1.子犬を拾ったような、
大殿 夕凪は、親に愛された事がありません。
理由は簡単、彼は容姿は良くともその性根は最悪な父と、人気者の父と結婚したいが為に彼を産んだ、平凡な容姿の母より生まれた子供だからです。
母は父の世話をあれこれ焼いていて、「何が欲しい?」「どう思う?」と聞きたがるけれど、彼にそんな言葉をかけたことはありません。そのせいで彼は自分の気持ちを表に出す、ということを知りませんでした。
―――彼が少ないご飯でどう過ごすかを覚える頃には、実の父親は母を捨ててどこかへと消え、新しい父親がやって来ました。
母は面倒な女だったけれど、男を捕まえる事に関してはお上手。最初の頃は義理の父親もそれなりに彼に愛想をかけていたものの、妹が生まれた途端に腫れ物を扱うようになりました。
成長するにつれて、妹は母に姿が似てきて―――しかし、性格は底抜けに明るい子です。
実の父親似の彼を友人が「格好良い」と言ってからよく付き纏うようになって、あれこれ我儘を言ったり気を引いたりします。偶に意見を求められるけれど、正直それに彼の意思は必要ありません。形だけの物なのです。
高校に上がり成績を担任に褒められても何をしても、母は変わらず無関心。義理の父は最近帰って来ない。妹は自分を魅力的に見せてくれる、ファッション程度の価値が無い兄でおままごと。
三人で食べる食卓では彼は食べすぎてはいけません。
母親に舌打ちされない程度に、しかし少しでも多く食べるために気を張る生活――当然、何の楽しみもありません。
居場所のない彼の暇潰しは図書館に行く事ですが、読ませてもらえない新聞を読み、何となくパソコンを弄ったりしているだけで本当は面白くないのです。
ある日何となく検索して、自分はネグレクトされてきたんだなと気付いても、それもどうでもよかったりしました。
―――そんな全てをどうでもいいで片してしまう彼ですが、妹の我儘を文句も言わずに聞いたり、頼み事を律義に聞きます。
優しいだなどとクラスの女子たちに囁かれたけれど、それは彼が優しいという訳では無くて、ただ必要とされる事に安堵しただけ。
「大殿 夕凪」という人間が確かにここに居て、誰かに認知されていることに安心していただけなのです。
無害で空気でファッション程度の価値の夕凪くん。それが"この世界での"彼でした。
そんな、ある日。彼が変わらず妹に振り回されていた時。
急に目が眩んで、目覚めたら冷えた部屋の中。妹はわんわんと泣いていて―――それを老婆が見降ろしていて。
老いた女王と若々しい魔法使いが「あなた方は勇者です」と告げても、彼は一切表情を動かしませんでした。
*
――――そして、彼はこの先、ここまでの人生に何の価値も無いのだと気付くのです。
ハーレムを築けて嬉しい妹と一緒に旅していたある道中、パーティーと引き離されて。
兄妹は魔物の総攻撃に遭って死にそうでした。
「お兄ちゃん、助けて!」
漫画のヒロインのように泣きながら救いを求める妹と、妹を捕まえた魔物。彼は何の躊躇いも無く魔物を斬り伏せましたが、それに妹への配慮はありません。
妹は彼が逃げ道を確保するまでぽつりぽつりと何か呟いていて、彼は生存確認もせずにさっさと先へ進んでしまいました。
本来ならば、「頼ってくれた=必要としてくれる」の式で助けただろうに、彼は薄らとした感情の奥底で妹を憎んでいたのか。それとも戦いに疲れて「どうでもいい」が勝ったのか―――おそらく後者だな、と彼は更に先を進んで進んで……気付けば、森の中。
違和感しか無い森の、茨を踏み越えた瞬間、傷だらけ疲労困憊の彼はばったりと倒れて。
気付いたら、縛られてベッドの上。
「…………」
「…………」
部屋の隅で微動だにせずに彼を監視していたのは、縫い目がちょっと目立つどころか顔を横切っているメイド。彼がまったく喋らないせいで永遠と無音が満ちていました。
「………乾いた……」
ぽそ、と。わざとらしいわけではなく、本当にポロッと零したそれに、メイドはしっかり反応して機敏に動くと少し荒い動きで部屋を出ます。
扉の向こうで「かたんかたん」と音がしていても、ベッドの上で彼はぼんやりしたまま。
やっと部屋が賑やかになったのは、彼がふと勇者専用武器なる物が無い事に気付いた頃のことでしょうか。
「起きたのならそう言いなさい!」
―――ガンッ、と扉を開けて、ツカツカと歩み寄ってサイドテーブルに水の入ったコップを派手に置いた少女……いや、少女と女性の中間ですね。
片手には薬の詰まった籠を持つその人は、銀色のとても長い巻き毛に赤い瞳。黒のシャツにチョコ色のスカート。胸ポケットには目鏡が入っていて、綺麗な目には若干の――隈?
