19.新たな問題と挑発
二年の木野原という寮生の知らせで、紫達は食堂へと急いだ。
寮の食堂には一度に三十人が掛けられる長い食卓が三台置かれている。これも開校以来使い込まれている樫の卓の周囲の椅子に、二、三十人の生徒がぐったりとした様子で座っていた。
卓の上には、茶色の液体の入ったコップが数十個、置きっ放しになっている。
「どーしたんだよ一体っ!?」
最初に食堂に入った貴史が叫んだ。
「おい木野原っ、何があったっ!?」
長身の男に胸ぐらを捕まれ、木野原は苦しげに顔を顰める。
「わっ……、わかんないんだよっ…。急にみんなっ、具合がわる……っ、悪く、なってっ」
「貴史っ、そんなに締めたら木野原君が死んでしまいますよっ」
伊織に言われ、貴史は気が付いて手を放す。
調理場の奥からばたばたと賄い方の中年婦人が出て来た。寮生に『大杉のおばちゃん』と慕われている大杉克子は、紫を見付けると慌てて側へ来た。
「生徒会長っ」
「どうしたんです? これは」
「もうほんと、何がなんだが……。この子達は陸上部の練習が終わって、食堂に軽食を取りに来たのよっ。暑かったろうからって、麦茶を取り敢えず出してあげたんだけど、そうしたらみんな途端に気持ち悪いって言い出して……」
「他には、何も?」
伊織の問いに、克子は頷く。
「麦茶だって振り出しの普通のだし、水も、いつもみんなが飲んでるここのだし……。でも水当たりって事もあるから、今救急車を呼んだんだけどね」
「どれ」
伊織は、卓のコップのひとつを手に取る。鼻を近付け臭いを嗅ぐ。
「別に、腐ったりはしていないようですね」
「寮監の木村先生と佐藤先生は?」
「今、島本君が呼びに行ってるわよ」
寮監の教師二人は、連日警察の現場検証に立ち会わされている。
「ありがとうございました」
紫が克子に礼を言う。従兄の袖を、悟が唐突にぎゅっと掴んだ。
「紫……」
「どう」した、と言い掛けた刹那。
——窓じゃっ。
巫女姫の声に、紫は弾かれたように食堂の南側を見る。上部が半円形をした、明治当時としてはモダンな形の窓硝子の向こう。
焦げ茶の格子枠の中に、今井雅司の姿があった。
二日前、水浸しの特別棟で最後に見た時と同じ陰気な笑みを青白い顔に浮かべ、食堂を覗いていた。
「今井っ!」
貴史が駆け寄る。伊織も窓へと走る。
紫が寄ろうと足を踏み出した時。今井の身体が宙に浮いた。
ふわりと上がった少年は、そのまま窓の上へと消えて行く。
「にゃろうっ。何処行く気だっ!?」
貴史は急いで窓を開け、上方を見上げる。しかし、当然ながら死霊の姿は既に消えていた。
「どうしたのっ?」
四人が走り回っているのを不審に思い、克子が寄って来た。
「何かあった?」
「いえ。別に何も」にっこり笑って伊織がごまかす。
「それにしても、救急車遅いわねえ。今日は豪雨でもないのに……」
「雨?」
呟いて、伊織ははっとする。同時に気が付いた紫と顔を見合わせた。
「『水』ですっ!!」
「上だっ!!」
紫が走り出す。伊織もすぐ後に続く。
「おいっ、おいっ!」
「なんなんだよっ、二人してっ!!」
意味が分からない貴史と悟は、それでも遅れまいと二人を追った。