14.オオカミと水中
教師陣や他の生徒が安否を気遣ってくれている頃。紫達はまだ化学準備室で奮闘していた。
いや、正確には、奮闘していたのは貴史だけである。
紫にハメられた彼は胸まである水深の中、懐中電灯の明かりだけを頼りに行軍した。
前人未到の洞窟探検でもしているような状況の準備室は、予想通り危険物の無法地帯だった。
先程の奔流で掃除不行届きの結果の塵芥は全部流れてしまったのか、その類いのものは明かりの中にも現れない。が、先刻の伊織の冗談が当たり、何処かの棚が水圧で破れたらしく本当に薬瓶が多数浮いている。
大半はきちんと蓋が閉まっているので問題は無さそうだが、水中を照らすと、蓋が開き水が入って沈んでいる瓶も幾つかあった。
幸い、劇薬ではないらしく、今のところ貴史の健康状態及び命に別状は無い。
が、円筒形の瓶は踏めば間違いなく転倒し水没する。注意深く足先で避けながら進むため、結構神経が要った。
「……マジで洒落になんないってっ」
他にも、雑貨やら本やら訳の分からないものが浮いたり沈んだりしている。
更に、暑いと言ってもまだ六月。まして窓が塞がれている部屋で水温は思ったよりもかなり低く、次第に身体が冷えて来た。
「ったくよおっ、言うんじゃ無かったぜ。何でこの俺様がこんなコト……」
貴史はぶつぶつ言いながら、それでも教室の約半分程の広さの部屋の、ほぼ真ん中辺りまで辛抱して辿り着く。
「おいっ、ほんっとに模型見付けりゃいいんかっ!?」
振り返って懐中電灯を振る貴史に、伊織が答えた。
「紫の言葉が正しければ、そうですっ。それが無いなら、妙なものとかヘンなものとかここにあるのはおかしいなあっていうものを、見付けて下さいっ」
「ったく、疑り深い奴だ」という紫の呟きに、伊織は底意地が悪そうな笑みを浮かべる。
外の二人のやり取りは全く見えない貴史は、うーっ、と唸って電灯を戻した。
「おかしなものとか妙なものとか……? って言われても、水面からも見てっと全部それ風に見えちまうよなあ……」
揺れる水面から水中を透かすと、当たり前だが全てのものの形が歪む。おまけに暗さが加わり、何がなにやら分からない。
「どうですかっ!?」
急かす愛しい声音に、情けなくも首を振る。
「なんも見えねえってっ!」
「じゃ、やっぱり潜ってみるしかねえな」
横合いからしれっと言った紫に、貴史はむっとなった。
「ああっ!? これに潜れってかってめえっ!!」
「見えねえんじゃ、しょうがねえだろう」
「てめーはそこで呑気に観戦してるだけだからわかんねーだろーがなっ、結構こん中に薬瓶が散乱してんだぞっ! 何が混ぜ込まれてっかわかんねえんだぞっ! それに潜れってかっ!!」
ばしゃっと、貴史は水面を叩いた。
「おまけになあっ、硝子の破片とかちょー細けえゴミとかがまだ浮いててマジ危ねえってのっ!!」
「そんなもんは懐中電灯で照らしゃ避けられるだろうが」
「水ん中入れたらオシャカだろーがっ!」
「少しくらいなら保つだろ」
「っんのやろーっ!!」
ああ言えばこう言うの応酬でいい加減頭に来た貴史は、怒鳴って一歩前に踏み出す。
「無茶言うんじゃねえよっ! このエセボー……、いてっ!!」
しかし上げた足を下ろした瞬間何かに引っ掛け、貴史は顔から水中に突っ込んだ。
「貴史っ!?」
ルームメイトが水没したのを見た伊織が、緊迫した声で叫んだ。身を乗り出し自分も中へ入ろうとする。
が、悟の腕がそれを制した。
少年は伊織を押し退けると、さっと準備室へ入って行く。
「悟っ!?」紫が驚いて扉に寄る。
悟は半ば泳ぐように貴史が転倒した位置にまで行く。と、長身がぬっと水から出た。
「うおっ!?」
悟は慌てて仰け反った。
「大丈夫ですかっ!?」二人が衝突しそうになったのに、伊織が身を乗り出す。
「ああ、わり悟。……で、あったぜ、妙なもん」
「えっ?」悟が貴史を見上げる。
「引っ繰り返った先によ。ちょっと待ってろ」
貴史は悟にこれ持て、と懐中電灯を渡す。
そして、素早く水中に潜った。