第10話 取れても、届けられなかった
《バイオネクサス》の担当者は、堂島より10歳ほど上に見えた。
御厨と名乗った。製薬会社の研究開発部に所属しているという。
堂島のような研究者の目ではなく、数字と結果に慣れた人間の目をしていた。
「単刀直入に話します」
席に着くなり、御厨が言った。
「うちが8年間追っている素材があります。採取はできる。問題は、一度も正しい状態で届いていないことです」
◇
御厨が資料を広げた。
写真の中にいるのは、甲殻に白い模様が走る中型の魔物だった。
「《氷晶甲》です。北海道の中深度ダンジョンに生息する種で、肝臓に相当する器官が特殊な神経修復化合物を含んでいます。動物実験では神経再生への有効性が確認されています」
「採取できているのに届かない、と」
「はい。問題は分解速度です。摘出した瞬間から酸化が始まって、常温では30秒以内に完全分解する。専用の冷却コンテナを使えば2〜3時間は保ちますが——うちのラボまでは最短でも4時間かかります」
朝倉が静かに聞いた。
「これまで何度試みましたか」
「4回。うち3回は器官の摘出まで成功した。でも全部、到着前に終わっていました」
終わっていた、という言葉が淡々としていた。
8年分が入った言い方だった。
「俺のボックスに入れれば」
俺は言った。
「収納した瞬間から時間が止まります。取り出すまで変化しない。分解も止まる」
御厨がこちらを見た。
「分解が、止まる」
「止まります。今まで試した素材は全部そうでした」
しばらく、御厨が黙っていた。
「……信じていいですか」
「試せば分かります」
◇
帰りの車で、朝倉が言った。
「神崎の話、まとまりました」
「どんな条件で」
「案件ごとの協力費。戦闘が発生する場面に限定で、情報共有は最小限。倉橋くんが何をするかは現場の結果以上には教えない」
「それで神崎が了承した?」
「『現場で確認できればいい』と言っていました」
俺は頷いた。
「今回、使えますか」
「《霜牙洞》の難易度は上級寄りの中級です。うちだけでも範囲内ですが、安全マージンを取るなら神崎チームの前衛がいた方がいい」
「呼んでください」
◇
北海道には飛行機で向かった。
《霜牙洞》は函館郊外の山間部に存在する。
内部は常に氷点下近く、壁面に霜が張り付いている。
深部では霧が視界を遮る。冷気系のダンジョンだ。
入口前の集合で、神崎チームと合流した。
前衛4人、補助2人。全員、動きに無駄がない。
神崎がいた。スーツじゃなく、探索装備だった。
「倉橋さん、初めて現場でお会いしますね」
「そうですね」
「今日は我々が前を取ります。倉橋さんの仕事に集中してください」
それだけ言って、神崎が先頭に立った。
余計な話をしない人間だと分かった。
◇
9層の水場エリアで、《氷晶甲》を見つけた。
全長80センチほど。
甲殻が薄く光を反射して、冷気の中で白く見えた。
動きは鈍い。
神崎チームが包囲した。3分もかからず仕留めた。
問題はここからだった。
器官は腹部の後方、甲殻の内側に収まっている。
取り出した瞬間に分解が始まる。
「触れます」
朝倉に言って、死骸に手を置いた。
まず全体を収納する。
内部表示を開いて、器官の部位を指定する。
【対象内部から抽出しますか?】
【抽出対象:肝器官相当部位】
【注意:取り出し後、時間経過が再開します】
取り出した瞬間から始まる。なら、取り出す場所を先に決めておけばいい。
「座標を確認します」
スマホで、御厨から事前に受け取った座標を開く。
「朝倉さん」
「何ですか」
「今まで座標固定展開は、最長でどこまでやりましたか」
「……長野から横浜」
「今回は函館から東京です」
朝倉が少し間を置いた。
「試してみないと分かりませんね」
「了承です」
器官の部位を指定したまま、展開先の座標を念じる。取り出すと同時に、そこへ届ける。
【座標固定展開と同時抽出を実行しますか?】
【対象:肝器官相当部位】
【展開先座標:確認済み】
了承する。
死骸の中から、器官だけが消えた。
俺は御厨に電話をかけた。
「今、届きます」
着信音が1回鳴って、受話口が切り替わった。
「……入りました」
「状態は」
「確認します。少し待ってください」
30秒。1分。
「御厨さん」
「すみません。スタッフが全員、ガラス越しに張り付いていて」
「分解していますか」
「していません」
受話口の向こうが静かになった。
「8年間——分解していない器官をうちが見るのは、今日が初めてです」
◇
ダンジョンの出口で、神崎が言った。
「成功したようですね」
「おかげで助かりました」
「我々は戦闘しただけです」
神崎が少し間を置いた。
「ただ——今日の話は、うちの組織に持ち帰ります。現場で確認できたので」
「どういう意味ですか」
「倉橋さんが何をしているのか、今日で分かりました。競合するより、一緒にいた方が得だということが、数字じゃなく実感として分かった」
それだけ言って、神崎はチームに合図を送った。
装備を解く音だけが聞こえた。
◇
翌日、御厨からメッセージが届いた。
「器官の活性、確認しました。摘出直後と同じ状態です。8年間の試みで、初めて正しいものが届きました」
「定期的な供給について、正式な契約の話をさせてください。今後の研究スケジュールを共有します」
定期供給契約。
俺はその言葉を見ながら、今日の現場を振り返った。
函館から東京へ、器官を届けた。
距離は問題じゃなかった。分解速度も問題じゃなかった。
ボックスに入れた瞬間から時間が止まる。
取り出す場所と瞬間は、俺が決める。
それだけのことが、8年間誰も解決できなかった問題を片付けた。
朝倉にメッセージを転送した。
返信は一言だった。
「契約、組みましょう」
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