1943年7月・第二次内南洋海戦(米太平洋艦隊の壊滅)後に発生する「米英豪 と日本の停戦プロセス」
▼1943年7月:第二次内南洋海戦 — 米国の敗北と政治崩壊の始まり
第一次内南洋大海戦につぐ 日本の二度目の大勝利 により、
• 米太平洋艦隊 → 戦艦6隻撃沈・空母3隻喪失
• 残存艦隊は後退し、ハワイ〜米西海岸に籠る
• オーストラリア北部は完全制空圏を失う
• 豪州政府は有力都市ケアンズ・ダーウィンから住民撤退開始
という史実の中途段階では起こり得なかった深刻な敗北が発生する。
この結果、米英豪の政治中枢には 「対日戦争の継続は不可能」 という認識
が急速に広がる。
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▼1943年8月:オーストラリアの崩壊の危機
■1. 豪首相カーティンの決断
カーティン首相は敗戦報告を受け、閣議でこう言う。
「北部防衛線は事実上崩壊した。
米国はこれ以上兵力を送れない。
我が国は 外交的脱出口 を探す時だ。」
豪政府は米英に対して、以下の「豪州覚書」を提出:
• 日本との 停戦可能性を探るための外交調査を許可して欲しい
• 豪州単独での戦争継続は不可能
• 日本が条件次第で豪州への侵攻意図を持たないなら、戦争の理由は消える
この書簡は後に「豪州の絶望状」と呼ばれ、米英に衝撃を与える。
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▼1943年8〜9月:英国の態度変化
英国は北アフリカ戦線とイタリア侵攻の真っ只中であり、日本と継戦する余
力を完全に失っていた。
チャーチルは戦争指導会議でこう述べる:
「豪州が脱落すれば、東アジアの全戦線は崩壊する。
我々が日本と戦い続ける意味はない。」
チャーチルの決定:
• 豪州の停戦探査を支持
• 米国に「対日戦争の目的再定義」を要求
• インド洋方面の英軍は防衛任務のみに縮小
英国は 対日停戦を容認する初の大国 となった。
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▼1943年9〜10月:米国内の政治崩壊
■1. ルーズベルト政権の危機
連敗・豪州危機・英国の停戦容認という現実を前に、ルーズベルトは持病の
心不全が急悪化。執務能力が著しく低下し、9月には数日単位で職務を副大
統領ウォレスに委任する状態になる。
上院軍事委員会では共和党議員が攻め立てる:
「太平洋艦隊が壊滅し、豪州も失う。
何をもって“勝てる”と言えるのか!」
米国世論は「欧州優先」「対日戦争の停戦」へ傾く。
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▼1943年10月:日本の停戦案検討開始
■日本側の状況
• 大和・武蔵など主力健在
• 南太平洋での連続勝利
• 豪州脱落寸前
• しかし南方資源地帯維持は長期的にはコストが重い
• 中国戦線は依然として泥沼気味
連合艦隊司令部・外務省・企画院で「停戦条件草案」が密かにまとめられ
る。
■日本の戦略的判断
「これ以上勝っても利益は少なく、
これより負ければすべてを失う。
勝っているうちに戦争を終わらせるべし。」
この結論に基づき、以下の停戦案が形成される。
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▼日本側停戦案(草案・1943年10月)
●1. 三国同盟離脱
→ 米英豪への最大の政治的メッセージ
●2. 中国本土からの段階的撤退
→ 3〜5年を期限とした計画的撤兵
→ 南京政府の継続は保証
●3. 満州の門戸開放
→ 日・米・英・ソ企業の自由参入
→ 満州国の主権・皇帝は維持
●4. 南方占領地からの段階的撤退
→ 英領マラヤ・蘭印は自治政府を介した管理移管
→ 独立準備(5〜10年)を日本が保証
●5. 軍縮
→ 戦艦の新造停止
→ 陸軍を中国撤兵後に30〜40%縮小
●引き換え条件
• 石油・屑鉄禁輸の完全解除
• 南方ゴム・錫の一定量の優先輸入枠
• 日本の安全保障を脅かす措置を取らないこと
• 日本の満州治安維持権の保証
これは米英豪にとって「ほぼ満額回答」であり、同時に日本の根幹(満州・
国体・軍事体制)は守られている、極めて巧妙な案であった。
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▼1943年11月:日本、秘密裏に停戦意向を豪州経由で伝達
まず豪州政府に
「日本は豪州本土に侵攻する意思はない」
「条件次第で停戦に応じる」
というメッセージが蘭印ルートで伝えられる。
豪外務省は激震し、すぐ英国・米国に極秘通報する。
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▼1943年12月:米国、ついに停戦交渉のテーブルに着く
ルーズベルトは12月初頭に深刻な心臓発作を起こし、事実上の職務不能に。
副大統領ウォレスが正式に「代理大統領」として政務を掌握。
ウォレスは以下を決断:
• 日本との停戦交渉開始を英国と豪州に提案
• 対日戦争の目的を「中国権益確保」と「太平洋の自由」に限定
• 日本の停戦案を叩き台として受け入れる方向へシフト
米海軍首脳部(キング、ニミッツ)は渋々こう述べる:
「今は海軍の再建が先である。
日本と戦い続ける余力はない。」
ついに米英豪は日本と停戦交渉を開始することになる。
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▼最終結論:
1943年末〜1944年初頭、米英豪は日本の提示した停戦案(大幅譲歩型)を事
実上の「勝利条件」として受け入れ、停戦交渉に入る。
この世界線では、
日本は 大勝利を背景に“最も合理的な停戦案”を提示し、米英豪に受け入れら
れる
という歴史がきわめて自然に成立する。




