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K-4  作者: 林来栖
第一話 ミズ
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2.仮面優等生と恋する不良

 八時を回り、陽射しは更に暑さを増して来た。本格的な夏を思わせる光に、校庭の白砂がじりじりと焼かれている。

 朝のホームルーム中、伊織は窓側の自分の席から見るともなく外を見ていた。

 出掛けの貴史とのやり取りが、僅かに彼の心に引っ掛かっている。

 貴史の気持ちは解っている。先程もふざけてやっていたが、根は本気なのは知っていた。

 貴史が嫌いな訳ではない。規則破りの常習犯で、女好きで面倒くさがり。でも芯は正直で正義感の強い貴史には、むしろ好感を持っている。伊織の過去を知っていて周囲からなにくれと庇ってくれているのも、十分有り難いと感じていた。

 しかし、それでも貴史の気持ちに応えられないのは、やはり伊織の心がまだ人を受け入れる状態に無いからなのだ。

 悲惨な過去はそれ程にまで、彼の内心を蝕んでいた。

 束の間物思いに沈んでいた伊織は、教師の「欠席者一名」の声にはっとなった。

 どうしてか、微かな不安が背を過る。

「誰です? お休みって」

 前の席の級友にそっと訊く。

「ああ。今井だってさ」

 欠席者の席を、伊織は見た。

 教室の中央のその席には、主の居ない机と椅子がかしこまっている。

 今井雅司とは、伊織は以前ちょっとしたトラブルがあった。

 伊織は高校一年の二学期に事情があって青葉学園に転校して来た。その最初の校内テストで、いきなり学年トップになった。

 青葉は中等部から高等部へそのまま進む生徒が多い。中等部は共学なので、高等部の約半分は外からの入学者になる。一般に『生え抜き』の生徒は外部からの入学者と比して成績が悪いと言われるが、青葉の場合エスカレーターにはせず必ず試験を行うため、持ち上がりの生徒の成績が良い。

 その中でも、今井は特に優秀な生徒だった。

中等部三年間をトップで通し、高等部への試験、一学期の中間と期末も一番を取っていた。

 それが、伊織が転入した事によって二番に落ちた。

 伊織はその後の期末と、三学期の試験も一番なった。

 それまで己の天下と思っていた今井は、相当ショックだったのだろう。彼は伊織を逆恨みした。

 三学期の期末が発表になったその廊下で、今井は伊織を誹謗をした。

「おまえなんか親が居ないくせにっ! 生意気にトップなんか取るなっ!」

 それまで、大人し過ぎるきらいはあるが、特に性格的な問題があるとは思えなかった生徒の突然の暴言は、成績発表で集まっていた大勢の生徒と教師をかなり仰天させた。

 が、言われた伊織はさほどショックは受けなかった。施設に預けられた時から、彼にとって、学校内で罵倒や暴言を浴びせられるのは日常だったからだ。

 伊織が相手にしなかった事で喧嘩沙汰にはならなかったが、今井はその場で担任から厳重注意を受けた。

 今井はその場で素直に謝った。

 しかし、陳謝は本心からのものでは無かったらしい。その一件から、今井は伊織をわざと避けるようになった。

 だがそれも、伊織に大したダメージは与えなかったが。

「滅多に休まない方、ですよねえ」

 席を見ながら言った伊織に、級友はぐっと頭を後ろに反らせ小声で答えた。

「今月の頭くらいからさ、あいついじめに遭ってるみたいでさ」

「え?」

「そこ。何喋ってるんだっ」

 続いて本日の学習予定を伝えていた担任が、私語を聞き咎めた。

 伊織は、優しげな美貌の上に貴史言うところの『完璧な笑顔』を貼り付けると、図々しくも担任に訊ねた。

「今井君の欠席について訊いていました。彼、病欠ですか?」

「あ、ああ。それがまだ連絡が無いそうだ」

 学年一の秀才にして策士の笑顔に見事にごまかされ、担任が答える。

「そうですか」

 薄い不安が消えないまま、伊織は笑顔で頷いた。


 ******


 一時間目が始まる頃、漸く貴史はホームルーム棟に姿を見せた。

 長身のせいか幾分年上に見える彼は、それを利用して度々寮を抜け出してはナンパに精を出している。

 仲間は、中学時代から一緒にやんちゃをしている地元の連中である。

 携帯電話は原則禁止の青葉では、連絡は坂下のコンビニ前の青電しか無い。当然、待ち合わせもそこになる。

 バイクで迎えに来る仲間と夜中に合流し、深夜の街で女の子を引っ掛けて遊ぶ。

 札付きの不良の帰宅時間は、従って大概午前様どころではない、朝帰り、である。昨夜も同様だった。

 心に想う相手が居るのに不実な行為を繰り返す理由は、振り向いて貰えない切なさと、抱けないのに同室であるという、若い『雄』にとっては理不尽甚だしい事態、だからである。

 大欠伸を噛み殺しながら、貴史はだらだらと大階段を上る。

 二年の昇降口は二階である。ちなみに元気な一年は三階、くたびれた三年は一階に教室と昇降口がある。広い外階段を上り、貴史は入り口に対し横向きに並んだ下駄箱の、自分の場所の蓋を開ける。

 中から、踵の布が擦り切れてぼろぼろになった上履きを取り出して突っ掛けた。

「かいーっ。やっぱあせも出来てやがる……」

 暑さにだらしなく開けた開襟シャツの胸元に手を入れ、またがりがりと掻き毟る。

 程よく発達している胸筋は、スポーツでではなく、多くは女絡みの売られた喧嘩を買ううちについた、実戦用である。

「ちっきしょー、どーしてこのガッコって全館冷房とかじゃねーんだよ……」

 歴史のある古い校舎では致し方無い事に文句をたれつつ、貴史はトイレの前までずるずると歩いた。

「あちー。もっかい顔でも洗うか」

 中へ入り、中身は何も入っていないぺったんこな革鞄を両脚の間に挟んで洗面所に蛇口を捻った。

「——あれ?」

 水が出ない。蛇口が壊れているのかと思い、隣のものも捻ってみる。

 やはり出ない。

 更にもうひとつの蛇口も捻るが、同じだった。

「んだよっ、いきなり断水かーっ?!」

 冗談じゃねえやとぼやいて、トイレから出る。さて何処で暑さを凌ごうかと思案をしながら、貴史は再びずるずると廊下を歩き始めた。

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