第三話
空中に浮かんでいた炎弾の一つがイリヤに向かって放たれた。
一定時間、あるいは一定の回数だけ、火山弾の如き高速の炎弾を放つ。
これが火蜥蜴の魔法だ。
実に数百度の炎に一定の質量を与えて矢と同等以上の速度で放つ、この単純にして強力無比な魔法は火蜥蜴の絶対的な必殺技である。
この魔法の直撃を受けてしまえば、大抵の生物は一撃で無力化、あるいは絶命してしまう程の重傷を負ってしまう為なのか、火蜥蜴は他の魔法を使う事はない。
火蜥蜴の標的は、勿論自身の正面に立っているイリヤだ。
魔獣は魔法を使う都合上、脳内で複雑な計算処理を行う必要がある為、普通の生物と比べて非常に高い知能を持つ。そのため判断力も通常の生物とは比べ物にならない。だから、火蜥蜴は突如この不可思議な姿に変化したイリヤの方が、一見戦意の低い少女よりも強敵だと判断して的を絞ったのだろう。
勿論イリヤはそれを見越して、この状況下においては支払う代償も大きい〈無影無双〉を使用したのだが、幸運にもそこまでは見抜かれなかった様である。
ちなみに……人間は高い知能を持ちながら自力で魔法を使えない例外的な生物の一つであり、『高い知能を持つ我々に、魔獣と同じ力が使えない訳が無い』というのが近代魔法学の原点である。
「――ッ!」
一瞬早く空に逃れたイリヤの真下に、火蜥蜴の放った炎弾が着弾した。
樹海の新緑が抉れて爆ぜ、瞬時に炎上する。
当然、元の場所に着地する事は叶わない。
イリヤは空中で手を伸ばして手近な枝を掴み、身体の落下を強引に防いだ。
それを見た火蜥蜴は首を上に反らし、軌道修正してさらに炎弾を放った。
「くっ!」
イリヤは即座に反応し、掴んでいた枝の幹を蹴って真横に跳び、迫り来る火蜥蜴の炎を紙一重で回避した。そしてそのまま空中で身を捻り、幹を蹴って生じた前方への勢いを殺す為に前転しながら着地した。
そして面を上げたイリヤに対して、火蜥蜴は一瞬で間合いを詰めていた。
「――っ!?」
火蜥蜴最大の脅威がこの炎弾の高速射出である事は勿論なのだが、それに負けずとも劣らないのが、両腕の先に生えている乳白色の太い爪だ。その大樹の幹をも容易に引き裂く鋭い切れ味は、動物の中でも特に柔らかい肉体を持つ人間にとって、まさしく一撃必殺の凶刃である。
その鋭い爪を備えた太い右腕を、火蜥蜴はイリヤから見て左側の方向から弧を描く様にして振り抜いてきた。
後退では間に合わず。
跳躍では避け切れず。
まさに不可避の一撃だ。
しかし――
「――はっ」
イリヤは飛び乗っていた。
文字通り――その凶刃の上に。
勿論、彼は火蜥蜴の爪に対して足を合わせた訳ではない。靴底に鉄板が入った靴を履いているのならまだしも、今イリヤが履いている普通の靴でそんな真似をすれば、むざむざ足を失う羽目になるだけだ。
ならば。
イリヤが乗っているのは、厳密に言えば彼が咄嗟に抜いた猟刀の上だった。
猟刀は小振りだが――様々な用途に使用する都合上、軍用の刀剣と比べて広い身幅とそれなりの厚みを持つ為、たとえ業物でなくとも耐久性は高い。
つまり彼は火蜥蜴の一撃を抜刀した猟刀の刀身で受け、その反対側の刀身に足を合わせて直撃を避けたのだった。
加えて彼は、その一連の動作を火蜥蜴の一撃が振り抜かれる方向へ跳びながら実行していた。その為、猟刀に掛かる力は彼自身が掛けた力を考慮してもかなり軽減されていたのであった。
そんな絶技を見せたイリヤに対して、火蜥蜴は続け様に追撃の炎弾を叩き込んだが、火蜥蜴の力をも利用して大きく距離を取る事に成功していた彼は、その連撃を左右への体捌きで難なくかわした。
そして四発全ての炎弾を撃ち終えた為か、火蜥蜴の頭上に浮いて高速で回転していた光り輝く魔法陣が消えた。
仕留め切れなかった苛立ちを示すかの様に火蜥蜴は大きく咆哮し。
「……見た目以上に速いな」
