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K-4  作者: 林来栖
第一話 ミズ
3/28

3.きっかけと始まり

 一時間目の休み時間。

 二時間目は特別教室での授業となる伊織のクラスは、生徒が三々五々、勉強道具一式を

手に廊下へと出て行く。

 伊織も教科書とノートを机から出し、筆箱を抱え立ち上がる。

 つーっ、と、彼の白皙の額から汗が伝った。

 窓の向こうには、更に陽が高く昇り、酷暑の様相が濃くなった校庭が見える。運動場の白砂の表面には、うっすらと陽炎らしきものまで立ち昇っていた。

 ゆらゆらと揺れる蒸気の幕に目をやって、伊織は額の汗を左手の甲で拭う。

「あり得ない暑さ、ですね……」

 彼の呟きに、脇を通った級友の本田が振り返った。

「何か言った? 高柳」

「え? ああいえ。……そう言えば今井君、どうしたんでしょうかね?」

「さあねえ……」

「まだ連絡は来てないんでしょうかね。誰か先に欠席理由を受けてる人もいないみたいだし」

「うーん……」本田は、唸って伊織の机の端に片手をついた。

「あいつってさ、大人しいっていうか、わりと無口じゃん。俺、中等部三年の時にあいつと同じクラスだったんだけど、とにかくいつも一人だったね」

「そうなんですか」

「あーそうそう。一回だけちっと用があってあいつん家行った事があるんだけど、とにかくすっげえでっかい家でさ」

 本田は、大袈裟に腕を回して見せた。

「今井の親父さんって有名な建築デザイナーなんだよ。だから自宅もさ、もー滅茶苦茶広くて凝った感じでさあ」

 明治以来の伝統校である青葉は、卒業生の大半が有名大学へ進学するという名門である。伝統校によくある例として、親となった卒業生は子供を自分の出身校へと進学させる。

 青葉もそういう学校のひとつである。

 半数強は居る『二世』は、大会社の役員の子供や経営者の息子といった類いはざらで、今井雅司のような業界のトップの子弟というのもちらほら居る。

 今井は伊織を親が居ないと罵ったが、実際には誤りである。伊織には父親が居る。

 旧華族で財閥の一族である伊織の父は、現在某大手繊維メーカーの重役をしている。

 伊織は、その父と不法滞在の中国人ホステスとの間に生まれた庶子だった。

 父の存在が判ったのは、伊織の双子の姉を道連れに自殺した母が遺した日記からだった。

 父は遊びで付き合った女に子供が出来、面倒になって捨てたのだ。男の心変わりが信じられなかった母は、異国で子供を産み、八年も恋人を待ち続けた挙げ句、狂った。

 当初戸籍も身寄りも無かった伊織は施設へ送られた。が母の日記を施設の院長に見せたところ、院長が中国人の知り合いに訳を頼み、父親の名が判った。

 旧家の家名に傷を付けたくない父の家族が認知を渋る中、院長は一年半も熱心に父を口説き、漸く条件付きで伊織の認知をさせ戸籍も作らせた。

 だが、伊織は現在まで父とは一度も会っていない。認知の条件のひとつに『子供は高柳の家へは入れない』というのがあるためだ。が、伊織としても、母と姉の死を思い出すと父親には会いたくもなかった。

 父が捨てさえしなければ、母は狂わず姉も殺されずに済んだ。

 恨むというよりは哀しくて、だから父親に、高柳の家には行きたくもないし会いたくない。

 今井が吐いた暴言を否定しなかったのも、そういった彼の想いがあったためだった。

 その今井に関して、本田はなおも語った。

「何がすげえって、あいつの趣味。あいつあの時は親父の跡継いで建築デザイナーになりたいって言っててさ、だから有名な建築物の模型とかたくさん部屋に飾ってあった。勉強のためだって、全部自分で作ったって言ってたけど、とにかく細かいとこまでちゃんと作ってあってびっくりしたぜ」

