第14話 荷物持ちだった頃の話
新しいマンションの朝は、前の部屋より静かだった。
壁が厚いのか、隣の音が聞こえない。
窓が大きいので、朝の光が床まで届く。
それだけのことだったが、コーヒーを飲みながら外を見ていると、ここ数か月の変化を少し整理できる気がした。
整理というより、確認に近い。
スマホを開くと、槙野から前日に来ていた返信があった。
『明日の昼、府中の駅前でどうか』という一文だった。
了承と送って、コーヒーの残りを飲んだ。
◇
駅前のカフェで、槙野は先に来ていた。
2年前とほとんど変わっていなかった。
装備を外せばどこにでもいる中堅探索者という顔で、テーブルにコーヒーを置いて俺を見た。
「久しぶりだな」
「そうですね」
「敬語のままか」
「慣れちゃったので」
槙野が少し笑った。
注文が来るまで、二人とも黙っていた。
外を路線バスが通り過ぎた。
「業界でいろいろ聞いた」
槙野が口を開いた。
「聞いていると思います」
「北海道まで行ってると聞いた時は、さすがに驚いた。九州も行ったって話も最近聞いて」
「仕事があったので」
「……うちのパーティで荷物持ちしてた頃は、府中から出ることすら少なかったよな」
俺は何も言わなかった。
否定するほどでもないし、肯定するほどでもない。
ただ、それはその通りだった。
「一緒に動けないか、と思って」
槙野が言った。
「どういう形で」
「倉橋の仕事を手伝いたい。俺だけじゃなくてパーティ全体で。搬出なり護衛なり、できることはある」
俺はカップを置いた。
「今は朝倉さんのチームと動いています。神崎さんのところとも連携があります。新しく人を増やす理由がない」
「……そうか」
「槙野さんのことを信用していないわけじゃないです。ただ、今の形が機能しているので」
槙野がしばらく何も言わなかった。
窓の外で、中学生くらいの集団が笑いながら通り過ぎた。
「あの頃、お前のことを正直見ていなかった」
静かな声だった。
謝罪でも、言い訳でもない、ただ事実を確認するような言い方だった。
「分かってます」
「分かってて何も言わなかったんだな」
「言っても変わらないと思ってたので」
槙野が頷いた。それから少し間があって、
「府中の三層で崩落があった日、覚えてるか。岩が全部消えたやつ」
「覚えてます」
あの日は俺が無意識にボックスを使ったのだと、今は分かっている。
当時はなぜ岩が消えたのか自分でも説明できなかった。
槙野も追求しなかった。チームが怪我なく通れたことで終わりにしていた。
「あの時は助かった、とずっと思ってたよ」
「それはよかったです」
槙野がコーヒーを一口飲んだ。
「今は友達でもなくなったか」
「仕事関係じゃないというだけで、知らない人にはなってないです」
「……そうか」
会話が、そこで一度止まった。
外の音が少し大きく聞こえていた。
槙野が席を立ったのは、それから10分ほどしてからだった。
◇
島根のオペレーションは短かった。
《腐霧種》の生息が確認された地方ダンジョンに、今回は朝倉と2人で入った。
難易度が低く、神崎チームは必要なかった。
個体数は3体。霧域の範囲も小さかった。
霧の手前から意識を向ける。了承する。
前回と同様に消えた。
取り出したのはダンジョン庁が手配した現地の研究施設だった。
三木がリモートで対応していた。
「確認しました。3体、状態良好です」
「了解です」
それで終わった。
◇
帰りの新幹線の中で、三木からメッセージが来た。
『報道機関が動いています。ダンジョン庁への問い合わせがいくつか来ています。複数のダンジョンで危険生物が突然消えていることに気づいたようです。今のところ倉橋さんの名前は出ていません』
『どう対応していますか』
『ダンジョン庁の広報が「管轄内で処理した」と回答しています。それ以上は言っていません』
「分かりました」
朝倉が隣でスマホを閉じた。
どうやら同じ報告が届いていたようだ。
「見ましたか、三木さんのメッセージ」
「見ました」
「表に出るつもりはありますか」
俺は少し考えた。窓の外を山が流れていく。
「ないです」
「理由は」
「名前が出ても仕事が増えるわけじゃないので。増えたとしても、断る手間が増えるだけです」
朝倉がスマホをまた開いた。何かを入力している。
「倉橋くんらしいですね」
「そうですか」
「よい意味で」
それきり朝倉はスマホに視線を向け、俺は窓の外を見た。
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