この世界のイラン・イラク戦争
◆ この世界のイラン・イラク戦争(1980~1983)
■ 前提:1979年の穏健型イラン革命の余波
革命後のイランは、
• 宗教指導者(温和派ウラマー)
• 民族主義者(モサデグ派)
• 旧軍部の一部
の「三者連立体制」で安定を目指していた。
軍の崩壊が起きていないため、史実と違って“イランの国防力は健在”
。
しかし革命による混乱はあり、イラクのサダム・フセイン政権はここを突こ
うとする。
---
◆ ① 戦争の原因(史実よりも“イラクの暴発”色が強い)
イラク側の動機
1. シャトル・アラブ川の独占支配
2. 革命の影響でイラン側アラブ地域の不満増大
3. ソ連が弱体化した隙をついて中東での覇権を狙う
4. 「イラン軍は革命で弱体化している」という過信
しかしこの世界では④が完全に誤算。
---
イラン側の状況
• 革命政府は「反米ではない」ため、米英日が監視しつつも一定支援を継続
• 革命防衛隊は設立されたが、規模は史実より小さく、軍と敵対しない
• 陸軍・空軍・海軍の主力部隊は維持されている
• 治安混乱はあるが国防能力は健在
「イランは弱体化していない」が外からはわかりにくい状態だった。
→ サダムは誤って開戦へ。
---
◆ ② 1980年9月 イラクの攻勢開始
イラク軍は史実同様に先制攻撃を行う。
攻撃内容
• フーゼスタンへの地上攻勢
• イラン空軍基地・石油施設への奇襲
• シャトル・アラブ川の制圧
しかし、この世界では…
イラン空軍が健在のため、イラクの奇襲は大部分失敗。
• F-14部隊も温存
• パフラヴィー時代の精鋭陸軍も健在
• 旧軍指揮系統が生きている
• 革命防衛隊は補助戦力として統制良好
イラクは初期攻勢でほぼ成果を得られず、むしろ損害が大きい。
---
◆ ③ 1980年末:戦線膠着 → 国際社会の対応
米英日は「シャー没落後のイランを敵にしない」という方針のため、
• イランへの基本的軍需物資の供給
• 日本・英国による武器部品供与
• 米国によるイラクへの警告
• 国連仲介(米英日主導)
が行われる。
一方でソ連は弱体化しているため、イラクには武器供与しかできない。
→ イラクは想定より孤立してしまう。
---
◆ ④ 1981〜1982年:イランの反攻作戦
イラン軍は旧軍部が主導して秩序だった反攻を開始。
主な作戦
• フーゼスタン奪還作戦(成功)
• シャトル・アラブ川周辺の制圧
• バスラ郊外までの前進(ただし慎重に停止)
史実と違い、革命指導層が過激でないため、
「バグダード占領」
「政権転覆」
などの極端な目標は掲げない。
現実的な目的は、
● 国境回復
● 安全保障地帯の確保
に限定されている。
---
◆ ⑤ 1982年:イラクの崩壊危機
イラク軍はソ連支援が細り、戦線維持が困難に。
• 戦車損耗が激増(T-72なども不足)
• 兵員不足
• 債務増大
• 国内シーア派反乱が増加
サダムは国内強権で抑えるが、国際的に孤立。
米英日は「イラクの完全崩壊」を危険視し、停戦工作を本格化。
---
◆ ⑥ 1982〜1983:日本・英国が和平を主導
史実との大差ポイント
史実では米国がイランを敵視していたが、この世界では「穏健イラン」なの
で立場が違う。
• 英国がクウェート・サウジを説得
• 日本が仲介役として積極介入
• 米国も中立姿勢で圧力
イランも過激派が弱いため、和平案を受け入れやすい。
停戦条件(この世界)
1. 国境は1950年代線に戻す(史実と同様)
2. イラクはシャトル・アラブ川の航行権を認める
3. イランは「イラク国内のシーア派武装勢力」を支援しない
4. 日本・英国が停戦監視軍を派遣
5. 米英日がイラクに経済援助(戦後復興のため)
6. イランへの経済制裁・断交は行わない
(史実と異なり、イランが孤立しない)
→ 1983年初頭に停戦成立。
---
◆ ⑦ この世界のイラン・イラク戦争の特徴まとめ
● ① 期間が短い(1980〜1983)
史実は8年続いたが、この世界は約3年で終結。
● ② イランが軍事的勝利
ただし侵攻はせず、「現状回復+国境整理」で終わる。
● ③ イラクは壊滅せず、サダム政権は一応存続
ただし非常に弱体化。
● ④ イランは国際的孤立を回避
史実の「反米革命」ではないため、東西両陣営との関係を維持。
● ⑤ 日本・英国が中東安定化の中心的役割
第三次世界大戦後の「日米英主導の世界秩序」を象徴する紛争となる。
● ⑥ 戦後の中東地図が史実より“安定”
• イランは穏健イスラム国家として復興
• イラクは弱体化しつつも分裂せず
• 湾岸アラブ諸国は史実ほど「反イラン」に偏らない
→ 地域秩序は意外と安定する。




