18.過去と感情
伊織が一年の二学期という変わった時期に転校して来た訳は、前の学校での凄絶な『虐め』によってだった。
表面上人当たりがいいように見える伊織だが、その生い立ちと置かれている立場のせいか、中身は異常とも言える程他人を嫌う。以前の学校ではそれが災いし、同組のボスに目の敵にされた。
しかし大概の事には屈しない伊織は、音を上げないせいで相手の虐待をエスカレートさせてしまった。最後は強姦された上に半殺しの目に遭った。
それが夏休みに入る直前で、さすがに警察沙汰になりボス以下虐めのグループは逮捕、補導された。
当然虐めグループの生徒の素行は非難の的となった。だが世間と言うのは残酷で、被害者である筈の伊織の身辺も、ある事無い事を言い立てた。
伊織の実質の保護者である養護施設の院長が、このままでは再び伊織の精神が崩壊すると危機感を持ち、旧知の青葉学院の理事の一人に相談し彼を転校させる事にしたのだ。
伊織の事情を、貴史は同室になる時、紫から聞かされた。
自分も異母兄と父の本妻である養母から酷い虐待を受けて育った貴史は、少なからず伊織に同情を寄せた。
それが恋情に変わるまで、幾らも掛からなかったが。
「でもさー、イジメられたりムシされたからって、呪物使って学校水浸しにしていいってコトにはならないんじゃん?」
悟の尤もな意見に、伊織は苦笑する。
「そりゃそうですけど。でも人間の心って、そんなにお利口さんには出来てないものなんですよ」
「そおかなあ……」
「世の中おまえみたいに単純な奴ばかりじゃねえんだ」
直裁な紫の言葉に、悟は「なんだよおっ」と頬を膨らませる。
「ともあれ、ヤツが死んでるとしたら、それこそ理由なんて死人に口無し、ってコトか?」
「……もしかしたら、学校での虐めだけが、彼が犯行に走った理由では無いのかも」
伊織の白い顔を、貴史は訝しげな顔で見上げる。
「何? 他にどんな理由があるってか?」
「例えば、両親の不和、とか」
「おまえとの揉め事は?」
訊かれて、からかっているのかと伊織は貴史を見下ろす。が、ルームメイトの瞳には何時に無く真剣な色が見えた。
「それが原因で、親と揉めたとか……?」
「それは……、どうでしょう。僕には解りませんが。でももしそうなら、僕にも責任の一端はあるのかもしれませんね」
「そんなものあるか」紫が、さも不快と言うように言い捨てる。
「それこそ自分で蒔いた種だ。おまえは被害者でこそあれ、責任を感じる謂れはねえ」
「そーだよっ。貴史がヘンな事言うから、伊織が気にしちゃったじゃんかっ」
悟にまで責められて、貴史は赤くなる。
「ちがっ……。俺は、伊織を心配して……」
「に、しても、考え無しだな」
向きになる男を、従兄弟同士二人は白い目で見遣る。
「大丈夫ですよ。貴史が僕を心配してくれているのは、十分解ってますから」
「伊織……」
外面如菩薩、内面如夜叉。腹は真っ黒でも大天使の頬笑みの伊織を、貴史は殉教者のような眼差しで見上げる。
救われない『恋する男』の姿に、紫は呆れて溜め息をついた。
廊下から、誰かが慌てて走って来る音が聞こえた。何事かとそちらへ四人が顔を向けた時、乱暴に部屋の扉が叩かれた。
「寮長っ! 大変ですっ、食堂でみんなが……っ!」