右太腿裏側の傷口が開いた事を感じたイリヤは苦笑いを浮かべた。
両者の攻防で、辺りの景色は一変していた。
流石に数百年の歳月を掛けて巨大に育った大樹は少々表面が焦げ、低い位置に生えていた枝葉を失った程度で済んでいるものの、その他の草木はことごとく炎上している。
そして彼方此方から乾き切っていない植物を燃やす時に放たれる様な白い煙が立ち上り、あちこちで異臭を放っている。
まさに地獄絵図だ。
(だが――見切れない速さではない)
イリヤは冷静に分析した。
魔法を放つ際に生じる僅かな溜めと、首を振って軌道修正してくるまでの時間的余裕を利用すれば、辛うじて炎弾そのものは回避可能である。
勿論、長期戦になれば〈無影無双〉の効果時間切れと、大量出血による体力の低下という二重の意味で制限時間が存在する自分に勝ち目が無いのは明らかだったが、魔法士の少女による支援攻撃が期待できる今、その心配をする必要は無いだろう。多分。
「……」
少女は火蜥蜴の接近で中断されていた魔杖の組み立てを終えた。
その形は――敢えて近い形状の物を挙げるならば、占星術師が時折用いる小型の天体望遠鏡だろうか。
少女の背丈よりも長い鋼の筒。
その根元に取り付けられた四角い形状の機関部は――『魔導器官』を加工したものと鋼を組み合わせて作られた人工魔法発動機『魔導機関』。
標的に狙いを定める為の照準器。
握り込んで狙いを調整する為の握把。
発射口を水平に向けたまま固定する為の三脚。
銀に輝く鋼鉄の部位と黒く陰る黒檀製の部位が、奇妙なコントラストを描いている。
「すごい……」
火蜥蜴と謎の少年の攻防は、もはやまともに目で追い切れない。とにかく火蜥蜴の攻撃は力強く圧倒的で、少年はそれらを驚異的なまでの体術で凌いでいる。武術に関して、魔法士である自分に細かい事は分からない。だが、もしも彼が普通の猟師だったらあっという間に彼も自分も殺されていただろうという事くらいは分かる。
自分の見立てが甘かった事を、今更のように痛感させられる。
これは仮定の話だが――彼がもしも自分と出会わなければ、もしも自分を庇わなければ、彼は火蜥蜴を振り切って逃げられたのではないか。そう思わせるだけの実力だ。ならば、どうして負傷後あれだけの合理的思考を見せた彼があのような愚行を取ったのか。
興味が湧く。全てを失ったという――彼を形成した源に。
いずれにせよ、この場で状況を打開出来るのは自分だけだ。やるしかない。
少女は右手に填めていた薄い手袋を外し、握把を握った。
すると少女の掌に刺青されている刻印と、握把の右側に彫り込まれている刻印が合わさって僅かに光を放った。
「同調……完了」
少女は自分の意識が魔杖を自分の一部として認識し始めたのを感じた。
「……ここは〈貫く棘〉、かな……」
自らに言い聞かせるように、少女は選択した魔法の名前を呟いた。
それなりに複雑な計算処理を要求される魔法だが、深い樹海の中という地形補正を受けて、威力と攻撃範囲の大幅な上昇が期待出来る。
「……起動」
そう少女が呟くと同時に、魔杖の発射口付近で白い魔法陣が出現した。
しかしその魔法陣は無地で、白い光が輪になって浮遊しているだけである。
魔法を発動する行為を別のもので喩えるとすれば、それは絵を描く行為だろう。
この真っ白な円は全ての魔法の土台となる基礎の魔法陣であり、いわば絵画をする際のキャンバスに相当する。この真っ白なキャンバスに、魔法士は自身の魔力を消費して周囲の地脈や気脈という絵具に一定の指向性を与え、選択した魔法の発動術式という絵を描いていくのである。
「……展開」
その魔法陣は少女の体内に眠っていた魔力の補助を受けて、一気に半径一メートル程の大きさにまで拡大した。
「……選択術式、〈貫く棘〉」
そう唱えると、無地だった魔法陣の中に無数の光が生まれた。
