがとね」
「……あり、がと…」
彼は、彼女が「そうね」と言うのは何となく分かっていましたが。
『ちゃんと言ってくれて、ありがとね』
―――自分の言葉を、伝えただけで。感謝されたのは。……生まれて、初めてで。
別に、自分の言葉を認めてくれるだけで、それだけでもとても満足だったのに。彼女はどうして、彼にそれ以上の物を恵むのでしょう。
「じゃが芋は溶けかけ程度が良い?」
「ん…うん」
「じゃあもうちょっとかかるわね。その間にお風呂にでも入ってらっしゃい」
「ん―――」
彼女のスカートをぎゅ、と掴んでいた彼は、ドキドキしていて痺れるような自分の心臓を持て余して、視線が定まりません。
「もう、今日は本当に甘えん坊ね――」
彼女はそんな彼に気が付くと、そっと手を伸ばして。
「――――久し振り」
その手が、あと少しで彼の髪に触れるというところで、
来訪者は、来てしまいました。
*
―――次代魔王の、正妃になる人なのだと、彼女は教えてくれました。
桃色の髪に深紅の瞳。透き通るように白い肌。……服装は、騎士のような、王子様のような。
「僕がしばらく見ないうちに、子犬を飼ったの?」
全てが優雅なその人ですが、彼女は決して彼から視線を逸らしません。
しなやかな獣の輝きが、その深紅の目にはありました。
「馬鹿言わないで。…それより、まだ男の真似事してるの?」
「似合うだろう?――で、毎日充実してる?」
「ええ。おかげ様で。…陽乃は?」
「そりゃ、毎日毎日"賑やか"だけれど」
陽乃、という名前の男装の麗人は、含みがちに答えます。
彼はもそもそとパンを齧り―――口元に付いたパンカスを彼女の細い指が取るのに内心照れ照れしていたら、陽乃は二人を見て、
「なに?付き合ってるの?」
「は――はあ!?」
珍しい物を見た、という顔で。真っ赤になって「馬鹿じゃないの!」とそっぽ向く彼女に、彼はしょんぼり、陽乃はニヤニヤとします。
「いや、今幸せだというなら、"この話は無しにしようか"なって」
「……話ですって?」
「ヴァンダインの家を血祭りにあげるの、手伝うわ」
「……?」
「…この子の前でそういう話は止してちょうだい。後で聞くから―――」
「―――あんたさ、」
遮ろうとした彼女に、陽乃はつまらない物を見るような目で、彼女を見ました。
「あの頃のあんたはどこ行ったの?恥も外聞も無しに僕にしがみついて、復讐を手伝えと言ったくせに。僕はあの時のあんたの目を気に入ったから、ここ何十年もヴァンダイン家なんてクソどうでもいい家を監視してきたのにさ、」
「……私だって、今でもあの気持ちは消えてないわ。でも、この子はね、」
「―――勇者でしょ?」
「っ」
「女神の気配がプンプンするんだよ。そのせいで茨の向こうでは魔物が押し寄せてる。…で、まあそれはどうでもいいんだけど。どうせ勇者なら協力してもらえばいいじゃない」
「……駄目よ、この子は怪我が治ってな、」
「俺、平気」
「あんたは黙ってなさい!」
「………」
「そうは言うけれど、クローディア?向こうはどんどん守りを強めてきたし、古いだけとはいえ向こうも一応名家。あいつらのお家芸で"飛ばれたら"あんたの悲願は叶わないのよ?」
「……私と、あんたで十分じゃない」
「あんた、限定時間が短いんでしょ?その間にヴァンダインの広い屋敷一帯を封じ込めて、多数の護衛を破るの?言っとくけど今ヴァンダインが雇った護衛は攻撃は劣るけれど防御に特化した――長期戦型よ。不完全な魔女見習いさん、途中で死なないといいわね」
「………っ」
ヴァンダイン。
……それは、彼女をこの茨の世界に引き込ませた原因…なのでしょうか。
除け者にされた彼は、彼女と陽乃が言い合うのを黙って聞いていて、どんどんスープが冷めてしまいます。
「いい?僕も未熟者、君も未熟者だ。ならばもう一人の協力者が居てもいいだろう。どうせ魔族を倒すのがお役目だし。女神も喜んで力を貸すだろうさ。君だって、そのつもりで彼を保護したんだろう?」
「私はッ!!一度だってそんな計算をしたこと無いわ!彼を助けたのはただの気まぐれよ!そして怪我が治れば元の世界に帰す予定だった!」
「嘘だな、なら何故今もその男は怪我をしたままなの?ディアは魔法薬の達人だろうに。……出て行ってもらいたくなくて、わざと半端な薬を与えてるんじゃないの」
「なっ……!」
彼は陽乃の言葉に、例えそれが真実でも怒らないのに、と思いました。
もしそうなら、彼はとても喜んで、進んで首輪を嵌めたでしょう。
「……ディア、」
「なっ、なに…よ…」
怯えた目の彼女は、彼の顔を見てぎょっとしました。
その顔は艶やかで、ある意味鮮やかで。命令を言い渡される直前の犬のようで。
そっと、彼女の逃げ道を用意して、悪魔のように言うのです。
「俺も手伝うよ。だって、魔族を倒すのは勇者の役目だから」
今まで、勇者なんてどうでもいいと、言ってたくせに。
彼女は、けれど彼の申し出を喜んで受け入れなければならない現状に苛立って、唇を噛み締めました。
*
ラストスパート行くよ!
補足(キャラ紹介):
*陽乃さま
次代魔王の正妃になる予定の、この時点では王子様ルックな吸血鬼の姫様。
某世界を革命する少女的な感じになってます。喧嘩売ってきた奴は全員ぶっ殺すの大変思考が危ない方。現在ある妖精王子に恋してるらしい。
魔女さんとは家同士も仲良くて個人的にも仲が良い。毒吐き合うのもじゃれてる内。
魔女さんが森で暮らすのに不便が無いように取り計らってくれた人でもある。