 多少大袈裟に話す相手に、伊織は「そうですか」とにっこり笑った。

「そう。その他にも風水とか、タロットとかも趣味だって言ってたな。……あれはちょっと気持ち悪かったけど」

「風水は建築にも関係あるものですし、タロットは占星術とも関係があります。気持ち悪いものではないですけどね?」

「そうなんだけどさあ。——それだけじゃあなくってさ……。これ、他に言うなよ、秀才?」

「言いませんよ」伊織は真顔を作った。

「俺、見ちゃったんだ。あいつのベッドの下から、藁人形がはみ出てんの……」

「へえ?」

 軽く眉を釣り上げてみせた伊織に、本田は恐々、と言った表情をする。

「高柳、その、何ともない?」

「ええ。僕は別に何とも」

 そっかー、と本田は胸を撫で下ろす。

「あんなもん持ってるような奴だろ? 高柳と喧嘩した後、あの藁人形使って高柳の事呪ってるんじゃないかなあって、俺ちょっと心配しててさ。あはは」

「それは、ご心配ありがとう。幸い僕には被害は無いです。まあ、ご心配頂いて何ですけど、藁人形のようなもので呪詛が出来るとは思われないですしね」

 紫に言えば、多少反論されそうだが、伊織は、知識としては知っているが、呪詛の効果の程には疑いを持っている。

 本田は一瞬目を見開き、それから苦笑した。

「だよなーっ。そんなん迷信だよな。藁人形とか呪文の札とかで人が殺せたりする訳ねえよなっ」

 その時。先に特別教室に行っていたクラスメイトが戻って来た。

「ダメだわー。第一化学室使えねえって」

「どうしたん?」

 入り口近くにまだ残っていた連中が尋ねる。伊織と本田もそこへ寄った。

「水漏れだってよー。もー天井のあちこちからぽたぽた」

「えーっ、そんなにかよ」

「先生が見に来てさ、これじゃダメだから隣でって言ったんだけど、第二は一年のクラスが使ってるんで戻って来たんだ」

「え、一時間目に使ってたんなら、次の時間は空くんじゃねえの?」

「いや。その一年のクラス、教室が水漏れしたんで、ほんとは二時間目に使う筈なのを繰り上げて使ってんだと」

「ってことは、二時間使用中ってわけ?」

「それで、先生が教室で、とおっしゃったんですね?」

 訊いた伊織に、説明をしていた級友は「そう」と頷いた。

「それじゃ仕方無いですね…。それにしてもどうしたんでしょう? スプリンクラーの配管でも壊れたんでしょうかね」

「事務に言って、消防署と工事屋呼ぶってさ」

 移動無し、とクラス委員が声を掛け、廊下に出ていた生徒全員が教室へと戻る。

「まさか、何処かの暑がりさんのためにスプリンクラーが壊れたって訳じゃあ、無いですよね……」

 妙な事を呟いた自分がおかしくなり、伊織は小さく吹き出す。本田が「何?」と振り返ったのに何でも無いと手を振り、自分の席へ戻った。


 ******


 その貴史は。

 二時間目の授業が始まってすぐに、いつも通り居眠りを始めた。

 基本夜型人間の貴史は、昼間はほぼこの調子である。

 四種類ある語学の授業の中でも、英文法の時間はとにかくよく眠れる。教科担任の中年教諭の声と抑揚が丁度眠気を誘う調子なのだろうが、要するに貴史はさっぱり覚える気が無いのだ。

 彼にとって、英語は子守唄かお経である。

 クラスメイトがぼそぼそと訳文を読み上げるのを遠くに聞きながら、貴史は中央最後尾の自席で頬杖をつき長髪を揺らして舟を漕ぐ。

 熱い風が、汗ばんだ彼の肌をざらりと撫でて行く。その風に、不意に薄気味悪さを覚え、貴史はうっすらと目を開けた。

 広域暴力団の組長を父に持ち、腹違いの兄二人が若頭という環境に育った貴史には、紫のような霊感などは微塵も無い。

 無いが、この瞬間は如何にも妙な感じがした。

 開けた目のすぐ先に少年が立っていた。少年は微笑んで貴史を見ている。いや、微笑んでいるというのは誤解かもしれない。

 両眼は眼球が半分程眼孔から飛び出し、左右それぞれ別方向を見ている。口は端が異様に長く裂けていて、笑っていると思ったのはそのせいだった。

 視界一杯を塞いだその異貌に、貴史は不覚にも叫び声を上げた。

「おわあっ!!」

 けたたましく椅子を蹴って立ち上がる。いきなり騒ぎ出した問題児を、教師は怒りも露に睨み付けた。

「篠原っ!!」

 教卓に教科書を叩き付け、教師はずかずかと側へやって来た。

「何だっ、何か言いたい事でもあるのかっ」

「あー、やっ、その……」

 曖昧に答えて、貴史は辺りを見回す。先程見た不気味な少年はもう何処にもいない。

 誰だったのか、というより、人間だったのか。興味津々に彼を見上げる見慣れたクラスメイトの顔に、貴史はほっとしながらも首を捻る。

 ——寝ぼけたかな、俺?

 ぼりぼりと頭を掻いた彼に、事情を知らない教師は拳を震わせて言った。

「ほほう。私の授業は受けても仕方無いというのかその態度はっ。そーかそーか、眠くてやってられんかっ。ならいっそ廊下ででも寝に行ったらどうだっ?」

 何を勝手に怒っているんだこのおっさんわ、と思いつつ、貴史は自分より頭ひとつ半も低い教師を見下ろす。

 その状態が、更に教師を怒らせた。

「貴様っ、完全に私をバカにしてるなっ!! もういいっ、とっとと出て行けっ!!」

「……はあ、そうするっス」

 追い出し命令されたのは、サボりたい貴史にとっては渡りに舟である。彼は倒れた椅子を片足でひょいと直すと、そのまますたすたと後ろのドアから廊下へと出た。

「さて、どーすっかな」

 廊下の窓から外を見ながら、貴史はひとつ大きく伸びをした。

「センセの言う通り、保健室にでも行ってみっかなあ」

 保健室は管理棟の一階にある。渡り廊下は一階にしかない。貴史はズボンのポケットに両手を突っ込むと、階下へ降りるべく、やや猫背気味に背を曲げ歩き始めた。

 渡り廊下へ差し掛かり、足を止めると窓の外へと目をやった。

 真夏日に焼けたグラウンドの砂の上を吹く風が、開けた窓から入って来る。校庭の中央には僅かに陽炎が揺らめいている。

「ムカつくぐれー、あっちいなあ……」

 それにしてもさっきの貌は何だったのか。

 この暑さが見せたただの白昼夢だろうが、にしてもあまりにもリアルだった。

 今にも、あの大きく裂けた口が自分を頭から齧りそうだった。

「ううっ、やだやだっ」

 軽く身震いすると、貴史は窓枠に左肘を掛け、右手でワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出して銜える。

 夢だ。あれは。暑いと、よく自分が恐ろしいと思うものや形を夢に見る。絶対それだ。

 リアルではあったが、今目にしているこの風景とは全く違う。

 早く忘れるにしくはない。

「どうせ見るなら、伊織といいコトしてる夢とかの方がいーのによー……」

 いかがわしいぼやきを零すと、貴史は銜えていた煙草を口から外し、紙箱に戻して歩き出した。

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