それらは少女の念じるままに伸長――変形しながら、一定の法則に従って魔法陣の一部として組み込まれていき、やがて一定の形を得た魔法陣は緩やかに回転を始めた。
まるで風に吹かれて回り始めた風車の様に。
そして。
◆
「――くっ!?」
一方イリヤは苦戦を強いられていた。
全く容赦の無い腕撃、尾撃、牙撃が、次々に彼を襲う。
攻撃の軌道自体は直線的で至極読み易いのだが、その分速度と手数は増している。
その為〈無影無双〉の最大の長所である、距離感を幻惑させて紙一重で見切って反撃するという戦法は使えそうにない。相性は最悪だ。
単純な速度自体はやや勝っているようだが、基本的に後退しながらの攻防を強制されている為、上手く距離を取る事が出来ない。
しかも都合の悪い事に、どうも魔法士の少女が魔法の発動準備に入った場所の方向へと追い立てられているらしい。
「ちっ……!」
少しでも火蜥蜴の進撃を抑える為、イリヤが自分の見切りよりも僅かに距離を抑えて後退した瞬間、右頬が剃刀で切ったかの様に薄く裂けた。
一瞬の油断が即破滅を招く。
そんな攻防と表現するにはあまりに一方的なやり取りを続ける事、数十秒。
その均衡が――崩れた。
火蜥蜴は一際大きな唸り声を上げると、再び角を発光させて新たな魔方陣を組み立て始めた。魔法の再起動だ。
そして燃え上がる雑草を踏みしめると、凄まじい速度で突進を始めた。
(――自傷覚悟で使うつもりか!?)
火蜥蜴は魔法を使う際に生じる炎から自分の身体を守るため、耐熱性の高い丈夫な皮膚を持っている。そのため半端な攻撃では傷を負わせることすら困難であり、その防御力は火蜥蜴の強さの一因にもなっている。
その為、非力な人間が相手ならば少々無理気味にでも接近し、爪や牙で牽制しながら隙を見て魔法の一撃で仕留めるという方法は確かに有効であろう。
だが、その動きに洗練されたものは無い。
もっとも――それも当然と言えば当然だ。本来、魔法の発動には脳の計算処理能力の大半を割く必要がある為、魔法の発動準備中に他の動作を行う事は出来ないからである。
流石は火蜥蜴――そんな魔法士の常識は全く通用しないらしいが、それでも動きは今までのものと比べて明らかに精彩を欠いている。
(そのくらいなら簡単に――)
避けられる、と思ったところでイリヤは自分の誤算に気付いた。
(いや、狙いは後ろか!?)
魔法士の少女は既に術式の調整を終えて、最終段階である魔力の充填状態に突入しており、白い魔法陣は高速で回転しながら徐々にその光を強めている。
その為ひたすら攻撃を避けるばかりで一向に反撃にしないイリヤよりも、その魔法陣を起動した少女の方が危険だと火蜥蜴が判断しても不思議は無い。
また、魔法の発動に要する時間は魔獣よりも魔法士の方が圧倒的に長い。言うなれば魚と人間が水泳対決で勝負にならないのと同じだ。先天的に備わっている技術と後天的に身に付ける技術――たとえ結果は同じでも、その過程には明確な差が出るのである。
つまりここで魔法の発動を妨害しなければ、火蜥蜴の炎弾が少女を襲う可能性が高い。
そして火蜥蜴の気を引くにせよ魔法の発動を妨害するにせよ、今取るべき行動は一つ。
一か八か、動きの鈍くなった火蜥蜴に反撃。それしかない。
イリヤは両手で猟刀を水平に握り締めると、火蜥蜴に向かって突貫した。
狙いは、火蜥蜴の身体の中でも比較的皮膚が薄くなっている喉笛だ。しかもその剣速は双方の突進と合わさって倍加している。
上手く角度を調整すれば、首の切断さえ狙えるだろう乾坤一擲の一撃である。
イリヤはしゃがみ込む様にして牙撃、そして左腕撃を躱すと、火蜥蜴から見て左側を駆け抜けながら擦れ違い際に一閃した。
何か硬い物に斬り付けた時のような鈍い手応えがして、それがフッと消えた。
(――やったか?)
