プロローグ
それは泡沫の夢である。
薄暮の空。
山の麓に目を凝らすと見える、あちこちに火の手の上がった故郷の里。
一人の少年が蹲っている道の近くでは、少年も見慣れた馬車が横転し、あちこちで動かなくなった骸が転がっている。
そしてその少年の腕の中では、その身を血で真っ赤に染めた少女が薄く息を継いでいた。
少し雨が降っているのか、出血による貧血で真っ青になった少女の頬にポタ、ポタ、と水滴が落ちる。ふと空を見ると――何故か霞が掛かっている。
少女の呼吸は浅く、身体も冷たい。間もなく死ぬだろう。あの子がここに辿り着くまで保つかどうか。少年の研ぎ澄まされた直感は、冷静にそう告げていた。
なのに、どうして息が詰まるのだろうか。どうして唇が震えて止まらないのだろうか。
少年は血染めの少女にどんな声を掛けるべきなのかも判らず、震えが止まらない唇を噛み締めた。
「……ないて、いるの……?」
少年の姿を認めた少女は、虚ろな目で微笑んだ。
「…………ぁ……?」
少女にそう指摘されるまで、少年は自分が泣いているという事に気が付かなかった。
幼い頃から、周囲の安全が確認されるまでどんな状況でも感情を押し殺すようにと叩き込まれたはずなのに。
いや、自分はもうとっくにそんな感情は捨てたはず。
ならば、どうして自分は泣いているのか――。
「……あの子の、ことは、おねがいね……」
「……あぁ」
少女は息も絶え絶えに、今にも消え入りそうな声で囁いた。
何と答えていいのか分からない。
少年は何時の間にか嗄れ果てていた喉を振り絞り、掠れた声を出して頷いた。
それを見た少女は、何か愁いを帯びたような笑みを浮かべた。
「……さいごに、ひとつだけ、おねがいして、いい……?」
少年は少女の声を聞きながら、彼女の身体から生命力とでも表現すべきものが、急速に抜け落ちていくのを感じていた。
限界は近い。
そのことは、少女もなんとなく分かっているのだろう。
少年は嗚咽を堪えながら、小さく一度だけ頷いた。
あぁ、やってやる。
たとえ、あの子が独り立ち出来るようになったら後を追って死んでくれと言われても、少年はそれを引き受ける覚悟を決めた。
「……わたし、を……」
瞳の焦点が定まらなくなっていく。全身の力がみるみる抜けていく。
こんな状況で声を出すのは、相当な体力の消費を伴うだろう。
つまり少女は最期の時を早めてでも、自分に頼みたいことがあるのだ。
だったら絶対に叶えてやる。叶えてみせる。
しかしその言葉は、少年が全く予想していないものだった。
「……――――――――……」
少年は絶句した。
そんな事、当たり前ではないか。
それとも君は、俺がそんな事も出来ない人間だと思っているのか――?
少年は胸の内から次々に溢れ出してくる疑問を棚上げし、心に生じた動揺を必死に押し殺して頷いた。
「――あぁ。分かった……」
それを聞いた少女は、満足した表情を浮かべて目をゆっくりと閉じた。
そしてそのまま、眠るように息を引き取った。