表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追い出された令嬢は、今日も薬草を愛でています  作者: かもちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/7

第四話 そもそも五年前にて




 レオナルド・シャルダンがフォンティーヌ侯爵令嬢の護衛になったのは、ある意味では偶然だった。


 シャルダン公爵家の次男として生まれたレオは、幼い頃から「次男」という立場について深く考えていた。


 長男は家督を継ぐ。三男は聖職者か軍人か。しかし次男というのは、どっちつかずの立場だ。長男ほど後継者教育を受けるわけでもなく、三男ほど自由でもない。一応の貴族教育は受けるが、どこに進むかは本人次第という、ある意味で自由な立場でもある。


 レオは軍人を考えたこともあった。しかし剣術は得意でも、軍という組織への向き不向きが自分でも分からなかった。


 そんな折、父から打診が来た。


「フォンティーヌ侯爵家から、護衛の要請が来ている。令嬢が一人で王都を出入りする機会が増えており、信頼できる人間を置きたいとの事だ」


「護衛、ですか」


「うちから出すなら、お前が適任だろう。剣術はできる、礼儀も問題ない。フォンティーヌ家とは長い付き合いで、向こうも信頼している」


 その時点でレオはフォンティーヌ侯爵令嬢の事を、ほとんど知らなかった。


 名前はアリス。年齢は十二歳。温室で薬草を育てているという噂がある。


 ——薬草。


 その一言だけが、印象に残った。


 護衛を引き受けて、最初にアリスに会ったのは侯爵家の応接室だった。


 クリーム色の巻き毛を整えて、白いドレスを着た少女が、椅子の端にちんまりと座っていた。翠玉色の目が大きく、初対面の相手を見る顔は少し緊張していた。


 レオが挨拶をすると、アリスは丁寧に頭を下げ、それからすぐ「あの」と言った。


「護衛のお仕事って、どんな事をされるんですか」


「基本的には、お嬢様の身の安全を守る事です。外出の際の随行、屋敷での警戒、必要に応じて連絡の取り次ぎなども行います」


「なるほど。——ひとつお願いがあるのですが」


「はい」


「わたくし、週に二度、王宮薬師長のお師匠のところに通いたいのです。その時の随行をお願いしたいのですが、よいでしょうか」


「承知しました」


「あと月に一度、薬草市場に行きます。半日かかる事があります。それも大丈夫ですか」


「大丈夫です」


「あと、温室での作業中は近くにいていただく必要はないのですが、一応いた方がいいですか」


「……基本的には、お嬢様の近くにいた方がよいかと思います」


「そうですか。では温室にいる間、退屈させてしまいますね。申し訳ありません」


 十二歳の令嬢が申し訳なさそうに言って、頭を下げた。


 レオはその時、少し意外に思った。


 護衛を迷惑と思う令嬢は少なくない。常に傍にいる他人は、やはり煩わしいものだ。しかしこの令嬢は退屈させる事を心配している。


「退屈は致しません。薬草には興味があります」


「本当に?」


 アリスの目が、ぱっと輝いた。


「どんな薬草がお好きですか」


 ——それが始まりだった。


---


 最初の一ヶ月は、薬草の基本を教わった。


 正確に言えば、レオは護衛の仕事をしながらアリスの説明を聞いているうちに、気づいたら薬草の知識を吸収していた。


 アリスは温室で作業しながら話す。薄荷の効能、タイムの使い道、ラベンダーの乾燥方法。一つの話が終わると次の話が始まる。話しながら手は動き続けて、植木鉢を持ち替え、土を耕し、葉を摘む。


 レオは最初、ただ聞いていた。


 やがて「その葉、少し折れていませんか」と指摘するようになった。


「あら、本当ね。気付かなかったわ、ありがとう」


 アリスが嬉しそうに笑ったので、次の日も目を光らせていた。


 二ヶ月目には、植木鉢の水やりを手伝うようになった。


「あなた、器用ね。根元からゆっくり注げているわ」


「教えていただきましたので」


「そう? でも覚えが早いわ」


 アリスはまた嬉しそうに言った。その表情には嘘がなく、ただ純粋に喜んでいた。


---


 半年が経つ頃、レオはアリスの薬草研究の全容を、ある程度把握するようになっていた。


 アリスの研究は、一般的な薬草の知識を超えていた。


 植物の有効成分を最大限に引き出す配合を研究し、それを実際の薬として形にする。師匠のヴィクトールの指導のもとで行うその研究は、学術的にも価値があるものだとレオには感じられた。