しかし。
無慈悲な金属音が鳴り響く。
イリヤは突然宙に投げ出された。
「が、は……ッ!?」
そのまま訳も分からず全身を強打したイリヤの目に、喉元に出血はおろか刀傷一つ無い火蜥蜴の姿が飛び込んできた。そして足元では折れた刀身が転がっている。
(……そういうことか)
イリヤは苦々しく息を吐いた。
事の真相はこうだ。
火蜥蜴は彼の放った起死回生の一撃に対して、自身の喉元に迫っていた猟刀に首を回して噛み付き、その刀身を瞬時にへし折ったのだった。
いくら頑丈な造りをしているとはいえ、ここ一年まともに手入れもしていなかった一品――先程からの酷使で一気に限界が訪れたのだろう。
また、火蜥蜴が再起動していた魔法陣が何時の間にか消失していた。
おそらく接触直前――火蜥蜴は魔法の発動を中止し、土壇場で本来の技量を取り戻していたのだった。つまり魔法の発動自体が火蜥蜴の仕掛けた罠だったのである。
「く……そっ……」
イリヤは両手を着いて立ち上がろうとしたが、突如全身の力が抜けた。
(……限界、だな)
その場に崩れ落ち、大地を舐めながらイリヤは唇を噛んだ。
本来もう少し保つはずなのだが――久々の能力使用、さらに大量の出血という悪条件が重なったが故の結果だろう。〈無影無双〉による身体強化も、流石に体力の低下まではカバー出来ないのである。
そしてその限界は、まるで発条の切れた絡繰り人形の様に突然訪れるのだ。
火蜥蜴は勝ち誇ったかのように歩み寄って来た。
上体すら起こせないイリヤには、もう次の攻撃を凌ぐ方法が無い。
その瞬間。
「……充填、完了」
背後から――唐突に。
「発射!」
少女の声が聞こえた。
次の瞬間。
体感時間を圧縮していたイリヤだからこそ、捉える事が出来た刹那の出来事。
火蜥蜴の四方八方に聳えていた大樹の幹に、突如魔法陣が出現した。それらは瞬時に大樹を歪に成長させ、まるで丸太を削り出したかの様な太く鋭い杭を作り出すと、火蜥蜴に向かって一斉に高速射出した。
そして。
凄まじい絶叫が樹海に響き渡った。
全身を杭で貫かれ、その身体の彼方此方を切断された火蜥蜴はその場に倒れ伏した。
四方に飛び散った血が周囲を真っ赤に染める。
吹き飛ばされた右腕の一部が、イリヤの近くに落ちて来た。
それの放った血が一滴――彼の頬に付着した。
「……ふぅ」
イリヤはそれを拭いながら、思わず溜め息を漏らした。一応念の為にと針鼠のような姿になった火蜥蜴の動きを確認するが、まだ完全に死に切っていない身体の一部が僅かに痙攣しているだけだ。
勝った。
殺した。
そして――生き延びてしまった。
「……くそっ」
脇の大樹に寄り掛かりながらイリヤは呟いた。
「『やがてその刃は錆び、折れる』」
再び『枷』を唱えて己を戻す。人の姿へと。
いつもの感覚が戻ってきて――自分以外の世界が倍速で回り始めた。一振りの刃として構築されていた自分の中身が、再び人間らしきものに変わっていくのが分かる。
勝ったという喜びや安堵は無い。
彼が決して戦闘狂になってしまわないように、戦いの勝ち負け程度で一喜一憂する様な精神はとっくの昔に師匠によって奪われ、捨てられている。
「…………」
しかし――この昂揚感は何だ?
