12.捜索とカナヅチ
「ふーっ、やれやれ……」
貴史は伊織を抱えたまま、大袈裟に溜め息をついて見せた。
「し……、死ぬかと思ったーっ」
悟が戸口に組み付いた姿勢で脱力する。
まだ放そうとしない男の強い腕を、些か気恥ずかしくなって伊織はやんわり己の腰から引き剥がす。
「凄かったですねえ。あんなに水が溜まってたなんて……」
水は、まだ彼等の腰の辺りまである。
貴史の腕から離れた伊織は、泳ぐように入り口へと数歩歩く。準備室の内部を見ようと身を乗り出したその脇から、悟が中へ首を突っ込んだ。
「何だか真っ暗だよ?」
「変ですねえ。窓はある筈なのに」
「いや。確か窓は薬品棚で閉め切られていた」
「げっ、最悪ーっ。こんな中でその、ブツを探せってのかよ?」
貴史が眉を顰める。ルームメイトの愚痴を無視して、伊織は入り口脇の壁を手で探る。
「あ、電灯のスイッチ発見。——でも点かないみたいですねえ」
が、暗順応した目が別なものを見付けた。
「代わりにいいものがありました」
その品物を手に取り、後ろを振り向く。
「懐中電灯です」
「そっかー。こういう時のために置いてあるんだ」
悟が嬉しそうに赤い胴体の電池式懐中電灯を伊織から受け取る。スイッチを入れ中を照らして見た。
大きな薬棚を入れるためか、二段程教室より床面が下がっている。半地下となっている準備室の中には、溢れ出て来た水の量から推測した以上にまだ水位があった。
天井まで届く程の薬棚が林立する準備室のスプリンクラーは、他のどの教室のそれよりも盛大に水を吹き零していた。棚を伝って落ちる水が懐中電灯の丸い光の中に浮かび上がる。
「ひゃー、まるで鍾乳洞みたい」
「階段、まるっきり水中ですね。貴史でも胸まで浸かりますね」
言われて「どれ」と貴史が覗く。
「……浸かるかも」
「じゃあ、俺じゃダメだね。首まで入っちゃうもん」
「泳げんだろが?」
「そーだけどっ! 何が浮いてっかもわかんないじゃん」
「確かに」伊織が頷く。
「薬棚の硝子が割れて劇薬の瓶なんかが流出していたら、ちょっとデンジャラスですねえ」
「げっ。それ洒落になんねえっ」悟が身震いする。
貴史が、人の悪い笑みを作る。
「んなワケねーだろ? だったら、今の洪水で、俺らみんなヤケドとかしてんぜ?」
からかわれたのに気が付いた悟が、ぶうっ、頬を膨らませた。
「だっ……!! 伊織が言うと、ほんとに聞こえるじゃんよっ」
「それって、僕は大いに信用されてるという、お褒めの言葉でよろしいですかね?」
さわやかな笑みと共に悟へ止めのからかいを入れる伊織に、紫が小さく息を吐いた。
「バカをからかうのは、その辺でやめとけ。——それより、とっとと呪物を探すぞ」
バカって誰だよっ!! と怒鳴る子イヌは無視して、貴史が「マジかよ?」と紫を見た。
「この水浸しの中から、どーやって呪物ってヤツを探し出すんだよ?」
ズボンのポケットの中でぐしょぐしょに濡れて吸えなくなった煙草を取り出し、紫は手の中で箱ごと握り潰す。
「潜るっきゃねえかもな」
「うえっ」悟が吐く真似をする。
「薬品飲んじゃったら最悪……」
「まあだ言ってんかよ? マメ犬」
「イヌって言うなっ! 強い薬じゃなくっても、もし割れて流れ出てたら、口に入ったらヤバいだろーがっ!」
「はー、心配性だねぇ、この子イヌちゃんは」
「んなコト言うんなんら、貴史が潜れよっ」
「そうだな、てめーが一番図体もでかいし」
しれっと悟の案に乗っかった紫を、貴史は「んだとコラっ!」と睨んだ。
「潜るのに図体が関係あっかよっ。言い出しっぺはてめーだろーがっ。なら、てめーで行けよ紫っ」
「あ、それダメだ。紫泳げねーもん」
マメ芝の爆弾発言に、聞いた二年二人は同時に紫の顔を見た。
「紫って、カナヅチかよ?」
「へーそうなんですか。ご実家の近くに水泳には格好の河川があるのに」
去年の冬休みに、伊織は紫と悟の実家である北関東の寺へ遊びに行っている。
ヤブヘビ的に悟に弱点をバラされて、紫は綺麗な貌を盛大に歪めて赤くなった。
「るせえなっ」
「ボーズがカナヅチかあ。こりゃますますカタくていけねーや」
「るせえっつってんだろーがっ。そういう貴様は泳げんのかっ!?」
「はっはーっ。俺にそれを問うのは愚問だぜ。悪いけどな、俺あ小中共水泳は地区選抜選手だぜ」
勝ち誇って腰に手を当てからからと笑う男に、紫は「ほお」と顎を上げる。
「じゃあ、この水中から呪物を探し出すのなんぞ、お手のものだな?」
「そりゃもうっ。……って、ちょっと待てっ! このエセボーズっ。まんまと引っ掛けやがったなっ!!」
目を剥いて怒鳴った貴史だが、後の祭りである。
悟が無言で懐中電灯を渡す。
伊織は、紫の背後で巫女姫が苦笑する声を聞いた。彼は釣られて笑いつつ自分に惚れている男に手を振った。
「頑張って下さいねーっ」
にこやかな伊織の声援を受けてしまっては、もう引き下がれない。
「ちっくしょーっ! 覚えてやがれっ!!」
「つべこべ言わずにとっとと入れ」
見下すように顎で促す紫を横目で睨むと、もう一度「ちくしょう」と小さく吐き捨てて貴史は準備室に入った。