第二十三夜 ―― 赫(あか)い月と、山に棲む飢え ――
砂漠を越え、峻険な山脈を抜けた先に広がるのは、豊かな水と緑に恵まれた東の都だった。
しかし、その繁栄の影には、深い病が巣食っていた。街道には人影がなく、家々は固く門を閉ざしている。ザルカ王とサフィアが足を踏み入れたその都には、夜な夜な「影」が降りてくるという。
「……サフィア。この街の空気は重いな。花の香りの裏に、乾いた血の匂いが混じっている」
王は腰の剣に手をかけ、周囲を警戒した。二人が身を寄せた古寺の境内で、サフィアは冷え込む夜気を払うように小さな火を焚き、第二十三夜を語り始めた。
◆ サフィアの語り 第二十三夜 ――「都の鬼神と、奪われた紅」
むかし、東の国のある都に、人々に恐れられる恐ろしい「鬼」がおりました。
その鬼は、身の丈は一丈を超え、頭には鋭い二本の角、口からは獣のような牙を突き出し、近くの険しい山を拠点にして、多くの配下の鬼たちを従えておりました。
鬼は、しばしば霧に紛れて都に出現しました。
目的は、若く美しい貴族の姫君たちです。鬼は彼女たちを攫っては山奥の城へと連れ去り、自分の傍らに侍らせ、ある時は召使いのように使い、またある時は……。
その夜も、都で一番美しいと言われた姫が姿を消しました。
後に残されていたのは、引き裂かれた絹の着物と、床に飛び散った鮮血だけ。鬼は奪った獲物をその鋭い刀で切り刻み、まだ温かい生のまま、むしゃむしゃと喰らってしまうというのです。
都の人々は、夜が来るたびに震え上がりました。
『次は我が娘か、それとも自分か』
鬼の「食」には慈悲も作法もありません。ただ、溢れる力と、底なしの飢えを満たすための残虐な饗宴があるだけだったのです。
王はついに決断しました。
『このままでは国が滅びる。いかに強大な怪物であろうとも、討たねばならぬ』
王の命により、国中で最も勇敢な兵たちが集められ、鬼の棲む呪われた山へと向かう「討伐隊」が結成されたのです。
サフィアは語り終え、焚き火の灰の中に埋めておいた「真っ赤な林檎」を取り出した。
熱で皮が弾け、中から甘く、しかしどこか血を連想させる濃厚な香りが立ち上る。
「王様。この鬼にとって、都はただの『牧場』であり、人間は『家畜』に過ぎません。……奪い、喰らう。そこには交渉の余地など、微塵もないのですわ」
ザルカは、差し出された林檎をナイフで断ち切った。
「……力のみを信じる獣か。だが、サフィア。奪う者がいれば、奪い返す者が現れるのがこの世の理だ。余がかつてそうであったようにな」
王は林檎を口にした。その熱い甘みが、今夜の不吉な予感をさらに強くさせた。
その時、寺の境内の竹林が、ざわりと揺れた。
闇の中から、物語の鬼を彷彿とさせる、殺気を孕んだ複数の視線が二人を射抜く。
「……来たか。物語の鬼よりも、現実の『人斬り』の方が、せっかちなようだな」
ザルカは静かに立ち上がり、鞘の中で剣を鳴らした。
第二十四夜。鬼を討つために集まった兵たちが、どのような「毒」をその身に宿して山へ向かうのか。
現実の夜もまた、激しい戦いの予感に包まれていた。




