■ 1990年代後半のソ連:強権維持と疲弊の臨界点
1978〜1989年のアフガニスタン泥沼戦・その後のイスラム過激派流入・中央
アジアでの独立闘争の激化により、ソ連は1990年代を通じてほぼ慢性的な
「低強度内戦状態」にあった。
● 1990年代後半の特徴
• 中央アジア(タジク、ウズベク、トルクメン)で頻発する爆弾テロ
• チェチェン・ダゲスタンで分離独立派ゲリラの再武装
• コーカサス→モスクワへのテロが拡大
• 経済は「改革派と保守派の綱引き」で麻痺し、
名目上は共産党一党独裁だが、実態は軍・KGB・治安省が国家の中心となっ
ていた。
この状況下、エリツィンに相当する弱体化した書記長/最高会議議長は政権
運営能力を失い、治安機構が事実上の国家を運営。
そこで「治安の象徴」として急浮上したのが、若き元KGB将校——ウラジー
ミル・プーチンであった。
---
■ 1999年――プーチンの首相就任
● 背景
1999年、ソ連内部では以下が同時進行していた。
• チェチェンで大規模な武装蜂起
• 中央アジアでソ連軍基地への攻撃が急増
• イスラム過激派がアフガニスタン・パキスタンから継続流入
• 国民の「治安回復」要求が頂点に達する
この中で、KGB(名称は存続)、軍、党保守派は
“安定と秩序を取り戻す強い指導者”
を求め、1999年8月、プーチンが若くして「ソ連首相」に任命される。
● プーチンの即時政策
• 治安法の大幅強化
• テロ関連容疑者の無期限拘束
• 中央アジア共和国での治安軍大増派
• 国境管理の軍事化
• 国内通信の監視強化(KGB情報局の権限拡大)
国民の多くはこれを「必要悪」と受け取り、支持率は急上昇。
---
■ 2001年:ソ連領内同時多発テロ発生
(史実の「ロシア・アパート爆破事件」+「9.11」的規模が重なったイメー
ジ)
● 事件の概要
2001年9月、ソ連領の複数都市でほぼ同時に大規模テロが発生する。
主な攻撃地点:
• モスクワ:地下鉄3駅で爆破、死者500名超
• サンクト・ペテルブルク:主要駅周辺で自爆攻撃
• バクー(アゼルバイジャン):政府庁舎への車両爆弾
• グロズヌイ・マハチカラ:軍基地への自爆攻撃
死者合計は2,000〜3,000人に及ぶとされ、ソ連史上最大の内国内テロとな
る。
● 実行主体
• チェチェン武装勢力
• 中央アジアのイスラム過激派
• アフガニスタン残存ゲリラ(旧ムジャヒディン系)
複数組織による「連携型テロ」とみられ、
ソ連国内に跨る“イスラム蜂起網”が形成されていることが明らかになった。
---
■ 2001〜:ソ連の「テロとの戦い」激化
プーチン政権は事件直後、アメリカの9.11後とほぼ同じ、
全面的な対テロ戦争体制へ移行する。
●(1)コーカサスでの総攻撃
• チェチェン共和国へ10万人規模の軍投入
• 事実上の首都グロズヌイを包囲・砲撃
• 反乱分子の「全面掃討作戦」
死者は数万人規模。
●(2)中央アジアでの長期占領化
アゼルバイジャン、ウズベキスタン、タジキスタンなどで治安軍が常駐し、
地方政府は完全にモスクワからの監督下へ。
●(3)アフガニスタン国境地帯の封鎖
1978年侵攻→1989年撤退後も治安悪化が続いていたが、
プーチンは国境に**「南方巨大要塞線」**を構築し、
空爆・無人機偵察を強化。
●(4)国内の政治統制強化
• イスラム系住民の監視
• インターネット通信検閲(中国に先行するレベル)
• 移動制限と住民登録制度の強化
• KGBが“国家治安省”として事実上復権
これにより、ソ連は
「強権的安全保障国家」へ再形成される。
---
■ 世論の反応:恐怖が与える“強権支持”
• 多くのロシア人スラブ系住民は
**「テロの恐怖>自由」**としてプーチンを支持。
• 一方でイスラム系地域では
反ロシア感情がさらに激化し、ゲリラ活動が続く。
結果としてソ連は
国内に潜在的なイスラム反乱を抱えたまま、強権による安定を維持する国家
へと変貌する。
---
■ まとめ
この世界線における1999〜2001年の流れは次の通り:
1. 1978–1989のアフガン泥沼とインド分割戦争余波でソ連南部が不安定化
2. 1990年代は慢性内乱状態
3. プーチンが強権維持の象徴として1999年に首相へ
4. 2001年の同時多発テロでソ連史上最大の悲劇
5. 以後、ソ連は「テロとの戦い」を国家理念へと組み込む
6. 強権国家として存続を続けるが、内部の宗教・民族対立は永続化




