ドブに捨てたようなものね
カウンター越しに聞こえてきた、一言。
誰の人生にも、思い返せば「ドブに捨ててしまった」ような瞬間があるのかもしれません。
お冷を一杯お出しするような心地で、短い物語を綴りました。
どうぞごゆっくり、お過ごしください。
カラン
と、ドアベルチャイムが鳴る。男女2人連れの客が入店してくる。夫婦のような雰囲気を醸し出している。
『それはドブに捨てたようなものね』
御婦人の方が呆れたように声を出したのが聞こえた。何のお話だろう?
お客様のお話に聞き耳を立てるのは良いこととは思えない。
わたしは、グラスにミネラルウォーターを注いでお出しした。
グラスに揺れる透明な波紋は
触れられぬ秘密の輪郭をなぞり、
言葉にならない溜め息を
しずかに受け止めては溶かしていく。
ドブに捨てられた記憶の破片も、
振り払えぬ後悔の重みも、
琥珀色の空間のなかで
かすかな温もりを帯びて揺らめく。
わたしは静寂をひとさじ混ぜて、
二人の背中にそっと灯りをともす。
ここは過ちさえも愛おしく熟す、
黄昏のすきまの隠れ家。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
他人のふとした会話のひと言から、自分の中の苦い記憶や後悔が不意に呼び覚まされることってありますよね。
カウンターの向こう側から見守るマスター(わたし)の静かな眼差しとともに、少しでも心地よい余韻を感じていただけたなら幸いです。
またのお越しを、心よりお待ちしております。