 ある日、師匠の執務室で二人が議論しているのを聞いた。


「この配合では、有効成分が揮発する速度が早い。保存性の問題がある」


「でも揮発を抑えると、吸収率が下がります。どちらを優先するかによって……」


「現場での使いやすさを考えれば、保存性だ。戦場の薬師が複雑な処理をする時間はない」


「では、油脂基剤の種類を変えて……」


 十三歳の令嬢が、齢六十を超えた王宮薬師長と対等に議論していた。


 レオはその光景を見て、何かが腑に落ちた感覚があった。


 この令嬢は、本物だ。


 薬草を育てるのが好きな令嬢ではなく、薬草で人の命を救う事を本気で考えている人間だ。


---


 転機は、護衛を始めて一年半後に来た。


 アリスが十三歳の冬。フォンティーヌ侯爵家の屋敷に、突然訪問者が来た。


 陸軍のフィシェル将軍だった。


 将軍は侯爵と二時間ほど話してから、令嬢に会いたいと申し出た。


 応接室に現れたアリスを見て、将軍は少し戸惑った顔をした。


「……聞いていたより、若い令嬢だな」


「十三歳です、将軍閣下」


「十三歳が、あの傷薬を開発したと?」


「師匠のヴィクトール師匠と一緒に開発しました。アイデアはわたくしですが、完成は師匠の力があってこそです」


 将軍は侯爵の方を見た。侯爵はにこりと微笑んだだけだった。


「……令嬢」


「はい」


「北方の第三連隊に、あの薬を届けてほしい。今の傷薬では感染症を抑えきれない。部下を助けてくれないか」


 アリスはしばらく考えた。


「原材料の確保と、製造量の問題があります。一人では量が限られますが、師匠と相談すれば……量産のための協力者を探せるかもしれません」


「最大でどのくらいの量が可能か」


「三ヶ月で……百人分くらいでしたら」


「少ない」


「わかっています。だから協力者を——」


「百人分で構わん」


 将軍は静かに言った。


「今の薬で百人助かるなら、それで充分だ。後は増やす方法を一緒に考える」


 それ以来、アリスの研究は加速した。


---


 その頃から、レオの役割も変わっていった。


 護衛という仕事に加えて、アリスの研究の補佐もするようになった。材料の調達、研究ノートの整理、師匠との連絡の取り次ぎ。アリスが「こういうのが分からなくて」と言うたびに、一緒に本を調べた。


 気づけば薬草の知識は、いっぱしの薬師補助くらいにはなっていた。


(どうしてここまでやっているんだろう)


 と自問した時期もあった。


 護衛の仕事の範囲を超えている。公爵家の次男がやる事ではない、という声も聞こえてきた。


 しかし答えは簡単だった。


 アリスが嬉しそうにするから。


 研究が上手くいったとき。師匠に褒められたとき。将軍から感謝の言葉をもらったとき。アリスの翠玉色の目が輝く。その瞬間のために、気がつけば動いていた。


 それが何を意味するか、レオが自覚したのは、護衛を始めて三年目だった。


---


 その日も温室で、いつものように作業を手伝っていた。


 アリスが「レオ、あのノートを取って」と言った。レオが棚から取って渡すと、アリスが「ありがとう」と笑った。


 翠玉色の目が、真っ直ぐにレオを見た。


「あなたがいてくれるおかげで、研究がずっと進みやすくなったわ。本当に、ありがとう」


 それだけの言葉だった。


 それだけの事で、レオは胸の中に火が点った気がした。


(——ああ、そういう事か)


 その火が何なのか、遅ればせながら理解した。


 護衛だから、傍にいる。


 しかしそれだけではないと、認めざるを得なかった。


---


 自覚してからは、むしろ冷静になった。


 護衛という立場で、お嬢様への感情を表に出す事は許されない。レオはそう判断した。


 だから言わない。余計な事はしない。ただ傍にいて、研究が進むよう手を貸して、笑顔を見ていればいい。


 そう決めた。


 一年後に婚約の話が来たとき、レオはその決意の正しさを確認した気持ちになった。


 身分が違う。立場が違う。護衛が令嬢に想いを告げるなど、あってはならない。


 だから何も変えない。傍にいて、守る。それだけでいい。


---


 ……などと思っていたのだが。


(今日の婚約者の物言いは、いかがなものだったか)


 夕暮れの馬車の中で、レオは静かに窓の外を見ながら考えていた。


 令嬢として問題がある。父親の教育が悪い。


(五年間、ずっと傍にいた。薬草研究が何を生み出したか、あの男は知る事もなく、問題だと切り捨てた)


 腹が立っていた。


 アリスの前では「護衛の立場として」と前置きして、なんとか抑えたが。


(護衛の立場を外せば、もう少し別の言い方がある)


 ちらりと向かいのアリスを見た。


 アリスは窓の外を見ながら、何かを考えている顔だった。


 三百七十人。


 師匠から聞いた数字に、今もどこか感動しているような顔だった。


(この人は、三百七十人の命を助けた。それを「令嬢として問題だ」と切り捨てた男と、同じ気持ちで並んで歩ける気はしない)


 レオは静かに目を閉じた。


(そもそも俺は、護衛の立場を外した時に何を言いたいのか——本当は分かっている)


 ただ、今はまだその時ではない。


 馬車が揺れる。

 夕暮れが侯爵家の庭を染めていく。


 今はまだ、それでいい。



十二歳から十七歳まで五年間ずっと傍にいて、薬草の事を一緒に学んで、思いを自覚したのが三年前というのは、告白まで随分と遠回りしたものです。護衛の立場がとか言って、本当は度胸がなかっただけでは……とは言えません。だってレオくんなりに色々考えていたはずですので。

アリスは気付いていたのかどうか。それはもう少し先で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