イリヤは胸の内から湧き上がってくる奇妙な感情に流されていると、背後から現れた魔法士の少女が声を掛けてきた。
「大丈夫か?」
「……ん? あぁ」
そう頷いて深呼吸すると、イリヤは僅かに体力が戻ってきた事を感じたが、すっかり悪化している右足の痛みが今更のようにぶり返してくる。
「……ちっ」
「もう動かすな。治してやる」
少女はそう言って再び魔法の準備を始めると、数分後イリヤの傷口は小さな魔法陣の光で照らされて塞がり、無傷な状態へ戻った。
「……すまない」
「いや、それはこっちの台詞だ……ありがとう」
少女はそう言うと、そのままでは持ち難そうな形状をした魔杖を分解し始めた。
「しかし――」
作業を行いながら口を開いた少女は言葉を濁らせた。
「何だ?」
「お前、晴嵐衆の人間か?」
「……」
本来言いふらす話ではないのだが、奥義まで見せておいて隠す理由も無いだろう。
「確かに、元々俺は晴嵐衆の里で育った忍術士だ」
忍術士。
それは大陸戦争中に活躍した、異端の兵士の総称だ。
規則や儀礼を重視する騎士や修道士とは異なり、主に諜報活動、破壊活動、暗殺等の特殊任務を担当していた裏方の存在である。
それ故、彼らの起源は例外無く特定の国家に属していない辺境の地の民であり、その中でも特に〈無影無双〉等の特殊な技能を持つ者は重宝されていた。その為、そうした技能を古くから伝承していた晴嵐衆等の者達は、一族の人間を戦争に明け暮れていた各国に傭兵の様な形で貸し出す事で生活の足しにしている事が多かった。
しかし。
「戦争が終われば、御役目御免さ」
イリヤは言った。
当然――忍術士が役に立つのは戦争の、それも大規模なものの最中だけだ。平和な時代が訪れれば、権力者達にとって彼らの存在は途端に最も脅威となる。忍術士の力は、それが軍隊であれ政治であれ、既存の体制を覆すのに最適な力だからだ。
その為か――イリヤの育ったアルコルの里は、その存在を知っていた者達もろとも謎の集団の襲撃を受けて皆殺しにされた。イリヤは偶然と奇跡、そして彼自身の高い実力も合わさって偶然逃げ延び――そして現在に至るという訳である。
目指していた夢。守りたい人。それら全てを失って――おめおめと生き延びてしまったのだ。俺は――俺は――
「役目ならあるさ」
少女の声が、そんなイリヤの思考を中断させた。
「は?」
意味不明だ。
首を傾げたイリヤに対して少女は言った。
「私の露払い、そして道案内をするという偉大な役目が、な」
そのわざとらしく畏まった表情を浮かべた少女に、イリヤは思わず噴き出した。
「おいおい、これでも私は大真面目だぞ?」
若干の意図的な脚色は入っているものの、少女が本気でそう思っているのは分かった。先程からのやり取りを考えても、その場凌ぎの軽薄な嘘を吐くくらいなら沈黙を選ぶ人間だという事はイリヤにも理解出来たからだ。
「……そうか」
ある程度体力が回復したイリヤは立ち上がった。問題の右足も、傷口だった所に僅かな違和感がある事を除けば特筆すべき異常は無い。
「ところでお前、名前は?」
魔杖を持ち易い形状に分解し終えた少女は尋ねた。
「イリヤ・アルコルだ。あんたは?」
「ミァン。ミァン・ポラリスだ」
忍術士イリヤ・アルコルと魔法士ミァン・ポラリス。
この偶然によって出会い、そして思わぬ形で絆を深める事になった二人は、自分達の行方に何が待ち構えているのか――まだ知る由も無かった。