「あなたがボケーっとしてるせいで貴重な睡眠時間が削がれたわ……!あなたが『きゃー』なり『わー』なり『あああああ』とでも声を上げてくれれば絶対一時間は寝れたのに!」
「………」
「もう!三日も徹夜したのよ馬鹿じゃないの!目が覚めたら何かしらのアクションをしなさいッ喧嘩売ってるの!?」
「………」
「………?」
「……………"わー"…」
「…腹に力込めなさい」
「……わーっ…」
「……ああもういいわ。…ごめんなさいね、私、時間を削られるのが嫌いなの―――ほら、喉乾いたんでしょ」
眉間を揉む銀髪の彼女は、無言で縛られている手を見つめる彼に溜息を吐くと、20cmあるかないか微妙な長さの杖を小さく振ります。
ぱしんっと急に切れた縄をしばし無言で見つめた後、やっと喉を潤し始めた彼に、彼女は「具合は?」と淡々と聞きました。
「………ない」
「"ない"って何よ臓器でも足りないっての?」
「…具合、悪くない」
その言葉に、彼女は薬を出そうとする手を止めました。
「ああそう。お腹は」
「………かも」
「"かも"って何よ鴨鍋食いたいの?しゃきしゃき喋りなさい」
「……空いてる、かも……」
「何食べたい?」
「…………」
「魔女お任せコースで良いなら頷きなさい」
「………」
「分かったわ。今から作るからこの部屋から一歩も動かずに待ってなさい」
リアクションの薄い彼に何となく察してくれたのか、銀髪の彼女は彼を縛り直さずにさっさと扉の向こうに消えてしまいました。
その代わりに入って来たのが先程の奇怪なメイドで、あの定位置でじっと動きません。
「………」
『働かざる者食うべからずでしょうが』
「…!」
不意に幼い頃の記憶――母にご飯を強請った時のあの言葉を思い出して、彼はそわそわし始めます。
風邪で寝込んだ時なんて「怠け者!」と怒鳴って母は彼を何度か打ちまして、未だにそれが忘れられません―――彼は、あの時よりかマシな体調でサボるなんて、居心地が悪くて悪くて……。
(…………)
【どうする?】
*休眠
⇒*行動
・探索
・話しかける
→・手伝う
(……………)
「――…男の人だもの、味は濃い方が……柔らかい物が良いのよね、あと十分と三十秒…」
「…………」
「そういえばアレルギーとか持ってるかしらあの子。ていうか嫌い…な………」
「…………?」
「きゃあああああああああああああああああああ!?」
「!」
「びくぅぅぅぅっ」と悲鳴を上げた彼女に対し、彼はぴくっと反応した程度。
けれど彼女はそれでもまだ足りないのか鍋から手を離して胸を押さえて―――蹲ってしまい、
「う、ぅ、…っほ、」
「………!」
いつも通り、幽霊のように働こうかと思っていただけなのに、事態はどんどん悪い方にいっている気がします。
彼はおろおろした後、急いで鍋を火から退かして彼女に目線を合わせました。
「……っの、急に―――そんな今にも捨てられそうな子犬みたいな顔しないの!」
「…?」
「ええい…もういい!平気だから……って何であなた部屋から出てるのよ!言いつけくらいせめて一日は守るもんでしょ!?」
「………」
「さっさと部屋戻りなさ――あ、待ちなさい、ちょっと味見して」
「……、…」
「感想は」
「………」
「頷くだけじゃ分からないでしょ、濃いとか薄すぎとか!あとアレルギー持ってる?」
「…………」
「……な、何よ、俯かないでよ……」
「………」
十分過ぎる、と呟いたのだけれど、彼女には届きませんでした。
*
「君が好き過ぎて終わらないRPG」の外伝話。
平均以上ヤンデレ男子な勇者さんは初めて対等というか、あれこれ世話焼いてもらえて嬉しい様子。